takubonpapa blog

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教育財政シンポジウム2010

2010-12-11 23:00:15 | 教育
 今年も東洋大学で開催された教育財政シンポジウムに参加してきた。今年は驚いたことに現役の高校生が2人もパネラーとして参加していた。高校生の1人は私学でもう1人は公立の定時制に通っているそうで、高校の授業料が実質無料になっても教科書代や交通費、施設費、PTA、後援会などの団体会計などの負担が大きく「親に申し訳ない」と話していた。高校生に「親に申し訳ない」と言わせてしまう現状に憤りつつ、私学に通う女子高生は高校生を組織して私学助成拡充の署名やデモなどの運動を起こしている話を聞いて、今時の高校生でも運動に目覚めて運動の楽しさを知っているすごい高校生がいたものだと、何年か前に国連子どもの権利委員会で報告してきた京都の高校生の話を聞いた時と同じ感動を覚えた。そしてまだまだこの国も大丈夫だと思った次第である。

 そして高校の授業料不徴収は貧困対策の一つのきっかけではあるが、貧困対策の大きな成果にはつながっていないということが分かった。これは帰りの新幹線の中で世取山さんの論考を読んで再認識したのだけれど、新自由主義のもとで作られた制度の上では子ども手当などの現金給付を増やしても効果が少なく、むしろ競争主義的な教育制度こそ改める必要があるという論考に妙に納得した。

 小学校の保護者のパネラーからは転校する前の小規模校では集金額が少なかったのに、転校した大規模校では家庭科のミシン糸まで請求されて、算数セットや粘土板なんかは学校に備品として揃えてほしいという発言が妙に説得力があった。東京の学校事務職員の方の、「公費私費負担区分はきわめて曖昧なものであり校長や事務職員の考え次第で180度変わってしまう。」という発言に共感した。予算は多い方がいいに決まっているけれど、憲法に書かれているとおりに教育費を無償にするという熱い思いが大事なのだと思った。

 最後の東洋大学の藤本先生のまとめでは、教育費負担を親の愛情論に矮小化されてきて、子どもの教育にお金をかけるのはあたり前という意識が深く根付いていることが、子どもに「親に申し訳ない」と思わせてしまう要因であり、そこを打ち破ることが大事であること。教育を受けたことによる受益者などというものはなくて、教育を受けた者が社会的責任を果たしていくことが大事なのだという話はもう少し詳しく聞いてみたいと思った。そして最後に高校も普通教育であると考え、憲法26条に照らして考えれば教育を受けさせる義務であり権利であり無償であると考えることができるという趣旨(オレの勝手な思い込みかもしれない、、、)の話は新たな発見だった。もう一度詳しく聞いてみたいと思った。
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