久しぶりに外で歩こう、
どこへ行こうか
コロナ感染の心配のないところがいいね
それには、私の定義をした。
人に接近しない環境
公共交通機関を使わない
つまり人間は汚いもの
と、いうことになってしまうが
神聖な環境が良いな、
静かで人間に触れ合わない自然なところだ。
それには人出の少ない平日
メインルートから外れた姫街道を選ぶとここに決まった。
小学生の時、夏休みに林間学校が行われて参加したことのある禅寺だ
お土産やを覗きながら門前を行くと山門が現れてそれを眺めながら
なだらかな坂道を登る
そこに現れたのがこんな石仏さん達で
私と同じ帽子を被って迎えてくれている
手編みの帽子が微笑ましいです
よど掛けをつけた地蔵尊
一つ一つお顔が違う
色々なパフォーマンスで私を迎えてくれた
哲学の道、
京都にも哲学の道があるがここは禅の教えと哲学なのだ
日に当たる仏と日陰の仏がいるが
日は廻り 日当たりも 巡る
人生とはそんなもので案ずることはない
捨てる神もあれば拾う神もあるのだ
あれあれ、コロナ予防の仏様がいた
世相を表した地蔵尊に手を合わせ
助けてください、ではなくコロナの消滅を誓う
なんと、気持ち疎さそうな
こんな空気がここにはあった
「気田川にあった模様の石がここにも」
と妻がいう
「地球は繋がっているのだ」
と、二人で納得していた
ここは浜松市の奥山半僧坊である、NHKドラマ井伊直虎放映では
賑わったが今では深山の雰囲気が味わえる
新緑の紅葉が美しい
紅葉の種がヘリコプターの羽を広げて
遺伝子の子孫存続はコロナウイルスも同じ摂理の中だ
ようやく寺の全貌が見えた
ここまで喘ぎやっと出会えることの喜びを感じさせる
自然の中での演出を感じるような景色である
数年前にもこの本堂で夕のお経をあげる機会に接したが
今日はコロナ禍の中で遠慮する事にした。
「あなた、お尻を向けて座ってはいけない処よ」
と妻に嗜められてみれば菊の御紋章が
梵鐘の向こうに巨木の緑が美しい
寺の静けさと新緑の美しさを眺めて
心の栄養と樹木から発する抗菌力をいただき
コロナウイルスにも負けない気力をいただき次に向かう
足元にも花が咲き仏の真理を想いながら
”衣食足りすぎて 礼節を忘る”
そうだよ!、現在の私たちは衣食が足りすぎて不満を言う、
コロナ禍の中で礼節を忘れて騒いでる自分達に気がついた。
コロナ禍の中で3度の食事も儘ならない人もいるのが現実
新緑のエネルギーをいただきながら歩くと次の絶景が現れた
方向寺の三重の塔である、
妻が拝んでいるのには訳がある、
ここは倒産除けのご利益があると言うのだ。
「私、拝んで来たから大丈夫よ」
新緑の山里を眺めながら急坂を下る
蕨の握り拳が面白く写真を撮る
山郷まで降りると今日の小さな旅も終わった。