私の食事日記

いつまでたってもブログ練習中

今までなら、ありえない

2009-06-17 12:05:17 | ビール・ワイン
6月12日(金)23:00

講座なんとなくしっくりこず

早めに終了したので、22時過ぎ実家へ父の様子を見に行きました。

今の真ん中で居眠りしている父…
声をかけて部屋で休むように促しながら、
取り入れたままの洗濯物を畳みます。

母の不在は深刻です。

自宅へ戻り、ケーブルで「ERXⅡ」見ながら

とかきの種(正確には発泡酒)
こんな遅くにや柿の種なんてダイエッターの私には信じられない行動。

箍(タガ)がはずれたのは、父だけでは無いのです。

久し振り

2009-06-17 12:02:24 | ごはん
6月12日(金)

講座前の夜ごはん。

豆乳おからクッキー7枚・カフェオレ

プラス、写真に写っていませんがラスク

久しぶりの講座、早めに行って準備手伝わないと。

母の不在を感じる時

2009-06-17 12:00:43 | ごはん
6月12日(金) 

昼ご飯の写真撮り忘れました…保存を忘れたというべきか。

ご飯・昆布巻き・きゅうりの浅漬け・蒟蒻と人参煮

自宅では感じない母の不在を、実家では嫌というほど感じます。

父との間の抜けた繰り返しの会話が一層悲しく感じます。

父に「今夜は遅くなるので、夕方寄れない」と何回かゆっくり言いながら家を出ました。

覚えているかしら。

復帰

2009-06-17 11:58:02 | ごはん
6月12日(金)

朝ごはん
丸ごとバナナ・ラスク・カフェオレ

お通夜から一週間です。
なんだか不思議。

今夜から講座にも復帰です。
始まって1ケ月2回も休んでしまいました。

1ケ月前こんなことになるなんて思いもしなかったのに…

実録 お葬式 ⑰ 告別式の朝

2009-06-17 11:42:02 | 母をみおくる
6月6日(土) 5:00

告別式の朝です。
6月6日は雨ザーザー降ってきて~という歌がありますが、
今日は薄曇り。

葬儀社の会館の食堂に、届いた朝食をセットします。
伯母は自宅へ帰り、またお漬物などを持参してくれました。

食事もそこそこに、
お寺さんへのお布施や目録の相談を父と姉の3人でします。
父との話がかみ合わず一苦労
なんだかんだで、相場の金額でおさまりました。

食堂に戻り食べきれない分をそっと処理し、
慌ただしく薄化粧、引き上げる準備をすませて式場へ。

いよいよ葬儀告別式です。


実録 お葬式 ⑯ 最後の夜

2009-06-17 11:23:02 | 母をみおくる
6月5日(金)23:00

葬儀社の担当さんが帰った頃あいに、伯母さん(母の弟のお嫁さん)が
自宅からおにぎりやお漬物、小煮物、フルーツと手作りの料理を運び入れ、
この会館で夜を過ごす親戚に振るまってくれます。

一応「通夜振舞い」は用意しましたが、それだけでは味気ないと察して隣市にお嫁に行った従妹と準備してくれたようです。

何故か遺族が母の棺ともに過ごす部屋が即席の宴会場のようになりました。

伯母さんに食べるよう勧められますが、みぞおちが詰まっている感じで食べられません。
親戚達が布団を準備した部屋に引き取ったところで、ようやく少しだけ食べることができました。

