takubonpapa blog

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反貧困 「すべり台社会」からの脱出

2008-10-21 23:45:29 | 最近読んだ本
 数ヶ月前に読んだので忘れかけていますが書いておきます。貧困・格差本が流行っていることもありますが、著者の湯浅誠という人は東大を退学してホームレス支援をしている人で、自分と同世代の人がどうしてこういう社会的活動に目覚めたのかということに一番興味があって買ってみました。

 全体を貫いているのは「貧困は自己責任ではない」ということ。ごく一部のセレブは別として、国民の多くは複数の条件が重なればいつでもすべり台からすべり落ちて貧困になってしまう可能性があるということ。自分自身のこととして考えたとき、自分かカミさんがたおれたら、或いは親が完全介護が必要な状況になったら、どちらかが仕事を辞めて介護することになったら、可能性は十分あると思います。
 今のこの国がすべり落ちたら這い上がれない「すべり台社会」と表現しています。福祉政策が立ち後れ、教育にお金がかかり、若者に正社員の仕事が行き渡らないなど様々な要因は政府の新自由主義的政策による無策によって作り出されているのでしょう。

 自己責任論が幅を利かせていますが、貧困に陥らずに済んだ人は何らかの「溜め」があったからだと述べています。社会的セーフティネットに次ぐ人的・金銭的「溜め」があったとき貧困に陥らないのだと。だから生まれながらに「溜め」がない環境に生まれた人や、挫折したときに「溜め」がなかった人を自己責任でかたづけることはできません。自分がこれまでやってこれたのは決して自分の実力などではなく様々な「溜め」があったからだという謙虚さを持ちたいものです。

 小泉さん以降新自由主義的改革が矢継ぎ早に行われていますが、新自由主義と自己責任論は表裏の関係にあると思います。障害者自立支援・後期高齢者医療など応用負担という名の自己責任の押しつけです。しかしよく考えてみると自己責任論を振りかざした小泉さんも安倍さんも福田さんもみんな世襲政治家なんですね。親の七光りというでっかい溜めがあって政治家になった連中に自己責任を語らないでもらいたい。自民党ををぶっ壊すと豪語した小泉さんは、ちゃっかり自分の息子に後を継がせるってまるで古い自民党のまんまじゃないの。

 人々に住む場所や仕事を与えられない貧困を社会自身の弱体化と捉え、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる強い社会にしなければならないという言葉に共感しました。前に書いた「ルポ貧困大国アメリカ」で堤氏は貧困と戦争は表裏の関係にあると述べていましたが日本でも貧困層が作り出されて、食べていくために戦争に動員されるという状況が生まれているのかもしれません。弱い者同士が足を引っ張り合う社会ではなく貧困問題を解決できる強い社会にするためにオレに何ができるだろうか。
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