Truth Diary

厳冬期の鳴子温泉

今朝の雪を見て急に以前冬を過ごした鳴子の町を思い出した。約50年前の鳴子は雪不足と言われていたが国体のスキー競技が毎年のように行われていた、野山を駆け巡る距離競技のコースの雪不足対応で自衛隊が山から雪を運んでなんとか競技を実施していたが、冬本番で積雪期になると白一色の世界でようやく土を見る事が出来るのは3月で雪の間から黒い土が見えた時のようやく春だという感激は忘れる事が出来ない。
 仕事がら地域にお住いのお客様対応と電気設備の保守点検で、当時は四輪車が少なく小規模事業所ではオートバイでの移動が主で私はそれを社宅に持ち帰り通勤に使っていた。道路から50メートルほど入った住まいから表道路まで約1メートルも積もった通路の雪を掃いて出なければならずカミさんの朝の大仕事だった。
 管内は開拓集落も2か所ほどあり雪深い山奥で、軽自動車で吹き溜まりに突っ込んで身動きが出来ず危なく遭難しそうになったこともある。山の除雪していない集落へは慣れないスキーが頼りスキー板に昇り坂でも逆戻りしない毛皮を付けてストックで漕いで向かった、体力を消耗しきって動けなくなるほどキツかった事を思い出す。

冬の鳴子のイメージ写真、花淵山と上野々スキー場があった

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