ケイシロウとトークアバウト

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馬場亜子とマスラオのシンの任侠一番2

2019-09-24 22:10:00 | 日記




馬場夫婦が[誠組]を乗っ取るや否や、
組にいる反対勢力を、
あらゆる策略を持って、
追い払った。
一方で、
他の、
反対勢力のヤクザ一家の組長を次々と、
丑の刻参りで呪い、
その勢力を磐石なものとした。

ある日、
馬場夫婦が、腹が減ったと言って台所に入り込み、
ジャーの飯を掴んで喰って、
すぐに吐き出し、
シャモジで女中の喉を突いた!
マスラオは、
「なんじゃあ❗️この飯は。硬くて喰えんやないか❗️」と、ガナった!
馬場亜子も、
「飯にすじが通っとらんから、硬いんや❗️」と、インネン付けた。
女中は喉を押さえて、ゲホゲホと、
「まだ、炊けておりません」と答えた。
つまり、
この夫婦は、
飯と米の区別がつかなかったことになる😳
マスラオは馬場亜子に、
「ババア❗️こら!貴様が能無しやから、恥かいたんじゃ❗️」とガナった。
馬場亜子は、
「ババアじゃねぇ❗️馬場亜子じゃ❗️こら!最後の子の字が抜けとんじゃ❗️貴様!」と言って、
小刀出して、
マスラオの腕を刺した!
マスラオは悲鳴をあげて、
「ババア❗️こら!誰に刃物向けとんじゃ!!貴様❗️」と、怒鳴った!
馬場亜子は、
「ババアじゃねぇ❗️馬場亜子じゃ❗️」と叫んんで、マスラオに飛びかかった!
もう、
低を超えた最低の底辺夫婦やった。

一方、
東京で過ごしていた、
組長夫妻の一人息子、
誠佐七こと、通称、任侠佐七は、
馬場夫婦壊滅を仏前に誓い、
帰郷してきた。

まあ、
ケイジロウ。
区切りがエエから、
きょうは、ここまでにしとこう。





馬場亜子とマスラオのシン任侠一番

2019-09-24 21:15:00 | 日記



本来、この記事は、
livedoor blogに先月投稿したもんやけど、
このスーパー型破りの馬場夫婦のやらかした様々な背情行為の物語は、
ここ、
gooにあってこそふさわしい。
そして、
この夫婦物のすべての記事を、
大好きなケイジロウに献上する。
そのココロは、
こんな人間になるなよ、という、メッセージ。

今から45年前。
とある小さな港町に、
[誠組]という、ヤクザ一家があった。
ここに、
中央のヤクザの抗争で、
食うや食わずで逃げ延びた、
中年のヤクザ夫婦がいた。
夫は馬場マスラオ。その妻は馬場亜子。
この夫婦は、
逃げまくり生活で、
腹を空かしまくっていたので、
組事務所前で、
通りすがりの子供のカールを取り上げて、
むさぼり食った😋😋
この光景を見ていた[誠組]組長の誠吉は、
馬場夫婦を不憫に思い、
事務所に上がらせて、
最上の食と、組員としての職を与えた。
馬場夫婦は、
畳に額を擦り付けて泣きじゃくり、
「この御恩は、100万年経っても忘れません」と言った。

三年の月日が流れた。
[誠組]が、
薬物を扱っているというデマが流れ、
警察が踏み込んで来た。
馬場夫婦は、
組長夫妻を裏口から逃がして、
近所の旅館まで連れて行き、
「ここなら、大丈夫です」と言ったので、
組長夫妻が、中に入ると、
すぐに逮捕された。

組長夫妻の逮捕に揺れる[誠組]の面々に、
馬場マスラオは、
「貴様ら!きょうから俺が組長じゃ❗️」と凄んだ。
あっと言う間の出来事やった。
こうして、
[誠組]は、
馬場夫婦に、
乗っ取られた。
〜続く。1時間後ぐらいに。


誰にも言えん話

2019-09-24 02:35:00 | 日記



とある内科病棟の一室で、
手術前でいらいらしている若い女がいた。
理由は、
手術の立会いになるはずのばあちゃんが来ない。
このままやったら、
手術の後回しか、延期にさせられる。
女は、
怒って独り言呟いた。

