takubonpapa blog

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教育としての学校事務

2010-12-13 23:40:13 | 学校事務
 「学校にいる唯一の行政職員」とか「教育行政職員」と自らを規定することがあるが、もともと学校事務職員は教員が行っていた業務を専門的に担うために派生し、配置されたという歴史がある。戦後すぐのころは教員と同一の賃金体系であったものが、教特法適用除外によって分けられ、その後、独自給料表や、福島のような行政職給料表を準用するに至っている。そして我々が行政職員ではないから学校事務職員独自採用であり行政機関との人事交流を行っていないのだろう。つまり行政職員でも教育職員でもなく学校にいる教職員の一員である学校事務職員なのだと思う。

 だから、共同実施の先にある学校事務職員の組織化と事務長制の導入は、週何日かを出張で学校から離れて仕事をするということにとどまらず、学校事務職員ではなく行政職員として規定されることを意味すると思う。そういう意味では東京都や宮崎県のように既に任用一本化で県の行政職員と人事交流が行われているところは、県費負担教職員制度も学校事務職員制度も県職員もごちゃ混ぜにされ、既に学校事務職員ではなく行政職員になっているから組織化や事務長も何の矛盾もないのかもしれない。

 そして正直に言ってしまえば、自らを行政職員と規定することで教育の本質的な問題から目をそらすことができるという気もする。つまり学校の本質的な議論から逃げて知らないふりをするということ。今の教育現場では教師でさえも、どういう子どもを育てるのかという本質的な議論を避け、如何にできるようにするか、如何に点数を上げるかという目先のスキルに傾注するのは、PDCA政策による殺人的な多忙化の中では仕方のないことなのだから、学校事務職員が本質的な課題から逃げるのは致し方ないという面もあると思う。しかし点取り虫の上辺だけ良い子ちゃんにろくな奴はいないとオレは思っていて、そういう人種が官僚的公務員に多いと決めつけている。
 ともかく、かなりしんどい面もあるけれど学校の中で、子どもが背負っている背景をおもいやり、教師とともにしんどさを共有する経験の積み重ねが大事なのではないか。
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