平成20年度に学校事務の全国大会が福島で開催される。その中に福島担当の分科会があるのだが、どういう訳か俺もその発表メンバーに名前を連ねることになってしまった。昨日はその内容検討の初会合があり郡山へ出張してきた。
俺なんかより学校ですばらしい実践をしている人はたくさんいると思う。どういう訳か声がかかったので引き受けたのだが、所詮は現場でやっているささやかな取り組みしか発表することなどできない。保護者からの集金を1円でも減らしたいとしてやっていること、学校公費私費区分に沿って保護者から集めたお金を使うこと、子どもからアンケートをとって予算に活かすことくらいしかやっていないのだが。これから就学援助制度を広く知らせること、ゼッケンを背中と胸に付けているがアイロンプリントの小さいヤツを胸だけにするかなくすこと、新入学説明会の時にお金に関する説明や就学援助の説明について事務職員の出番を入れてもらうこと、保護者に学校予算の実情を公開することなどなどやりたいことはたくさんある。
その辺に関することしか発表できないと言ったら、独りよがりであなたがいなくなったら終わる取り組みだよみたいなことを言われちまった。でも最近俺は独りよがりの自己満足でいいと思っているのだ。だって同じ学校事務職員の中には給与・旅費の定型事務をマニュアルどおりにやることだけが自分の仕事だと考えている人が少なからずいるのだから。俺はそんな仕事だけやっていたのでは正規採用の公務員で学校にいる意義はないと考えている。だからといって俺の独りよがりの自己満足的取り組みをしたからと言って身分が保障されるかどうかはわからないが現場でやれることを精一杯やるしかないと思うんだなぁ。
何が俺をそうさせているのか考えたときに、事務研の研修計画や職務標準などの制度で決められているからではないと思うのだ。そのモチベーションは義務教育は本来給食費まで含めて無償であるべきだという理念と、今の社会があまりにも格差が拡大しその格差が学校に持ち込まれはしないかという危惧だ。すべての子どもがお金の心配をしないで学校に来ることができて、安全で安心な学校生活ができること。雨漏りなどせず、たいていの公共施設と同様にエアコンが入っていて、トイレがきれいで洋式の水洗トイレが入っている学校にしたいという思いがあるからだろうか。そしてそんな基盤的条件すら整備できない状況で何が特色ある学校か、何が学力向上か、カリキュラム経営を云々する前に予算を増額して教材を整備しろと言いたい。そもそも人・物・金の3要素がその権限も含めて与えられない状況で何が学校経営かと言いたい。
俺らにできることは少ないけれど学校で自分にできることを精一杯やるだけだと思う。そして俺はこんなことをやっているよと強制するわけではなくアピールして、共感してくれて同じようにささやかな実践をする人が増えてくれたらいいなと思っている。
俺なんかより学校ですばらしい実践をしている人はたくさんいると思う。どういう訳か声がかかったので引き受けたのだが、所詮は現場でやっているささやかな取り組みしか発表することなどできない。保護者からの集金を1円でも減らしたいとしてやっていること、学校公費私費区分に沿って保護者から集めたお金を使うこと、子どもからアンケートをとって予算に活かすことくらいしかやっていないのだが。これから就学援助制度を広く知らせること、ゼッケンを背中と胸に付けているがアイロンプリントの小さいヤツを胸だけにするかなくすこと、新入学説明会の時にお金に関する説明や就学援助の説明について事務職員の出番を入れてもらうこと、保護者に学校予算の実情を公開することなどなどやりたいことはたくさんある。
その辺に関することしか発表できないと言ったら、独りよがりであなたがいなくなったら終わる取り組みだよみたいなことを言われちまった。でも最近俺は独りよがりの自己満足でいいと思っているのだ。だって同じ学校事務職員の中には給与・旅費の定型事務をマニュアルどおりにやることだけが自分の仕事だと考えている人が少なからずいるのだから。俺はそんな仕事だけやっていたのでは正規採用の公務員で学校にいる意義はないと考えている。だからといって俺の独りよがりの自己満足的取り組みをしたからと言って身分が保障されるかどうかはわからないが現場でやれることを精一杯やるしかないと思うんだなぁ。
何が俺をそうさせているのか考えたときに、事務研の研修計画や職務標準などの制度で決められているからではないと思うのだ。そのモチベーションは義務教育は本来給食費まで含めて無償であるべきだという理念と、今の社会があまりにも格差が拡大しその格差が学校に持ち込まれはしないかという危惧だ。すべての子どもがお金の心配をしないで学校に来ることができて、安全で安心な学校生活ができること。雨漏りなどせず、たいていの公共施設と同様にエアコンが入っていて、トイレがきれいで洋式の水洗トイレが入っている学校にしたいという思いがあるからだろうか。そしてそんな基盤的条件すら整備できない状況で何が特色ある学校か、何が学力向上か、カリキュラム経営を云々する前に予算を増額して教材を整備しろと言いたい。そもそも人・物・金の3要素がその権限も含めて与えられない状況で何が学校経営かと言いたい。
俺らにできることは少ないけれど学校で自分にできることを精一杯やるだけだと思う。そして俺はこんなことをやっているよと強制するわけではなくアピールして、共感してくれて同じようにささやかな実践をする人が増えてくれたらいいなと思っている。
>現場でやれることを精一杯やるしかない
俺もそう思います。
>俺らにできることは少ないけれど学校で自分にできることを精一杯やるだけ
んだんだ!やるなら今しかねえ♪だよね。
今、職場でこういう話ができる人がいなくなっちまったねえ。どうしちゃったんだか。
誰にも譲れないものがある。だから学校なんかに勤めているんだって、俺は思います。papa、ずっと今のままでいてくださいね。あなたのような事務職員に話を聞いてほしいと思っている子ども達が必ずいるはずですから。そのときに、「たとえ苦しくても譲れないものがあるんだ」って、語ってあげてほしいです。その子はきっと大きな勇気をもてると思います。
ちょっと感情的に書いてしまいました。自分自身、孤独な事務室にこもりがちで職場づくりができていないモヤモヤがあります。結局の所、人様の前で話せるような実践など持ってないということなんですがね。
職場で理想を語ったり、バカ話ができる雰囲気でなくなったのは事実ですね。あのころキヌちゃんちから買ってきたダッチョ瓶を飲みながら、五郎さんの「やるなら今しかねえ♪」を聞いて、ラーメン屋で憤慨するシーンや泥の付いた1万円札を渡すシーンを見て騒いでいた頃は時間がゆっくり流れていたような気がします。自分自身にも余裕があったのかな。
譲れないものを、時には妥協しながらも持ち続けることが大事なのかもしれませんね。