台風15号の通過にともなって降り続いた雨が3日目にピークに達した。午後から雨脚が強まりよるまで続いた。定時に退勤して家に帰ったら分団長から自宅待機のメールがきた。すぐに警戒パトロールの指示が出たので班長以上で対応することにした。
メンバーが集まるまで搭載車で待機していたら床下浸水にあった家があるとの連絡を受けたので、スコップと土嚢を積んで現場へ向った。現場は県道が川のようになっていてその水が家の中まで流れ込んでいた。どうやって対応するかしばし呆然としたがとりあえず団員を集めて土嚢を積むことにした。近所の藤倉建設さんが土を運んでくれたのであっという間に50個近く作ることができた。柳沼板金店は鉄板を加工して遮水のための板を作ってきてくれた。土嚢を積み終わった頃には雨のピークを過ぎて水が引いてきたので一安心した。今回も地元の経営者の皆さんに助けられた。ホントにありがたい。
その後、班長以上で警戒パトロールに出たら、あちこちで土砂崩れが発生し平成10年の8.25水害を上回ると思った。川沿いの道に入ったら途中で冠水していて引き返して来た。別のルートでもう少し先の川沿いに降りたらすっかり水没していた。別なルートからさらに先の川沿いに降りたら橋のすぐ下まで水位が上がっていた。近所の人の話では記憶にある中では最高の水位になっているとのことで、歴史的な大水害になるかもしれないと思った。さいわいそれ以上の雨は降らなかったので朝には水が引いていたが、川沿いの道路にはゴミや流木が散乱して大変なことになっていた。
郡山の方でもあちこちで水没して大変だったようだ。新聞によると戦後最大の水位を記録したとのことだが河川の改修や水害対策を施していたため被害は最大にならなかったようだ。ホントに火事と災害はいつやってくるかわからない。解散命令が出て家に帰ったのは23時を過ぎていた。さすがにもう台風は来ないだろうけれど大きな被害がなくて良かった。
メンバーが集まるまで搭載車で待機していたら床下浸水にあった家があるとの連絡を受けたので、スコップと土嚢を積んで現場へ向った。現場は県道が川のようになっていてその水が家の中まで流れ込んでいた。どうやって対応するかしばし呆然としたがとりあえず団員を集めて土嚢を積むことにした。近所の藤倉建設さんが土を運んでくれたのであっという間に50個近く作ることができた。柳沼板金店は鉄板を加工して遮水のための板を作ってきてくれた。土嚢を積み終わった頃には雨のピークを過ぎて水が引いてきたので一安心した。今回も地元の経営者の皆さんに助けられた。ホントにありがたい。
その後、班長以上で警戒パトロールに出たら、あちこちで土砂崩れが発生し平成10年の8.25水害を上回ると思った。川沿いの道に入ったら途中で冠水していて引き返して来た。別のルートでもう少し先の川沿いに降りたらすっかり水没していた。別なルートからさらに先の川沿いに降りたら橋のすぐ下まで水位が上がっていた。近所の人の話では記憶にある中では最高の水位になっているとのことで、歴史的な大水害になるかもしれないと思った。さいわいそれ以上の雨は降らなかったので朝には水が引いていたが、川沿いの道路にはゴミや流木が散乱して大変なことになっていた。
郡山の方でもあちこちで水没して大変だったようだ。新聞によると戦後最大の水位を記録したとのことだが河川の改修や水害対策を施していたため被害は最大にならなかったようだ。ホントに火事と災害はいつやってくるかわからない。解散命令が出て家に帰ったのは23時を過ぎていた。さすがにもう台風は来ないだろうけれど大きな被害がなくて良かった。
三陸沿岸の町では、地震が発生すると防潮堤の水門を閉じる役目を消防団員が担っていることを映像で知りました。まさに決死隊だよねぇ。避難しなきゃならないのに、海に向かって行くなんて。
あれはおかしいと思う。誰もやる人がいないので消防団員がやらざるを得ない?になっていないだろうか。この辺の消防団にもそんな理不尽な役割はないのでしょうか?ちょっと脱線しましたが・・・。 お疲れ様でした。
さすがに命までかけるつもりはありませんが、やれる範囲で活動しています。
今回の震災で原発事故終息のために働いた消防士や自衛官、捜索にあたった警察官や消防団などの活躍が注目されました。命まで差し出すことを強要することなどできませんが、それぞれの職責を果たすのは当然のことだろうとも思います。あまり注目されない普通の公務員や一般市民だって災害復旧のためにみんな頑張っていると思います。
職を失った方々のために雇用を増やすことも急務ですから、公務労働者を増やして災害復旧にあたることも必要だろうと思います。