私の食事日記

いつまでたってもブログ練習中

一つ一つ

2009-06-01 21:21:19 | ごはん
自宅と実家をまわって病院へ。

父は相変わらず混乱しています。

母の治療に関しては話ができましたが
本人の受診については、力ずくというわけにもいきません。
一つずつです。

実家の姉からサラダと焼き魚、金平をわけてもらいました。

病室では母がいろいろな看護を受けている最中なので、控室でいただいた
夜ごはん。

チーズマフィン・焼きむつ・水菜、玉葱、ハムのサラダ・金平牛蒡



田んぼ⑪ カラス対策

2009-06-01 17:16:01 | 季節
田んぼ⑩でカラスに少し荒らされた田んぼです。

翌朝、農家のお婆さんがこしらえたカラス対策の仕掛け。

カラスにバレバレな気がしますが、
カラスが紐に足を取られる危険を察知させる効果があるのかしら。

あーこの農家とカラスの戦いでさえ、私には平和に感じます。

ああ、しんどい~

誰にも弱音吐けないので、ここでぼやいています

許して下さい

麻痺しています

2009-06-01 16:34:54 | ごはん
昼ごはん
チーズマフィン・ハニーヨーグルト・野菜ジュース・豆大福

暗雲立ち込める職場ですが、
この日常も、この10日余りと比べると平和です。

職場は相変わらずの遅配で殺伐としています。
それなのに、なんだかのんびりしてしまいます。

私生活が非日常の連続なので、麻痺しているのでしょうね~

夜明け前は辛抱、辛抱!

2009-06-01 16:12:54 | ごはん
入院13日目、12回目の朝です。

朝ごはん
おにぎり2・水菜、玉葱のサラダ・山吹煮

夜明け前の辛抱しどきと信じての一週間の始まりです!

一番頑張っている母に恥じないように

頑張っていきます




夜明け

2009-06-01 11:35:30 | 季節
真夜中3時過ぎ、看護師さんが母のところに来ていました。

それからしばらく、母が鼻を鳴らす音で目が覚めました

4時4分

喉の痰かかしら、鼻づまり?
何でも看護師さんを煩わせるのはどうか?
吸引のしすぎも悪いとか
たぶん5時にも…

しばらく、母の寝顔を見ていたら、同じような大きな音を鼻から出した。
涙も出たよ~

ナースステーションに走った

病室の中で手当している間、廊下で待つと

夜が明けかかる山波、霧が立ち上っています。

夜の病院から見る風景や廊下はどこか恐ろしげですが、
今の季節は4時過ぎると仄明るくなるのですね。

今の私たちはまだ夜明け前ですが、
もう少しの辛抱で仄明るい気配が来ると信じたい風景です。




二者会談・・・正確な情報が大切

2009-06-01 11:35:16 | つぶやき
夜7時前に、姉が来ました。
珍しくサラダやバナナ、大福など差し入れ持参。

二人で今日の選択肢、父や親戚達の話をしていると、
結局、どれも伝聞の情報。

一度、医師か病院の相談窓口に聞いてみようという話になり、
たまたま、病室に来たベテラン看護師さんに声をかけました。
伝聞の情報はやはり思い込みやズレもありました。
心配してくれる根拠の情報が母のケースに合わなければ惑わされるだけなのです。

費用や今後の相談を専門とする窓口があるので、明日紹介してもらうことになりました。

「ここの医療スタッフは治療を目的(選択肢①)として看護にあたっています」


私達の望む選択肢が正解かどうかはわからないながらも、
できるだけのことはしよう、と思いました。

鉛を飲んだような一日が終わろうとしています。

まずは自分が大事

2009-06-01 11:35:03 | ごはん
物狂おしい気持になり、悲劇のヒロインになっても
お腹は空きます。
食欲はないけど、体はだるい。

考えてみたら、お昼前、シュークリームだけ。

ようやく治りかけた風邪がまたぶり返します。

手術に立ち会うためにも、体が資本。

「お母さん、おばさんお手製のおにぎりいただくね」と
話しかけながら、食事をしました。

夜ごはん
おにぎり2・ジャガイモと千切の煮物・山吹煮・
家の冷蔵庫にあったカレーコロッケ

命の選択肢

2009-06-01 11:34:51 | つぶやき
姉を先に自宅に返し、父の話をじっくり聞きます。

父なりの思いも聞いた上で、
子の立場と親の立場では違うのです。

また、姉の要望の
父に介護サービスを受けるための診察についても受けるように説得。

父はその時その時で言うことが変わるので、まだ本当に受け入れてくれたのかはわかりませんが、取り合えずはここまで。

父を自宅に帰し、ネットで父の心配する治療や費用のの検索をするのですが、
なかなか欲しい情報にたどりつけません。
少しでも不安材料を取り除きたいのですが、

そこへ病院へ親戚が面会に来たと連絡があり、病院へトンボ帰り。

伯父夫婦が付き添いの私のためにお弁当を差し入れてくれました。
ありがとう

伯父夫婦は自分が病気をしたなら③の選択肢とか。
「従妹なら決して③は選ばないよ」と伯母に言いました。

他、何人もの親戚が母の事を気にして、電話やメールをくれます。

「『1・2日』が10日以上生き延びたのだから十分」
「元に戻れないなら、このまま」
「子供の負担になりたくない」

色んな考え方があります

親の立場と子の立場で選択肢が変わります。

私は母が手術ができるようになる日を目標に泊まり込んできました。
つまり、できる限り手を尽す、手術をするという選択肢しか頭になかったのに…

母と残された差し入れを見ながら混乱しています。

でも、私達家族が母の命の選択肢を握っていていいのでしょうか?
いえ、握っているのでしょうか?

母を看取った友人、父を亡くした友人に電話をしたいと電話を手にしますが、日曜の夕方…憚られます。

ひとりの夕暮れです。

家族会議・・・暗礁

2009-06-01 11:34:33 | つぶやき
それぞれが重い雰囲気のまま、説明は終了。

病棟ないの一部屋を借りて3人で会議。

重篤な状態ではあるけれど、「手術」といいう言葉が復活してきた以上それは当たり前だと思っていたのです。

三人とも助かるなら手術して生きて欲しい。

ただ、父は今までのように戻れない状態で、手術を繰り返すことが母には辛いのではないか、今後の費用面等結局残されていく、娘の負担にならないかなど迷いがあるよう。

姉と父の微妙な行き違いもあり、会議は微妙な雰囲気。

そこで、仕切り直し。
まず父にごはんを食べてもらい、
その間に姉と話をし、その後父と話すことにしました。

家族って…もう大変

写真は姉と話をした時のシュークリーム(168円)・カフェラッテ(100円)
結局、これが私のお昼ごはんになりました。


インフォームドコンセント

2009-06-01 11:19:21 | つぶやき
午前10時から行われた主治医による、
母の病状と今後の治療方針の説明。

父と姉も駆けつけました。

この一週間で心配された3つの症状は乗り越え病状は安定

母と医療スタッフに拍手
感謝

本題はここから、
①積極的な治療をしていく。(いくつかの手術)
②最低限の処置をして、再発の可能性は高いが後は運と神様に委ねる。
③治療はしない。

母が発病前に戻ることはないという事実はうすうす(はっきり)わかってはいても、そのことの説明を受け意気消沈。

②・③の選択肢なんて考えられない。

でも、誰も①を即答できず、2日の猶予をもらったのでした。