takubonpapa blog

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910万円に何の意味があるのか

2013-12-23 21:55:57 | 教育
 政府にとって都合の悪い情報を隠蔽して、政府にとって都合の悪い人物を取り締まり、政府にたてつく市民を牽制するための特定秘密保護法という悪法がマスコミに取り上げられ、強行採決されているどさくさに紛れて、高校無償化廃止法案が可決され910万円で線を引く所得制限が導入されてしまった。生活保護法も受給手続きを厳格化され申請しにくい方向に改悪されてしまった。根底に流れる思想はどちらも新自由主義か。

 第2次安倍コベ内閣が発足して1年の間に、オバマ親分から中国や韓国を刺激するなとクギをさされた安倍コベは、真正面からの憲法改正を断念し、96条改正という姑息な手段に出ようとした。そもそも憲法は権力(政府)に対してやってはいけないことと、やらなければならないことを定めているという立憲主義すら理解していない安倍コベに対して、そういう卑怯な一手を保守層からも非難されて取り下げた。そして、もっと姑息に集団的自衛権の解釈を変更し、国家安全保障会議をつくり、特定秘密保護法を成立させるという憲法は変えずに内実を変える手に出て見事に成功した。おそらく安倍コベではなく、頭のいいブレーンが考えたのだろう。消費税は上がるし高校授業料無償化は後退するし薄ら寒い世の中になりそうで気がめいる。実際に福島の冬は寒い。

 高校授業料無償化への所得制限導入は民主党がこの法律を作ったときから、バラマキだの何だのと自民・公明が騒いでいたから予想はできていた。これまで与党として児童手当にこだわって支給額を引き上げてきた公明党は所得制限導入とセットで児童手当に戻してしまった。でも高校生分の特定扶養控除が廃止され増税されたままなのはおかしい。

 高額所得世帯の子女は無料にしなくてもいいではないかという単純なお金の話ではない。未来への投資でああり主権者を育てる経費を社会全体で支える教育費思想がいとも簡単に変えられてしまったことが残念であり、情けないのだ。

 これまで留保していた国際人権社会権規約の中・高等教育費無償化条項を民主党政府が昨年9月にようやく批准したが、所得制限を導入することはこの思想にも反する行為ではないだろうか。

 教室の中に給付を利用できる者とそうでない者という差別を作るのではなく、高額所得者は累進課税によって負担して、それでも再配分が不十分であるなら低所得者にベーシックインカムなどの給付を用意すればいいのではないか。どうしてこんなにもスティグマにこだわりレッテルを貼ることに執着するのだろうか。その行為は見返りを求めず無償の愛を注ぐ美しい日本人とは逆の、醜く無粋な振る舞いであるように思う。
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