私の食事日記

いつまでたってもブログ練習中

始末したつもり

2009-06-10 17:15:22 | つぶやき
6月10日(水) 昼
実家で父の相手をしながら昼ごはん

おにぎり(姉が姪のために握ったらしいのを知らずに始末し姉に顰蹙を買いました)
モロヘイヤおひたし・こんにゃく、人参、はんぺん煮(私作)
とんかつ2切、トマト2・安倍川餅8切

お腹がパンパンです。
今までの食事ならありえない量ですから・・・

安倍川餅

2009-06-10 17:12:39 | 母をみおくる
6月10日 

母の実家近くの専門店の安倍川餅です。

40ケ 1600円

のし餅を切って作る老舗のおいしいお餅です。

店主は母の幼馴染らしいので、母の事を伝えようとましたが、
3人家族が仲良く、前のお客さんの噂話をしながら作業をしていたので、
なんとなく言いたくなくなりやめました。

母の仏前にお飾りしました。

梅雨入り 季節は動いています

2009-06-10 14:45:00 | 季節
6月10日(水)午前中
 
東北の一部を除いて梅雨に入りました。

母の入院時から、季節が飛んでいました。

昨夜、大学生の姪と「お祖母ちゃんが入院してから季節が変わりつつあるね」と話していたところでした。

うっとおしい季節の始まりですが、
今日の湿り気はなんだか優しく感じられます。

6月3日から今日までの「私の食事日記」順を追って行くといつまでもリアルタイムに追いつかないので、
ほぼリアルタイムの食事と「母を見送る」期間の食事を交差させながら載せていきます。
パズルを埋めるみたいで、読み辛いかもしれませんがご容赦ください。

「母を見送る」期間の食事日記はカテゴリー「母を見送る」でまとめて読んでいただいた方がよいかもしれません。

ほぼリアルタイムの食事日記は、父の介護日記にもなる可能性があるので、ヒヤヒヤです。

苦難てんこもりのブログですが、懲りずによろしくお願いします。



母と二人きり

2009-06-10 14:10:58 | 母をみおくる
姪二人をタクシーで帰しました。

死亡診断書が出るのと、
葬儀社が母を引き取りに来るのを待ちます。

28日(木)からわずか一週間ですが過ごした部屋です。

静かです。

母の周囲にあった機器の音や、母の寝息もなく

シーン

母のために歌った囁きコンサートの歌もささやくように口ずさんでも静か

おかあさん
本当に逝ったのね

ありがとう…母の頬やおでこを撫で、
発作の際は激痛が襲ったであろうおでこに、
そっと唇を寄せました。
(アメリカのドラマの見過ぎかな)
点滴で腫れていた、指をさすります。

ありがとう
産んでくれて、
育ててくれて、
一緒にいてくれて。
2週間、ゆっくりさよならしてくれて。
ありがとう

母と二人きりの最後の静かな瞬間です。


即時、撤収

2009-06-10 14:10:44 | 母をみおくる
母が死去したという事実はそこで終わるわけではありません。

母の亡骸を病院から自宅へ帰さなくては始まりません。

姉が父と先に帰宅し、自宅で受入れ準備です。

病室は順番を待っている生きた患者さんに渡さなくてはなりません。
私と姪達が病室の様々なものを、私の車に積み込荷造りをします。

しばらくするとと廊下に出されます。
母が医療機材を外されれ、お清めされるのを待ちます。

20分ほど待ち、身軽になった母に声をかけながら、撤収作業再開。
私の車にぎっしり運び込み、私が使用していたベットも地下の返却所へ。

姪達も私もなんだか暗くなりようがなく、
この前ブログに書いたジンジャーキューブをリピートしたものを姪と分けっこしたりして・・・悲しすぎたり、おおごと過ぎたりするとわからなくなるのよね。

こうして、母のための備品、私が仮住まいのための備品すべて撤収し終えたのでありました。





母を看取る

2009-06-10 09:24:38 | 母をみおくる
エレベーターから、部屋に駆け込むと、
ベットの上で、心臓マッサージを受け、呼吸をバグ(?)されている母の姿。

そこにいるのは母でありながら、すでに母の意思による生を終えている母でした。

病院側が家族を母の臨終を看取らせるためだけにしている医療行為です。

ああ、おかあさん…なんで、なんで、なんで…

交替で心臓マッサージを続ける看護師さんや呼吸を助けている医師に
ありがたいと思いながらも、これは形だけの生。

早く母を安らかにしてあげるしかないのです。

父、姉、姪達に少しでも早くと電話をしながら

なんで、なんで、なんで…

答えはわかっているのです。

母は手術を拒んだのです。
手術しても寝たきりになるか、チューブに繋がれ、家族の負担になる人生を拒んだのです。

そういう母なのです。

わかっていて、私達家族は延命を望んだのです。

だから母は延命の可能性を心臓を止める形で、私達家族に意思を示したのだと思います。

父、姉が飛び込んできました。

駐車場に車を止めに行った姪が来ない…

廊下に出ると歩いて来る二人。

速く! と手招くと

病院は走っちゃいけない と。

現実を見たくない言い訳かもしれません。

家族全員で母の周りで母をさすりながら泣き続けるだけの時間。

ありがとうの言葉しか出てこない私達。

医師の「それではよろしいですか?」の問いにうなづくしかありません。




ご臨終です


母の周りでこの2週間なり続けていた様々な機器の音が止まります。

母の2週間の闘いは終わりました。

おかあさん ありがとう。

おかあさん 頑張ってくれてありがとう。

おかあさん 産んでくれてありがとう。

おかあさん 一緒に生きてくれてありがとう。

おかあさん 大好き。

おあかさん ありがとう。