どうやら青森でインフルエンザをもらってきたらしく21日の夜からおかしいなと思って22日は仕事を休んだ。午後に病院へ行って調べてもらったが陰性でとりあえずカゼ薬を処方された。薬を飲んで寝たのだけれど23日になっても良くならないので、もうこれはタミフルを飲まなければ治らないと思って再度病院へ行った。ちなみに母親も調子が悪いとのことなので一緒に出かけた。この時までは月曜日にインフルエンザにかかった次男を看病していたせいだと思い込んでいたのだが、検査結果を聞いてガックリきた。母親は次男と同じB型だったがオレは全く関係ないA型で、一緒に青森へ行ったSさんに電話したら同じくA型でダウンしているとのことで青森でもらったか、オレが持って行ったのかもしれない。
まあ、そんなわけでフラフラになって寝込んでいたが2個目のタミフルを飲んだら急激に症状が良くなった。それでも熱が下がってから2日間は外出できないので、新潟の仲間に呼ばれていた講演をドタキャンして申し訳ないことをしてしまった。代わりにOさんが行ってくれたので助かった。
ここまでが前置きで、インフルエンザのおかげで同僚の栄養教諭から借りていた本を読みきることができたというのが、今日のエントリーの本題なのだ。
第一印象
双葉郡を中心とする原子力ムラ論であって、フクシマ論ではない。本音を言えばこれまで原発に依存し豊かさを享受してきた立地自治体と、それ以外の被害だけを受けた自治体の感情は大きく違っており一般化されては困る。
主な内容は
・ 日本の近代化 戦後地方史
・ 県とムラの自動的かつ自発的な服従の歴史的形成過程
・ 原発ムラ=植民地という捉え方
・ 五章以降を読めば概要は理解できる
単純で二項対立的な問題ではない奥深さがある。しかしこれまでの研究でも単純な二項対立で描いていたわけではなく、賛成反対の狭間で分断され葛藤を抱えながら、国に翻弄され原発漬けにされてきたと認識されていた。
読み物として印象に残ったところ
・ 前双葉町長岩本忠夫の転向
・ 佐藤栄佐久の対原発政策と失脚
・ 詩人 草野比佐男「村の女は眠れない」
<原子力ムラ>と原子力ムラの使い分けにはムラに生きる者として共感できた。都会暮らしの人々を魅了するDASH村が、実は原子力ムラのすぐそばにあるという欺瞞と牧歌的なムラに対する幻想でしかない。ムラの実態は極めて保守的で閉鎖的でタブーには触れないという暗黙の了解がありドロドロしたものなのだ。
戦中戦後から五五年体制に象徴される、地方やムラが自ら中央に国家事業を取りにきて、自ら服従して行く効率的な間接統治のシステムが出来上がった。新自由主義改革によって縮小された地方交付税制度が、本来は都市とムラの格差を是正するシステムであったはずだが、新自由主義改革によって地方が競争させられ服従のメカニズムが高度化した。
「原子力は幻想を映し出すメディアで、みんなだまされていたということではなく、原子力というメディアの幻想があったがゆえに、戦後の経済成長が達成できたという事実」という認識に共感した。
普天間基地問題も反原発も一時の流行のように消費されていく対象でしかないことが、この国の無責任な民衆の大きな問題だと思う。
全体をとおして結論ありきで、自分だけがこの道の研究の第一人者だという勘違いもあるのではないか。フィールドワークを大事にしている割にはルポと呼べるほど迫りきれていない。修士論文としては限界か。
浪江小高原発が頓挫した運動の経過についてもっと掘り下げてほしかった。ただしこの本は単なる原発本ではなく日本の近代史だからそこまでのことを求められない。そしてこの論文が3.11以前の誰も原子力の平和利用と原発依存は止められないと考えていた時期に大学院生が書いたというところに大きな意味がある。
最後の「信心を捨て現実に向き合うことからしか始まらない。」というくだりがこの著書で唯一の今後の視座であるが、もっと具体的にポスト原発を考え、原発依存から立ち直らせる道筋を考えなければならない。さらには利権を媒介して服従が生まれる中央と地方とムラの関係は今後どうあるべきなのかにも踏み込んでほしかった。何れにしても社会学の限界か。(経済や政策に疎そう)
今後、博士論文がどうなるか、政治に利用されるかなど注視したい。
福島第一と第二を間違えて表記しているところがあった。
参考
(ちょっと生々しいが印象に残ったので全文を検索してみた)
「村の女は眠れない」 草野比佐男
女は腰を夫に預けて眠る
女は乳房を夫に預けて眠る
女は腰を夫にだかせて眠る
女は夫がそばにいることで安心して眠る
夫に腰をとられないと女は眠れない
夫に乳房をゆだねないと女は眠れない
夫に腰をもまれないと女は眠れない
