土曜日にちょっとバイク乗りに行こうと思ってふらっと東へ向ってみました。船引から常葉を抜けて都路へ。そのまま国道288号を帰還困難区域の行き止まりまで行こうかとも考えましたが、何となく大久保地区を抜けて川内村に向いました。都路・川内は店は閉まっていますが、農村風景は震災前の田園風景が戻っていたように思います。
川内からいわき市小白井を抜けて滝根に出るか、常葉に戻るかちょっと迷いましたが、富岡方面に行けるまで行ってみようと考えました。富岡に行くのは震災の前の年のゴールデンウィークにキャンプに来た以来で、震災以降浜通りには近付き難くて久しぶりに浜通りの海を見ました。
それでトンネルをいくつかとダムサイトを抜けてすぐに富岡町に入りました。信号のところにあったローソンはもちろんやっていませんが建物だけは残っていました。さらに東へ常磐道の下を抜けて夜ノ森方面へ向かい、夜ノ森の入り口付近で閉鎖されていました。
今日になって知ったのですが、本日0時から国道6号が二輪車と徒歩と測道を除いて全面通行可となったようです。合わせて川内村から国道6号に抜けるこの道も通れるようになったとのこと。除染・復旧作業に携わっている人の不便は解消されるだろうけれど、空間線量は今も高いでしょうから厳重に作業員の被曝量を管理する必要がありますし、本当に安全なのかという不安が残ります。それと自己責任とは言え、オレのような見物人が入ってくることでしょう。
夜ノ森からローソンまで引き返して県道いわき浪江線を南下してトムトムなどがある富岡町中心部へ向かいました。通行制限はかかっておらず、富岡駅・一中・一小・トムトムをしばしながめて帰ってきました。
日が暮れる前に富岡町を後にし、川内村から常葉町に入る頃には雨となり、濡れて体温が下がってちょっと震えたけれど刺激的なツーリングでした。
富岡町のあちこちで除染作業が行われており、復旧作業も進められているようですが、果たしてこのゴーストタウンが蘇るのだろうかという思いになりました。帰還困難である大熊・双葉・浪江は富岡とは比べものにならない状況でしょうし、除染できるレベルではないのではないでしょうか。気が遠くなります。
浜通りから避難している人たちは帰りたいと言うだろうし、政府も東電も帰ってもらった方がありがたいと考えるだろうけれど、本当に帰れると思っているのだろうか。浜通りの自治体がなくなるのではないかという思いは自分の中で震災直後から今も続いています。
あの辺一帯を国が買い取って自治体を解消して、町民には移住してもらう。当然すべての補償は国が行うという選択は国の財政をひっくり返すぐらいの金がかかるだろうけれど、国有地ともなれば放射性廃棄物の最終処分場はもちろん、これから廃炉によって発生する大量の高線量廃棄物や使用済み核燃料の処分場など、トイレのないマンションと言われている原子力発電にトイレができることになり、政府もまんざらではないのではないかと考えてしまいます。福島県民としては政府に都合良くトイレにされることを容易く受け入れるはずはないが、そのくらいのことを考えている官僚もいるのではないだろうか。
原子力発電という出来の悪い湯沸かし器に未来はないし、あんなものを動かそうとしている政府も財界も電力会社も許さない。悪いのは国策として推進してきた政府や財界のエラそうな人たちだし、経営者たちなのだけれど、誰も責任を取らない。一方、東電社員というだけで世間の冷たい空気や、東電内部での事故を起こしたという視線や責任を感じて辞めていく人たちが後を立たないのだとか。しかし今も必死で汚染水対策や廃炉作業にあたっている作業員には敬意を表しますし、危険手当などのピンハネは許されません。原発事故は東電の社員が悪い訳ではありませんし、経済産業省の職員が悪い訳でもありません。私たちは本当の敵を間違わないようにしなければなりません。
震災後の福島では3年半が経過した今も、ネガティブ発言は風評被害につながり、復興に水を差すという空気があると感じています。みんな様々な矛盾を抱え、息苦しさを感じて、もがきながらも日々の忙しさを理由に考えないようにしているのかもしれません。デモや集会に参加できる人はおおいに参加して意思表示すべきですし、うまく表現できない、あるいは意思表示できないとしても、本当の敵を見誤らず心に熱い怒りを燃やし続け長い戦いをしていく運動が大事だと考えさせられました。
