毎日jpですごく切なく共感できる記事を見つけたのでコピペしておく。
偶然の風向きの関係でこのあたりはそれほど高い放射線は出ていないけれど、もしこのあたりが同じ状況になっていたとしたらウチの親も同じ事を言ったに違いない。他に行くところなどないし百姓しかできないもんな。
福島第1原発:計画避難期限「飯舘の土になる」
毎日jp 2011年5月31日 13時35分
例年なら草刈りをしているはずの畝に立ち、田植えのできない水田を見つめる菅野初雄さん(右)と妻紀子さん=福島県飯舘村で2011年5月31日午前8時36分、梅村直承撮影
東京電力福島第1原発の事故で計画的避難区域に指定された福島県飯舘村などは31日、政府が示した避難完了の日を迎えた。
全村避難を求められた同村では住民6177人の2割以上にあたる1427人がまだ行き先を決められなかったり古里を離れられずにいる。
「他に行くとこなんかねえ。おれはここの土になっから」
村内で特に高い放射線量が観測された比曽地区では菅野初雄さん(73)が妻紀子さん(70)と母ルイさん(93)の3人で代々続いてきた田畑を守っていくことを決めた。
「木の若芽で山が薄緑になったら、稲さ植える準備だ。カッコウ鳥は鳴いて、大豆の種をまいていいよ、って教えてくれっから」
比曽地区は、古くから農業に支えられてきた。いつ何をするかは、自然が知らせてくれる。
第1原発2号機で爆発音がした3月15日。自宅裏の木小屋を修繕していると、原発のある南東から風が吹いてきた。翌日、なごり雪が積もった。春の訪れを待ちわびる村に降り注いだのは、色もにおいも感じない放射性物質だった。
1カ月が過ぎた4月下旬。テレビのニュースで、村が計画的避難区域に指定されたことを知った。妻紀子さんは「なんで今ごろ」と首をかしげた。家族がそろった夕食時、菅野さんは「ここは放射能が高いから、体に悪いんだと」と切り出した。母ルイさんがつぶやいた。「出ていくのはやんだ」
間もなく役場から避難希望調査が来た。高齢で足が弱い母は、たぶん避難生活に耐えられない。アンケート用紙に「出ていかない」と書いた。しかし、若い世代への放射能の影響は心配だ。おじいちゃん子の孫たちと離れるのはつらいが、息子夫婦と孫2人には避難するよう促した。
5月末、にぎやかだった食卓は急に静かになった。ルイさんはひ孫たちとの暮らしを思い出しては、涙ぐんでいる。
村で一番標高が高い比曽地区は、真夏でも気温が10度を下回ることがある。家族で土にまみれた半世紀、冷害で何度もの凶作に見舞われた。そのたびに立ち上がれたのは「次がある」と思えたからだった。
今回は、次に田植えをできるのがいつになるのかも分からない。それでも菅野さんは農機具の手入れを欠かさない。
「ずっと働いてきたんだ、なあに、ちょっとした骨休めさ」【山本将克、三上健太郎、山本将克】
偶然の風向きの関係でこのあたりはそれほど高い放射線は出ていないけれど、もしこのあたりが同じ状況になっていたとしたらウチの親も同じ事を言ったに違いない。他に行くところなどないし百姓しかできないもんな。
福島第1原発:計画避難期限「飯舘の土になる」
毎日jp 2011年5月31日 13時35分
例年なら草刈りをしているはずの畝に立ち、田植えのできない水田を見つめる菅野初雄さん(右)と妻紀子さん=福島県飯舘村で2011年5月31日午前8時36分、梅村直承撮影
東京電力福島第1原発の事故で計画的避難区域に指定された福島県飯舘村などは31日、政府が示した避難完了の日を迎えた。
全村避難を求められた同村では住民6177人の2割以上にあたる1427人がまだ行き先を決められなかったり古里を離れられずにいる。
「他に行くとこなんかねえ。おれはここの土になっから」
村内で特に高い放射線量が観測された比曽地区では菅野初雄さん(73)が妻紀子さん(70)と母ルイさん(93)の3人で代々続いてきた田畑を守っていくことを決めた。
「木の若芽で山が薄緑になったら、稲さ植える準備だ。カッコウ鳥は鳴いて、大豆の種をまいていいよ、って教えてくれっから」
比曽地区は、古くから農業に支えられてきた。いつ何をするかは、自然が知らせてくれる。
第1原発2号機で爆発音がした3月15日。自宅裏の木小屋を修繕していると、原発のある南東から風が吹いてきた。翌日、なごり雪が積もった。春の訪れを待ちわびる村に降り注いだのは、色もにおいも感じない放射性物質だった。
1カ月が過ぎた4月下旬。テレビのニュースで、村が計画的避難区域に指定されたことを知った。妻紀子さんは「なんで今ごろ」と首をかしげた。家族がそろった夕食時、菅野さんは「ここは放射能が高いから、体に悪いんだと」と切り出した。母ルイさんがつぶやいた。「出ていくのはやんだ」
間もなく役場から避難希望調査が来た。高齢で足が弱い母は、たぶん避難生活に耐えられない。アンケート用紙に「出ていかない」と書いた。しかし、若い世代への放射能の影響は心配だ。おじいちゃん子の孫たちと離れるのはつらいが、息子夫婦と孫2人には避難するよう促した。
5月末、にぎやかだった食卓は急に静かになった。ルイさんはひ孫たちとの暮らしを思い出しては、涙ぐんでいる。
村で一番標高が高い比曽地区は、真夏でも気温が10度を下回ることがある。家族で土にまみれた半世紀、冷害で何度もの凶作に見舞われた。そのたびに立ち上がれたのは「次がある」と思えたからだった。
今回は、次に田植えをできるのがいつになるのかも分からない。それでも菅野さんは農機具の手入れを欠かさない。
「ずっと働いてきたんだ、なあに、ちょっとした骨休めさ」【山本将克、三上健太郎、山本将克】
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