全国制度研福島大会in神奈川が箱根湯本温泉で開催され参加して来た。表題のとおり今年は福島大会で昨年の暮から現地実行委員会を立ち上げ磐梯熱海温泉での大会成功に向けて動き出していて3月12日に実行委員会を持つところまで来ていた。それが実行委員会の前日に3.11大震災が起こり、それによる原発事故で大会どころではなくなったのだった。
それで大会をどうするかということになり、福島での開催を追求する声もあったが現地実行委員会からのそのような状況ではないという思いを考慮して「福島大会」を箱根で開催することになった。現地実行委員会がそのような状況ではないと判断したのは、震災と特に原発事故が終息していないことはもちろんのこと、なにより4月1日以降凍結していた人事異動が8月1日に行われることが大きかった。学校事務職員にとって教職員の人事異動事務は目が回るほど忙しく、そこに自分の異動が重なるとどうにもならないほど忙しい。幸い子どもたちは夏休みで、校内の年度替わり業務がなかったものの7月29日に転出する教職員を送り出し、8月1日には転入教職員を受け入れてその日から仕事ができるような態勢を作らなければならない。そんなわけで実行委員自身が動けない状況で人集めなどできなし、何よりこの状況で誘ってみても反感を買うだけだろうと判断したのだった。
しかしオレ自身は大会開催は昨年から決まっており、人事異動は非常事態とはいえ4月以降に決まったことだったので、休暇をもらって大会に参加することにした。それは箱根で開催していても福島大会であることには変わりなく、オレらには3.11以降の福島の状況を伝える責任があり、福島の仲間たちの元気な顔を見せなければならないと思ったのだ。
そんなわけで例年になく涼しい夏の大会が幕を開けた。
1日目は常任委員会の基調提案と記念講演だった。基調提案は3.11以降浮き彫りになった課題やオレらが目指すべき峰はどこなのかを短い時間で話され、すばらしい基調提案だったと思う。オレには到底できねぇな。
記念講演は新自由主義政策から現在の貧困問題までの流れを分かりやすい言葉で話され胸に落ちた。研究者というより活動家というか運動の側にいる先生なのかなと思った。そして学生の目線で考え話ができるから胸に落ちるのだろう。学校事務職員制度研究会を「希少で貴重」とはよく言ったものだ。そのとおりだと思った。オレらが「希少で貴重」なのは、自分自身を行政職員とは一線を画し、仕事の一つ一つに教育としての価値を見いだし、子どもの学ぶ権利の保障を軸に教育内容にまで踏み込もうとする辺りにあるのかもしれない。つまりその辺りを軸に行政職員である教育委員会事務局職員や教育事務所職員と向き合わなければ、その人たちの下請けか部下職員でしかなくなってしまうとオレは考えている。
初日は夜の交流会が行われ、各県の仲間がステージに出て近況を報告するのだが、今年は福島大会ということもありオレらは最後の登場となった。その中でHさんが久しぶりに再会した心を許せる仲間たちを前にしたからか、アルコールのせいか、歳で涙腺がゆるくなったからか、込み上げるものと涙で言葉にならなくなった。実はオレもこらえていたのだがウルウル来ていた。そんないつもの年とは違うウルウルの3日間の幕開けとなった。
それで大会をどうするかということになり、福島での開催を追求する声もあったが現地実行委員会からのそのような状況ではないという思いを考慮して「福島大会」を箱根で開催することになった。現地実行委員会がそのような状況ではないと判断したのは、震災と特に原発事故が終息していないことはもちろんのこと、なにより4月1日以降凍結していた人事異動が8月1日に行われることが大きかった。学校事務職員にとって教職員の人事異動事務は目が回るほど忙しく、そこに自分の異動が重なるとどうにもならないほど忙しい。幸い子どもたちは夏休みで、校内の年度替わり業務がなかったものの7月29日に転出する教職員を送り出し、8月1日には転入教職員を受け入れてその日から仕事ができるような態勢を作らなければならない。そんなわけで実行委員自身が動けない状況で人集めなどできなし、何よりこの状況で誘ってみても反感を買うだけだろうと判断したのだった。
しかしオレ自身は大会開催は昨年から決まっており、人事異動は非常事態とはいえ4月以降に決まったことだったので、休暇をもらって大会に参加することにした。それは箱根で開催していても福島大会であることには変わりなく、オレらには3.11以降の福島の状況を伝える責任があり、福島の仲間たちの元気な顔を見せなければならないと思ったのだ。
そんなわけで例年になく涼しい夏の大会が幕を開けた。
1日目は常任委員会の基調提案と記念講演だった。基調提案は3.11以降浮き彫りになった課題やオレらが目指すべき峰はどこなのかを短い時間で話され、すばらしい基調提案だったと思う。オレには到底できねぇな。
記念講演は新自由主義政策から現在の貧困問題までの流れを分かりやすい言葉で話され胸に落ちた。研究者というより活動家というか運動の側にいる先生なのかなと思った。そして学生の目線で考え話ができるから胸に落ちるのだろう。学校事務職員制度研究会を「希少で貴重」とはよく言ったものだ。そのとおりだと思った。オレらが「希少で貴重」なのは、自分自身を行政職員とは一線を画し、仕事の一つ一つに教育としての価値を見いだし、子どもの学ぶ権利の保障を軸に教育内容にまで踏み込もうとする辺りにあるのかもしれない。つまりその辺りを軸に行政職員である教育委員会事務局職員や教育事務所職員と向き合わなければ、その人たちの下請けか部下職員でしかなくなってしまうとオレは考えている。
初日は夜の交流会が行われ、各県の仲間がステージに出て近況を報告するのだが、今年は福島大会ということもありオレらは最後の登場となった。その中でHさんが久しぶりに再会した心を許せる仲間たちを前にしたからか、アルコールのせいか、歳で涙腺がゆるくなったからか、込み上げるものと涙で言葉にならなくなった。実はオレもこらえていたのだがウルウル来ていた。そんないつもの年とは違うウルウルの3日間の幕開けとなった。
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