、、、、久しぶりに意味不明なことを書いてしまいました。
川内からいわき市小白井を抜けて滝根に出るか、常葉に戻るかちょっと迷いましたが、富岡方面に行けるまで行ってみようと考えました。富岡に行くのは震災の前の年のゴールデンウィークにキャンプに来た以来で、震災以降浜通りには近付き難くて久しぶりに浜通りの海を見ました。
それでトンネルをいくつかとダムサイトを抜けてすぐに富岡町に入りました。信号のところにあったローソンはもちろんやっていませんが建物だけは残っていました。さらに東へ常磐道の下を抜けて夜ノ森方面へ向かい、夜ノ森の入り口付近で閉鎖されていました。
今日になって知ったのですが、本日0時から国道6号が二輪車と徒歩と測道を除いて全面通行可となったようです。合わせて川内村から国道6号に抜けるこの道も通れるようになったとのこと。除染・復旧作業に携わっている人の不便は解消されるだろうけれど、空間線量は今も高いでしょうから厳重に作業員の被曝量を管理する必要がありますし、本当に安全なのかという不安が残ります。それと自己責任とは言え、オレのような見物人が入ってくることでしょう。
夜ノ森からローソンまで引き返して県道いわき浪江線を南下してトムトムなどがある富岡町中心部へ向かいました。通行制限はかかっておらず、富岡駅・一中・一小・トムトムをしばしながめて帰ってきました。
日が暮れる前に富岡町を後にし、川内村から常葉町に入る頃には雨となり、濡れて体温が下がってちょっと震えたけれど刺激的なツーリングでした。
富岡町のあちこちで除染作業が行われており、復旧作業も進められているようですが、果たしてこのゴーストタウンが蘇るのだろうかという思いになりました。帰還困難である大熊・双葉・浪江は富岡とは比べものにならない状況でしょうし、除染できるレベルではないのではないでしょうか。気が遠くなります。
浜通りから避難している人たちは帰りたいと言うだろうし、政府も東電も帰ってもらった方がありがたいと考えるだろうけれど、本当に帰れると思っているのだろうか。浜通りの自治体がなくなるのではないかという思いは自分の中で震災直後から今も続いています。
あの辺一帯を国が買い取って自治体を解消して、町民には移住してもらう。当然すべての補償は国が行うという選択は国の財政をひっくり返すぐらいの金がかかるだろうけれど、国有地ともなれば放射性廃棄物の最終処分場はもちろん、これから廃炉によって発生する大量の高線量廃棄物や使用済み核燃料の処分場など、トイレのないマンションと言われている原子力発電にトイレができることになり、政府もまんざらではないのではないかと考えてしまいます。福島県民としては政府に都合良くトイレにされることを容易く受け入れるはずはないが、そのくらいのことを考えている官僚もいるのではないだろうか。
原子力発電という出来の悪い湯沸かし器に未来はないし、あんなものを動かそうとしている政府も財界も電力会社も許さない。悪いのは国策として推進してきた政府や財界のエラそうな人たちだし、経営者たちなのだけれど、誰も責任を取らない。一方、東電社員というだけで世間の冷たい空気や、東電内部での事故を起こしたという視線や責任を感じて辞めていく人たちが後を立たないのだとか。しかし今も必死で汚染水対策や廃炉作業にあたっている作業員には敬意を表しますし、危険手当などのピンハネは許されません。原発事故は東電の社員が悪い訳ではありませんし、経済産業省の職員が悪い訳でもありません。私たちは本当の敵を間違わないようにしなければなりません。
震災後の福島では3年半が経過した今も、ネガティブ発言は風評被害につながり、復興に水を差すという空気があると感じています。みんな様々な矛盾を抱え、息苦しさを感じて、もがきながらも日々の忙しさを理由に考えないようにしているのかもしれません。デモや集会に参加できる人はおおいに参加して意思表示すべきですし、うまく表現できない、あるいは意思表示できないとしても、本当の敵を見誤らず心に熱い怒りを燃やし続け長い戦いをしていく運動が大事だと考えさせられました。
、、、、久しぶりに意味不明なことを書いてしまいました。
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