父は酔いが回ったようで、明日朝までに決めなくてはならないお寺さんの話もせずに寝かせました。

母と最期のなのに、母との会話もままなりません。

伯母に強く勧められ
2時間位仮眠しました。

明け方、両足がつり苦しんでいると
その伯母が私の足を抱えてマッサージをしだます。

いくらなんでも、申し訳なくて遠慮(抵抗)したのですが、
ますますひどい痛みにぜえぜえ、背中脂汗…

このままでは過呼吸になると思った時に

母の代わりに揉んでくれているのだ、と思い

「伯母さんありがとう」と力を抜きマッサージを受けました。

しばらくするとおさまりました。

「素直になること、甘えることも大切…」と
母と叔母さんが諭してくれたような、母との最後の夜でした。


実録 お葬式 ⑮ 焼香順

2009-06-17 10:52:08 | 母をみおくる
6月5日(金)22:00

お通夜の受付は町内会から3人がお手伝いでしてくれます。
会計がなかなか合わなかったようで21:40迄かかりました。

今夜のお礼にお茶と寿司折りを用意し、お礼を言ってお見送りしました。

お通夜これで終わりではないのです。

明日の葬儀に関しての最後の打ち合わせです。

親戚で火葬場まで行く人、行かない人の確認と行く人のお膳、行かない人への送り膳と引き出物の数の確認等など。

一番厄介なのが、焼香順です。
母方に関しては、ご供物の飾り順で大丈夫ですが、
父方が何せパンドラの箱状態。

父方の親戚に一言でも不満が出ないようにしたいのですが、
一番親戚の流れを知っている父が「?」状態。
ゆっくり、何度も確認しながら決めていきました。

その後、
葬儀、火葬後の還骨回向についての説明を受けました。
当日、「永代経料」「葬儀代」(御前、薬僧別)「還骨回向にかかる費用」の目録を作り、その金額を持参しなくてはならないとか・・・
また、我が家の場合は月参りのお寺さんも、お通夜、葬儀、火や勤行のお布施は葬儀の翌日持参するのが常識とか・・・
一応、基準になる金額を提示してくれ、何か所かは家族で増減しても良いと丁寧に教えてくれました。

また葬儀前に、決定金額を示せば精進落としをし、葬祭場に戻った際目録を用意してくれるとの心遣い。

次から次へと考えなくてはいけないことばかりでげんなりです。

でも、この担当さんの我慢強さに感心しきり。
ショックで呆けている父と世間知らずの娘二人に、噛んで含めるように説明し、
納得するのを待つ姿勢はすばらしい。
これって職業柄培われたのもなのか、それとも生来の性格だから勤まるのか、
どっちなんだしょうか?

実録 お葬式 ⑭ お通夜トラブル 香典返し渡らず

2009-06-17 10:29:37 | 母をみおくる
6月5日(金)20:00

お式としてのお通夜が終わっても、喪主と遺族のお通夜は終わりません。
後から来る会葬者のために、待機です。

親戚への通夜振る舞いは、葬儀社のスタッフがぬかりなくもてなしてくれたようです。

姉がお通夜の時、あわただしく葬儀社さんとアタフタしていた理由が判明。
香典返しがやはり間に合わず2人に渡らなかったのですが、
その一人が姉の雇用者…姉にとっては一番まずいパターン。

携帯の留守電に「お通夜終了後すぐにご自宅へお持ちします」との伝言を入れても返事無し。
22時くらいにお詫びのお菓子を添えて、自宅を訪ねても留守。

姉はお葬式後まで落ち込んでいました。

もう一人は私のボランティア関係の知り合いなので、少し気が楽ですが、
香典返しの数量の読み間違いは喪主の責任。
父のご近所事情(直近の町内のお通夜に参列した人5人)も怪しかったのかも。

何より、ボランティア関係の人には内緒にしても、死亡広告を見た人がわかってしまったのか…でも、まさかお通夜に来て下さるとは…。
自分のポジションを見誤ったのもミス。

お通夜の不手際は喪主の不手際。

お通夜の香典返しは、葬儀社さんが引き取ってくれるので、
皆さんくれぐれも控え目な見積もりせずにどどーんと、ご用意してください。

あぁ、泣いている暇がありません。

実録 お葬式 ⑬ お通夜トラブル 香典返し

2009-06-17 09:56:56 | 母をみおくる
6月5日(金)18:30

いよいよお通夜開始です。

喪主として遺族席先頭に立ちます。

父も退職して長いく、親戚も、ご町内もドーナツ化現象で少なく、姉も私も独身であるので、会葬者はせいぜい40人と見込んでいました。

会葬者が多い場合は「回り焼香方式」で焼香が済んだら、そのまままわれ右して帰ります。親戚や故人との深い繋がりを感じる人のみが1時間いるだけです。
会葬者の見込みが少ないので、普通のお通夜方式で行い、あえてそれを公言しないことで、「回り焼香」と思い来た方にはそのまま「回り焼香」として引き取ってもらえるようにしました。(もちろん葬儀社さんのアドバイス)

ところが、お通夜が始まる直前嫌な予感

母方の親戚やご町内の方が予想以上にお集まりく下さり…香典返しが足りないかも
急遽、担当さんに50部追加をお願いしました。

そこから、私の職場の数少ない上司、同僚に、某ボランティアの先輩、仲間達がどどーっ。

父は「盛大な式になり良かった」と繰り返しつぶやいていますが、
喪主の立場では香典返しの追加が間に合っているのかが気になり、気が気ではありません。
どっどーしょ~
あーあの人もこの人も来てくれたありがたいと、思う余裕はありません。
母を亡くした悲しみにくれる余裕なんて更にありません。

とにかく「私がしっかりしなくちゃ」を心でつぶやき、立ち尽くす1時間。

喪主挨拶は2回も噛みながも、ひとまず無事終えました。