夫のぬくもりにつつまれないと女は眠れない
村の女は眠れない
どんなに腕をのばしても夫に届かない
どんなに乳房が熱くみのっても夫に示かせない
どんなに腰を悶えさせても夫は応じない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
村の女は眠れない
眠れない夜ごとの夫への思いはつきない
沼のほとりの乾草小屋への記憶が遡って眠れない
あぐらの中に抱いて髪につく草くずを拾ってくれたぶきようで優しい指はここにはない
村の女は眠れない ひとりの夜は寒い
村の女は眠れない
納戸を内側から錠をおろしても眠れない
だれの侵入を防ぐのでもない
熟れきったからだが戸を蹴破ってふぶきの外にとびだすのをおそれて眠れない
眠れない女を眠らす方法は一つしかない
ぴったりとからだを押しつけて腕を乳房を腰を愛して安心させてやるほかはない
そうしないかぎり女は眠れない
村の女は眠れない
村の夫たちよ 帰ってこい
それぞれの飯場を棄ててまっしぐらに眠れない女を眠らすために帰ってこい
横柄な現場のボスに洟ひっかけて出稼ぎはよしたと宣言してこい
にとって大切なのは稼いで金を送ることではない
女の夫たちよ 帰ってこい
一人のこらず帰ってこい
女が眠れない理由のみなもとを考えるために帰ってこい
女が眠れない高度経済成長の構造を知るために帰ってこい
帰ってこい 自分も眠るために帰ってこい
税金の督促状や農機具の領収書で目貼りした納戸で腹をすかしながら眠るために帰ってこい
胃の腑に怒りを装填するために帰ってこい
装填した怒りに眠れない女の火を移して気にくわない一切を吹っとばすために帰ってこい
女といっしょに満腹して眠れる日をとりもどすために帰ってこい
たたかうために帰ってこい
帰ってこい 帰ってこい
村の女は眠れない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
許せない時代を許す心情の頽廃はいっそう許せない
72年結成「双葉地方原発反対同盟」が作った「原発落首」
(うまいこと言うなぁ)
「このごろ、双葉にはやるもの 飲み屋、下宿屋、弁当屋 のぞき、暴行、傷害事件 汚染、被爆、偽発表 飲み屋で札びら切る男 魚の出所聞く女。
起きたる事故は数あれど 安全、安全、鳴くおうむ
形振り(なりふり)構わずばらまくものは 粗品、広報 放射能 運ぶあてなき廃棄物 山積みされたる恐ろしや
住民締め出す公聴会 非民主、非自主、非公開
主の消えたる田や畑 減りたる出稼ぎ増えたる被爆
避難計画つくれども 行く意志のなき避難訓練 不安を増したる住民に 心配するなとは 恐ろしや」
まあ、そんなわけでフラフラになって寝込んでいたが2個目のタミフルを飲んだら急激に症状が良くなった。それでも熱が下がってから2日間は外出できないので、新潟の仲間に呼ばれていた講演をドタキャンして申し訳ないことをしてしまった。代わりにOさんが行ってくれたので助かった。
ここまでが前置きで、インフルエンザのおかげで同僚の栄養教諭から借りていた本を読みきることができたというのが、今日のエントリーの本題なのだ。
第一印象
双葉郡を中心とする原子力ムラ論であって、フクシマ論ではない。本音を言えばこれまで原発に依存し豊かさを享受してきた立地自治体と、それ以外の被害だけを受けた自治体の感情は大きく違っており一般化されては困る。
主な内容は
・ 日本の近代化 戦後地方史
・ 県とムラの自動的かつ自発的な服従の歴史的形成過程
・ 原発ムラ=植民地という捉え方
・ 五章以降を読めば概要は理解できる
単純で二項対立的な問題ではない奥深さがある。しかしこれまでの研究でも単純な二項対立で描いていたわけではなく、賛成反対の狭間で分断され葛藤を抱えながら、国に翻弄され原発漬けにされてきたと認識されていた。
読み物として印象に残ったところ
・ 前双葉町長岩本忠夫の転向
・ 佐藤栄佐久の対原発政策と失脚
・ 詩人 草野比佐男「村の女は眠れない」
<原子力ムラ>と原子力ムラの使い分けにはムラに生きる者として共感できた。都会暮らしの人々を魅了するDASH村が、実は原子力ムラのすぐそばにあるという欺瞞と牧歌的なムラに対する幻想でしかない。ムラの実態は極めて保守的で閉鎖的でタブーには触れないという暗黙の了解がありドロドロしたものなのだ。
戦中戦後から五五年体制に象徴される、地方やムラが自ら中央に国家事業を取りにきて、自ら服従して行く効率的な間接統治のシステムが出来上がった。新自由主義改革によって縮小された地方交付税制度が、本来は都市とムラの格差を是正するシステムであったはずだが、新自由主義改革によって地方が競争させられ服従のメカニズムが高度化した。
