私の休日は
桜のお花見に行く
天竜川船明ダムの桜を見に行く
私が織物とデザインを修業した土地がここである
こんな田舎でと思われるが
旧二俣病院斉藤家の明治時代の医者の邸宅で
東洋紡績二俣工場が提供した邸宅で私は育てられ
師匠の下で京都西陣の織物技術と意匠を教わった。
その頃はダムは無く船明弁天が祀られた岩島があり
景勝の土地であった。
育てられたところは船明弁天であり生きて来たのも
竹島弁天であった。
生徒さんの女性も弁天様です
懐かしい風景を眺めながら苦しい修業時代を思い起こし
母と昔を慕んだのです。
若い?婆ばと古い婆ば語り合いながら
新型コロナを忘れるひと時は安堵でした。
船明(フナギラ)とは、信州から来た天竜下の船がここで夜が明たという説があるが
対岸には日明(ヒヤリ)というがあった。
徳川幕府の検役場がここにあって、筏流しや船荷の検査が行われていたことから
明の字には何かの意味があるのだろう、
電源開発と浜松市の工業農業用水と水道の水源である船明ダムは
佐久間ダム、秋葉ダムの洪水調節を目的に建設されている、
ダム群の出現によって遠州浜の砂が減り中田島も痩せ細っている、
船明ダムはゲートを揚げて底の砂を放出している。