暮れに仕事の大先輩のササキさんが逝っちまった。最後にお会いしたのは去年の2月だっただろうか。3月で再任用を終え正式に退職してこれからすばらしい余生をおくるはずだったろうに。今日はそのササキさんとの別れの日で「儚い」という思いを噛みしめた1日だった。
ササキさんに初めてお会いしたというか、お見かけしたのは何年か前の県大会の時だったろうか。まだ定年前の頃でスリーピースのスーツにスキンヘッドの風貌と、シンプルで的確な発言からは何か近寄りがたい雰囲気を醸していた。
それが何かのご縁でオレが今の学校に異動するときに再任用でササキさんが後任に入って下さることになった。異動を控えた3月末に事務引継ぎに来校して、オレの不慣れな引継ぎに付き合って下さったのだった。難しい人なんだろうなと想像していたのだが、苦笑しながら冗談を言う気さくな人でホッとさせられたことを覚えている。ほとんどの内容をパソコンで引き継いだのだがあまり使い慣れていない様子でちょっと無理をさせてしまったかもしれねえなぁ。とにかくオレがやりたい放題で勝手に作ってきた形を長年の経験と知恵でまともな形にして下さったことだろう。そして2年間も約30キロの通勤で頑張っていただいた。
地区の事務研究会の時にはいつも笑顔で声をかけて下さり、最初はその風貌とのギャップにちょっと驚いたけどだんだんこちらも慣れてきて軽口をたたいたり、時に失礼なことを言ってしまったことを今さらながら反省している。いつも「今度いっぱい注ぎますから。」などと言っておきながら懇親会に自分が行けなかったり、ササキさんが来られなかったり。最後にお会いしたのが去年の2月の懇親会だったが、オレが自分のところでいつものように騒いでいて注ぎに行く前にササキさんが帰ってしまったことが悔やまれる。まさかあれが最後になるなんて。
そして暮れに知らせがあるまで病気のことは知らなかったのだが、本人は余命を知っていながら家族の他には言わなかったらしい。これはオレの勝手な想像だが余命を知っていたから再任用をしてまで学校事務職員を続けて後輩を育てたかったのかもしれない。あのスキンヘッドは薬のせいだったのかもしれない。勝手な想像はいくらでもできるが市教委や出納室に対して言うべきことをビシッと言ってくれている姿が今も目に焼き付いている。オレも現実逃避ばかりしてないで頑張らなくちゃな。
ササキさん。すみませんでした。ありがとうございました。どうか安らかに。
ササキさんに初めてお会いしたというか、お見かけしたのは何年か前の県大会の時だったろうか。まだ定年前の頃でスリーピースのスーツにスキンヘッドの風貌と、シンプルで的確な発言からは何か近寄りがたい雰囲気を醸していた。
それが何かのご縁でオレが今の学校に異動するときに再任用でササキさんが後任に入って下さることになった。異動を控えた3月末に事務引継ぎに来校して、オレの不慣れな引継ぎに付き合って下さったのだった。難しい人なんだろうなと想像していたのだが、苦笑しながら冗談を言う気さくな人でホッとさせられたことを覚えている。ほとんどの内容をパソコンで引き継いだのだがあまり使い慣れていない様子でちょっと無理をさせてしまったかもしれねえなぁ。とにかくオレがやりたい放題で勝手に作ってきた形を長年の経験と知恵でまともな形にして下さったことだろう。そして2年間も約30キロの通勤で頑張っていただいた。
地区の事務研究会の時にはいつも笑顔で声をかけて下さり、最初はその風貌とのギャップにちょっと驚いたけどだんだんこちらも慣れてきて軽口をたたいたり、時に失礼なことを言ってしまったことを今さらながら反省している。いつも「今度いっぱい注ぎますから。」などと言っておきながら懇親会に自分が行けなかったり、ササキさんが来られなかったり。最後にお会いしたのが去年の2月の懇親会だったが、オレが自分のところでいつものように騒いでいて注ぎに行く前にササキさんが帰ってしまったことが悔やまれる。まさかあれが最後になるなんて。
そして暮れに知らせがあるまで病気のことは知らなかったのだが、本人は余命を知っていながら家族の他には言わなかったらしい。これはオレの勝手な想像だが余命を知っていたから再任用をしてまで学校事務職員を続けて後輩を育てたかったのかもしれない。あのスキンヘッドは薬のせいだったのかもしれない。勝手な想像はいくらでもできるが市教委や出納室に対して言うべきことをビシッと言ってくれている姿が今も目に焼き付いている。オレも現実逃避ばかりしてないで頑張らなくちゃな。
ササキさん。すみませんでした。ありがとうございました。どうか安らかに。
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