今日は生徒からメールが届いた。
先日綿畑に植えた棉が発芽した連絡である、
棉畑で、棉の新芽を見ながら私は想いに耽っていた。
私が織物を好きになったのは、拡大レンズで織物を覗いた時からである、
綿の繊維が撚り込まれて一本の糸になり、その糸が数百本数千本と
整経された経糸が整然と並べられていて、そこへ緯糸で規則正しく組織された
織物という物が存在し、柄が作られファッションが表現されいることに
驚嘆したものである。
それが、私でも出来る!、
その事を知った時が私の織物人生の始まりであった。
こんな織りの仕組みが数千年前に考えられ、人類の命を守り、人間の美を飾った。
私はエジプト文明のミイラを包んだ麻の織物を見た時、7000年の時代
経過を超えた織物技術と布を作る人々の心を想像していた。
人類は古代からその時代その時代の総力を上げてファッションで飾り立て
人間はそれを求め、祭りはその発表のところとなった。
美を発表し続けることは織物に携わる者に係る時代の使命であろう
古代から織物はその地方と時代を表す装飾文化であり、衰退はその地方の
文化力の衰退だ。
衰退の時代は私の知る限り80年前の太平洋戦争の戦時下であった。
そして現代では、織物産地の疲弊となって、繊維産地の分業システムによる
技術の継承が途絶えようとしている危機の時代であり、産地の消滅の時となり
未来に不安を覚える者である。
この産地に生き、織物に携わる者として、次の時代に文化として残す意味は
大きく、今何をすべきか、何に希望を託すときか、
三河産地における数百年に及ぶ技術と文化の絶滅のスイッチが今私達に
課せられているのだ。