たまさかの出会い

定年後、福岡に移住し、福岡の食と自然と歴史散歩を楽しんでいます。

志賀島

2020-10-05 09:44:25 | お出かけ

先日、「志賀島」に行ってきました。

行程

博多港 → 志賀島 → 昼食(中西食堂) → 志賀海神社 → 金印公園 → 志賀島渡船所 → 博多港

博多港 良い天気です!

    

11時40分博多港発 志賀島12時10分着の船に乗船

    

この船で、志賀島迄30分です。(途中、西戸崎に寄港)

    

下船後、昼食を食べに、近くの「中西食堂」に直行。

    

30分待ちで、お目当ての「さざえ丼」を食べ、「志賀海神社」に向かいます。(約8分)

    

本殿は、階段の上です。

    

志賀海神社

志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮であり、4月と11月の例祭において「君が代」の神楽が奉納される全国的にも珍しい神社である。(wikipediaより)

    

遥拝所

    

神功皇后が三韓へ出兵される時、この浜(打昇浜 うちあげはま 海の中道)に戻って来れるように願った浜が正面に見えます。

    

[ 亀 石 ]

神功皇后の三韓出兵の成功を祈願された時、黄金の雌雄の亀に乗って二柱の神が現れ、出兵を守ると伝えたとのことです。その時の亀が後に石になって金印公園の辺りに現れたものを、こちらに移したとのことです。

    

「志賀海神社」の参拝を終え、「金印公園」に向かいます。

3年前、工事中で見学できなかった公園です。

今は綺麗に整備されています。

    

階段を上り一番上の展望台に「金印」のモニュメントが有りました。

    

右側の箱の中に実寸大の金色の「金印」が浮かんでいました。

[ 金 印 ]

1784年(天明4年)甚兵衛という志賀島の農民が田んぼを耕している最中に「金印」を偶然発見したもので、現在、実物は「福岡市博物館」で見る事が出来ます。

巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。発見された金印は、郡奉行を介して福岡藩へと渡り、儒学者 亀井南冥は『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると同定し『金印弁』という鑑定書を著している。

1931年(昭和6年)国宝に指定

大きさは、印面一辺の平均2.347cm、鈕(ちゅう、「つまみ」)を除く印台の高さ平均0.887cm、総高2.236cm、重さ108.729g、体積6.0625cm³。

純金製の王印 印文「漢委奴國王

金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物として水銀などが含まれ、出土している後漢代の他の金製品とも略一致している。(wikipediaより)

    

この後、渡船所に向け歩きました。

    

15時40分志賀島発 16時10分博多港着の船(右側の大きな船)に乗りました。

    

船内は広くて快適でした。

    

さよなら、志賀島!

    

一日のんびりと志賀島を楽しみました。


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