今日は実家のお墓掃除のために栄林寺への道を行くと
境内と河原に木蓮が咲き始めていた。
連日の気温で咲き始めた木蓮の香りが漂い
マスクを外して深呼吸
墓掃除を終えて散歩に出た
ペットボトルに水とタオルを入れてリュックザックに詰め、
いつものトレッキングシューズに履き替えて出発
河原沿いに歩くと春爛漫
花が咲き南風に押されながら北へ向かう
柳の新緑も始まってあー!いい気分
私はこんな自然を楽しんでいるのだが
ウクライナでは戦争で逃げ惑う子供達がいるのが現実だ
あれ!こんな所に駅の跡を知らせる看板があった
えーっ!?
説明看板を見るとなるほど!
下の写真の説明には駅舎と自動車が写っている
私の祖父は当時運送店を経営していてT型フォードのトラックを
所有していたので思わず見入ってしまった。
その駅舎後の前には高等学校跡があり記念碑が並んでいる
この写真にある”ただ若き日を惜しめ”は私の友達が書いた
文集の中の題名である
北に向かうと二俣川沿いに山東の街並みが広がる
なんと!、子供の頃は畑が広がる地域で堤防から医院など道路沿いには
家並みは見えたが、今は家が立ち並んでしまったのだ。
天竜の夏は日本一の高温なところなのだが原因は狭い盆地に
家が密集したことが高温現象となっているのではと思える
いつもの遠鉄ストアーで買い物をして今度は南下の道を辿ると
この看板、熊へ19Km、
この地方では くんま と言う
山深い村だから熊はいると思うが、特別クマが多い所だと聞いたことはない
以前に”月まで3 Km”の小説と道路標識を紹介したが
今回は熊まで19Kmとなった。
(天竜以北の山間部は縄文時代の遺跡も多く地域の古くからの呼び名があり
現代の文字を当てた地名も多いのだろう)
諏訪神社の前を通るが、道の片側は急な崖が続く
(二俣川沿いには赤石裂線という断層が南に走りこれを境に地層が変わる)
ここの地層は堆積層であり非常に硬い礫岩の層であった。
天竜川と二俣川が分かれて流れるのもこの硬い堆積層の
お陰で天竜川の激流から守られているのだろう、
この崖は二俣城の南まで続き川口で天竜川と合流していた。
二俣城がこの崖があることで難攻不落の城であったのも頷ける
ただいま緊急地震速報がありました。
途中ですがブログを終わります。
被害のない様お祈り申し上げます。