そこに、
点滴打ちながら、
看護師に支えられた、ばあちゃんが入ってきた。
鼻には酸素吸入用のチューブが入っている。
女は「何やっとんやぁ❗️こんな時間に!」と怒鳴った。
ばあちゃんは弱々しく「すんません」と謝った。
ばあちゃんの付き添い看護師が、
ばあちゃんが、
朝方に、
心臓発作起こした事を告げた。
女は「知るか❗️そんなもん!こっちは手術やぁ❗️」と、ガナった。
ばあちゃん、
顔色が悪くなり、
胸を押さえて膝まずき、
苦しそうに、ハアハア息した。
女はガチギレして「死ぬな!死ぬな!!死ぬな‼️」と、怒鳴った!
娘は、
ストレス性の胃炎が悪化したことによる手術で、
二十分程度で終わるもんやったらしい。
こんな事の為に、
命がけで、手術の立会いさせられた、ばあちゃんは、
むちゃ気の毒や‼️





FMおいさん

2019-09-23 04:46:00 | 日記



あんまり、馬鹿にしたら悪いんやけど、
昔、
俺のおいさんが、
太平洋戦争時に、
徴兵されて、ビルマ(現ミャンマー)で戦った際、
負傷して、
頭に金属を入れて帰国した。
その為、
FM電波が、
頭の中の金属に入ってしまう。

おいさんが来て、
俺の両親と話している最中に、
FM電波が頭の金属に届いた。
おいさんの頭から、「泡沫サタデーナイト」が鳴り出したので、
俺は「モーニング娘や!」、と喜んで、おいさんのそばに来て、
「あっち行けや!」と、おいさんに、ガナられた思い出がある。

そんなおいさんと、モールに行った時、
又、
FM電波が、おいさんの頭の金属に届いた。
やから、
おいさんの頭から、
女DJの「抱いて!抱いて!抱いて!」という声が、鳴り響いた時、
おいさんは悲しく、
俺に言ったもんやった。
「おじさんは、多分、前世では、ラジオやったんやろな」
馬鹿なこと言うんじゃないよ😁😁😁
何で、
生き物やなくて置き物のラジオが転生するんやろか😁⁉️
それに、
江戸時代には、
ラジオはなかったはずや!
でも、
そう嘆きたい、
おいさんの気持ちは、わかるんやけどね🤗


校門遥かなり〜悲しき急勾配坂物語

2019-09-22 01:49:00 | 日記



オノウコが通学してた高校の通学路は、
凄まじい急勾配の坂。
通学路と言うより、
山道😳
駅から校門まで、
この急勾配坂道を五十分も登らないといけない。
ここの高校の生徒たちは、
登校するというよりも、登山していると考えた方が、
現実的らしい。

オノウコの一つ年上のキウチ先輩は、
ドラム缶とあだ名された、大メタボ。
やから、
登校はきつ過ぎる。
下校は、比較的ラクか⁈
そして、
キウチ先輩は、
大の負けず嫌い!
何でも一番でないと気が済まない。
それで、
登校一番乗りの初快挙あげようと、
早く寝て、早く起きた。
そして、
唇噛み締めながら、
急勾配の坂道を登る。
校門が見えたので、
うれしくなって、早足になった途端、
足がもつれて、
転んで、
急勾配坂道を、
ぐるぐる横回転しながら、
駅まで、転がり落ちた。

翌日、
キウチ先輩は、再び早起きして、
五十分かけての急勾配登校。
眠くてよろめきながらも、
ようやく校門までたどり着き、
喜んでいたところを、
背後からオノウコが来て、大声で、
「先輩、おっはー‼️」
キウチ先輩、驚き過ぎて、足がもつれ、
転んで、
ぐるぐる横回転しながら、
駅まで、転がり落ちた。

更に翌日、
今度こそ、登校一番乗りの栄冠求めて、早起き!
五十分の急勾配坂道登校。
校門が見えた。
その近くで、
小学生が野球している。
キウチ先輩が、校門の前に来た時、
野球で打たれた球が、キウチ先輩の頭に直撃!!
足がもつれて倒れ、
ぐるぐる横回転しながら、
駅まで、転がり落ちる途中、
小学生達を指差して、
「お前ら、殺すからな!」
と、捨てゼリフ残して、
駅の方向に、
転がり消えた!