旅も6日目、長崎駅からJR九州の特急かもめに乗り新鳥栖駅へそこから九州新幹線さくらに乗り換えて鹿児島中央駅へバスに乗り換え知覧特攻平和祈念会館に着く。
大東亜戦争(太平洋戦争)末期本土への空襲阻止のため、米国の航空母艦などを撃沈せんと、実戦に使えないようなオンボロ練習機などに、片道燃料を積み込み、爆弾を抱いて敵鑑に体当たりする特攻攻撃に全国から若い戦闘機乗りが志願し、ここ知覧の地から南の海へ飛び立ち散華したのだ。哀れというしかない。
記念館には出撃を前にした隊員達の両親や姉弟、婚約者などに宛てた遺書や時世の句、遺品などと共に複製された戦闘機などが展示されており、記念館の周りの道路には志半ばにして潔く散った特攻隊員の霊安らかならんことを祈り、石灯篭が全国の方々から寄進されていた。健気でまっすぐな若者達を思う時胸に迫るものがあり厳粛な気持ちで参拝した。
次いで日本最南端の駅JR西大山駅に向かい記念写真を撮り、本国北端の宗谷岬からの日本縦断を達成した。乗り換連続の強行軍だったが、11組のフルムーンのメンバーは気力で乗り切った充実感を味わったようだ。最終日は安芸の宮島を参拝して戻る。
数限りなく立ち並ぶ鎮魂の石灯籠
高女生らに見送られ飛び立つ特攻機の写真(記念館の写真から)
再度バスに乗り日本最南端の駅西大山駅へ
無人駅で通学生の自転車が数台置かれているのみだった