Truth Diary

初心忘スルベカラズ

 新年度、入社式などで、多用される、この格言について調べてみた。能楽者世阿弥の有名な言葉ですが、実は、この言葉は格言の一部分のみが有名になり、世間で広く引用されてきたが、あらためて全文を記すと

是非ノ初心、忘ルベカラズ

時分ノ初心、忘ルベカラズ

老後ノ初心、忘ルベカラズ

 是非ノ初心 これは、若い修行者にむかっての言葉で、「是」はうまくいったこと、「非」は失敗したこと。

 若さには”花”と”勢”いがある。いずれも、本人が自覚していない取柄である。周りの者から無謀だと思われていた、難しい局面で、「私やってみせます」と、若さゆえの向こう見ずと、勢いで、見事成し遂げた時、「若いからできたんだなあ」なんて言葉を先輩からかけられる、そのようなことです。

 非、とは失敗である、稽古不足、勉強不足、経験不足。ある時は”若さ”への甘えからくる失敗である。

 つまり、「是非ノ初心」とは、若い演者が、舞台がうまくいって、「とてもよかったよ」と言われても、それは、”若さ”ゆえのこと、「なんだ、あのざまは」と言われたら、それは未熟が原因であること、それをしっかりと覚えておけ、という教えなのです。

 時分ノ初心。これは中年のための言葉です。35歳には35歳の、45歳には45歳の”初心”があるべき。その本質は”花”なんです。仕事でも遊びでも、過不足ないこと、それが”花”というもの。

 厳ともいう。この字には「げん」『きびし」のほかに、「うつくし」という読み方があると、故草柳大蔵氏は言われました、厳島神社の由来はその辺にあるかとも。

 美しさと厳しさは表裏一体なのではないだろうか。とことん突き詰めて、無駄なものを削いでゆく、その極限のシンプルな美しさは、厳しさにほかならない、それこそが真の本物なのだと思います。

 こらは、何事にもあてはまります。学問でも、スポーツでも、芸術でも、人生でも言えます。

 最後、老後ノ初心。歳をとれば誰でも容姿は衰える、だから、せめて「老醜」を見せぬよう、熟練者ならではの”花”を工夫せよとのことである。

 世阿弥という人は、優しい師匠であったのだろう、だから、弟子たちが心配で、容赦のない言葉で、ゆるがせにできない内容を伝えたかったのだろうと思います。こういう人を本当の師匠、先輩というんだと教わりました。

 さて、人に言うより、自分の”老後ノ初心”を真剣に考えなければ、あと5日で名実ともに高齢者だ。

 

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