いつものように散歩に出た。
5分も歩くと諏訪神社と松平二郎三郎信康の菩提寺清滝寺に着く
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本田宗一郎ものつくり伝承館と諏訪さまのお滝と言われ子供の頃には遊び場であった。
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そこから清滝寺に至る坂を登ると
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山門が現れそれをくぐる
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本堂を過ぎ階段を上ると
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信康の廟所に着く、
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妻の在所の織田信長の命令とはいうものの我が父家康から切腹を命ぜられ
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親が子を殺すという戦国の世の悲劇の舞台がここ二俣であった。
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もう数十回と墓前に手を合わせてきたが、
何故まだ若き信康を逃すことができなかったのだろうとの思いが拭えない
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今日も手を合わせながらテレビドラマの直虎と信康を比べてしまうが、
信長が最も恐れたのが信康の成長であったとも言われている
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清滝寺から二俣城に向かう竹林の中で想うのは、
竹を割るような信康の性格が災いをもたらしたのか。
今川の血を引く母を親にもったためなのか、
戦国戦乱の世は今の私には計り知れないことであったのだ。
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二俣の街を見下ろす散歩道を行く
信康も最後の地となったこの街をどんな気持ちで眺めたことだろう
中村錦之助主演映画[反逆児]では二俣城から眺める月が
信康最後の想いを伝えた。
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壊れそうな遊歩道を行くと頭の上に枯れススキ
昭和の私には 昭和枯れススキ♪ だな
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空は青く、透き通る空に心も軽いトレッキングである
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道端に咲く可憐な水仙を眺めながら二俣城へ
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真下に天竜川である、二俣城の自然の要害は武田信玄も攻略に
数ヶ月もかかり双方多数の死者を出した。
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城から天竜川に船を出せば太平洋に出て、
海流は房総半島までまっしぐらの条件に恵まれ、
北方数キロ先の山中深くに逃れれば、秋葉山と戸隠の
行者によって信州に逃れることもできたであろう
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徳川家康は影武者を立てて助かる術を実践しているのだから
当然息子の信康もどこかに逃れて生き延びていたら・・・。
と、思いを馳せながら歴史探訪も楽しい。