「原子力は幻想を映し出すメディアで、みんなだまされていたということではなく、原子力というメディアの幻想があったがゆえに、戦後の経済成長が達成できたという事実」という認識に共感した。
普天間基地問題も反原発も一時の流行のように消費されていく対象でしかないことが、この国の無責任な民衆の大きな問題だと思う。
全体をとおして結論ありきで、自分だけがこの道の研究の第一人者だという勘違いもあるのではないか。フィールドワークを大事にしている割にはルポと呼べるほど迫りきれていない。修士論文としては限界か。
浪江小高原発が頓挫した運動の経過についてもっと掘り下げてほしかった。ただしこの本は単なる原発本ではなく日本の近代史だからそこまでのことを求められない。そしてこの論文が3.11以前の誰も原子力の平和利用と原発依存は止められないと考えていた時期に大学院生が書いたというところに大きな意味がある。
最後の「信心を捨て現実に向き合うことからしか始まらない。」というくだりがこの著書で唯一の今後の視座であるが、もっと具体的にポスト原発を考え、原発依存から立ち直らせる道筋を考えなければならない。さらには利権を媒介して服従が生まれる中央と地方とムラの関係は今後どうあるべきなのかにも踏み込んでほしかった。何れにしても社会学の限界か。(経済や政策に疎そう)
今後、博士論文がどうなるか、政治に利用されるかなど注視したい。
福島第一と第二を間違えて表記しているところがあった。
参考
(ちょっと生々しいが印象に残ったので全文を検索してみた)
「村の女は眠れない」 草野比佐男
女は腰を夫に預けて眠る
女は乳房を夫に預けて眠る
女は腰を夫にだかせて眠る
女は夫がそばにいることで安心して眠る
夫に腰をとられないと女は眠れない
夫に乳房をゆだねないと女は眠れない
夫に腰をもまれないと女は眠れない
夫のぬくもりにつつまれないと女は眠れない
村の女は眠れない
どんなに腕をのばしても夫に届かない
どんなに乳房が熱くみのっても夫に示かせない
どんなに腰を悶えさせても夫は応じない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
村の女は眠れない
眠れない夜ごとの夫への思いはつきない
沼のほとりの乾草小屋への記憶が遡って眠れない
あぐらの中に抱いて髪につく草くずを拾ってくれたぶきようで優しい指はここにはない
村の女は眠れない ひとりの夜は寒い
村の女は眠れない
納戸を内側から錠をおろしても眠れない
だれの侵入を防ぐのでもない
熟れきったからだが戸を蹴破ってふぶきの外にとびだすのをおそれて眠れない
眠れない女を眠らす方法は一つしかない
ぴったりとからだを押しつけて腕を乳房を腰を愛して安心させてやるほかはない
そうしないかぎり女は眠れない
村の女は眠れない
村の夫たちよ 帰ってこい
それぞれの飯場を棄ててまっしぐらに眠れない女を眠らすために帰ってこい
横柄な現場のボスに洟ひっかけて出稼ぎはよしたと宣言してこい
にとって大切なのは稼いで金を送ることではない
女の夫たちよ 帰ってこい
一人のこらず帰ってこい
女が眠れない理由のみなもとを考えるために帰ってこい
女が眠れない高度経済成長の構造を知るために帰ってこい
帰ってこい 自分も眠るために帰ってこい
税金の督促状や農機具の領収書で目貼りした納戸で腹をすかしながら眠るために帰ってこい
胃の腑に怒りを装填するために帰ってこい
装填した怒りに眠れない女の火を移して気にくわない一切を吹っとばすために帰ってこい
女といっしょに満腹して眠れる日をとりもどすために帰ってこい
たたかうために帰ってこい
帰ってこい 帰ってこい
村の女は眠れない
夫が遠い飯場にいる女は眠れない
女が眠れない時代は許せない
許せない時代を許す心情の頽廃はいっそう許せない
72年結成「双葉地方原発反対同盟」が作った「原発落首」
(うまいこと言うなぁ)
「このごろ、双葉にはやるもの 飲み屋、下宿屋、弁当屋 のぞき、暴行、傷害事件 汚染、被爆、偽発表 飲み屋で札びら切る男 魚の出所聞く女。
起きたる事故は数あれど 安全、安全、鳴くおうむ
形振り(なりふり)構わずばらまくものは 粗品、広報 放射能 運ぶあてなき廃棄物 山積みされたる恐ろしや
住民締め出す公聴会 非民主、非自主、非公開
主の消えたる田や畑 減りたる出稼ぎ増えたる被爆
避難計画つくれども 行く意志のなき避難訓練 不安を増したる住民に 心配するなとは 恐ろしや」
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