takubonpapa blog

 日常の出来事や感じたこと、Mac、バイク、キャンプ、さだまさし等について書いてます。

心つないで

2012-08-05 21:46:10 | 脱原発
 田村地方PTA連合会の研究大会でラジオ福島アナウンサーの大和田新さんの講演を聞いた。大和田さんの言葉の力に胸を打たれ、何度も目頭が熱くなり、福島の復興は教育と医療という主張に共感した。概要をメモしておくことにする。


・ 福島県が忘れ去られようとしている。
・ 総理大臣の終息発言の、冷温停止状態と言う詭弁。
・ 免震重要棟もない大飯原発のどこが安全なのか。
・ 放射線が怖くて医療支援に来ないと言う医療関係者がいる一方で、賠償金をもらってパチンコ通いの暮らしをしていると言われてしまう現実。
・ ライフラインが何ひとつ復旧していない状況での避難区域見直し。
・ ボランティア納棺師の笹原さんのこと。笹原さんの本に掲載された殉職した消防団長の活躍のこと。
・ 福島では2700人が亡くなり、200人が行方不明。
・ 数字だけでは伝わらない、一人一人の悲しみの積み重ねであり、それぞれに愛する人がいる。
・ 小高区萱浜地区で一軒だけ家が残った上野さんのこと。今も父と息子の遺体をさがしているという。
・ 大和田さんが毎日新聞に寄稿した内容の話。被災地を土足で踏み荒らす心ないマスコミ関係者、彼らの使命は一軒だけ残った家を写真におさめることではなく、もっと大局的なことを後世に伝えることではないか。
・ 上野さんたちは原発から21㎞の地域で震災以降4月20日まで防護服もつけずに自分たちだけで40人の遺体を発見した。家族に会いたかったから原発事故も怖くなかったという。原発事故がなければ、助かった命があった。見つけられた遺体があった。今も同じように遺体を探している人たちがいる。

・ いま、多くの人たちに3.11を伝えることが使命だと考えている。

・ 昨年の4月の取材のこと。帰って来ない母親に毎日電話をする子どもがいた。
・ いわきの避難所で抑圧される子どもたちが、津波ごっこ、地震ごっこをする子どもたちの心のケアは充分にしてきただろうか。
・ 子どもたちに救われたというが、子どもたちなりにその小さな胸に抱えた深い悲しみを乗り越えようとしている。私たち大人は子どもたちに救いを求めるのではなく、寄り添わなければならない。

・ いま教育と医療が重要だと考えている。
・ 廃炉まで40年、中間貯蔵施設に30年かかる。県がリーダーシップを示さず、この無責任社会で私たちは子どもたちに何を残すというのか。今水俣病の原告で闘っているのは50代、フクシマも孫子の代まで負の遺産を残すのか。私は廃炉まで見届けてやろうと考えている。
・ 今この瞬間にも震度6強の地震がくるかわからない状況の中で、私たちは原発も地震も津波も終わったこと、もう来ないという錯覚に陥っていないか。3.11の教訓を生かさなければ亡くなった人たちの死が無駄になってしまう。被災地フクシマに残った、フクシマに生きるものとしての責任を果たさずして大飯原発に反対することはできないのではないか。
・ 昨年、県教委は教員採用試験を見送った。福島の最大の間違いだ。教員も被災しながら教育にあたっている。浜通りの教員を増やして子どもたちに寄り添わなければ福島の復興はない。
・ 保健室に泣きにくる子どもより、泣きに来られない、悲しみがあふれそうな子どもたちに寄り添わなければならない。

・ 回収すら困難な県民健康調査ではなく、ホールボディカウンターで検査をして、安全・安心を担保すること。子どもたちが、将来出産できないとか、結婚できない、ガンになるという心配や差別を払拭できるような教育を医療の裏付けのもとにおこなうこと。そんな放射線教育を確立すること。原発事故があったことで福島医大を放射線によるガン研究の最先端の大学にして、日本一の長寿県にすることを目指すべきだと思う。
・ 富岡高校女子サッカー選手で生徒会長の卒業式での「天を恨まず与えられた自分の運命を自らの手で切り開いて行く」という言葉に感動した。そういう子どもたちがいっぱいいる。
・ 取材した700人の子どもたちの将来の夢は、自衛隊・消防・警察・教員・医者・自治体職員・看護師・理容師だった。教員になりたいという子どもが多かったのは被災地で頑張った先生に憧れてのこと。被災地で頑張った先生が浜通りにはたくさんいて、あこがれる子どもたちがいる。そして政治家になりたいと答えたのは1人だけだった。そのぐらい今の政治は子ども達にとって役に立っていると思われていない。
・ 学生のときに阪神淡路大震災のときにボランティアをして政治を変えたいと思って政治家を志した原発担当大臣の細野さんに聞いたら「不徳の致すところです」と答えた。マザーテレサの「多くの民の幸せを願う者は、今傍らに倒れているひとりを助けなさい」という言葉を政治家に贈りたい。
・ 県外との温度差だけでなく県内でも温度差を感じている。浜通りの子ども達に寄り添わなければ福島の復興・復旧はない。フクシマの復興は浜から、教育から、福島に生きる意味を考えたい。ここで生きて行くという決意を子ども達に語れる大人でありたい。


・ 1月に悲しいことがあった。
・ 郡山の大工さんの所に金沢市の小学校から16個の使い古したランドセルが届いた。大工さんが近くの幼稚園や保育所などの教育関係者に話したら新品ではないからと断られた。
・ 新品はいるけど中古はいらないということで福島の復興はあるのか。
・ 相馬市の保育園に届けたら、小学校入学の練習に使えるということで喜んでもらえた。ランドセルの中に「大切に使ってほしい」という内容の手紙が入っていて教育的に使える教材だった。
・ 子どもたちのために何が必要で何をしなければならないのか、フクシマで生きることを決めた大人として共に考えよう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝まで生討論か? | トップ | 小学校の入学式 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