魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【安倍政権の「集団的自衛権」は、逆に憲法の積極的平和主義の理想を踏み躙るものと断定すべきもの】

2015-06-16 12:39:20 | 憲法考
  「集団的自衛権」の誤憲論に、「憲法9条」を直接求める多くの論者の誤憲論の根拠は根本的に間違いが在る。憲法9条には、自衛権すら是とする文言すら、全く無い。では、憲法の何処に自衛権を是とする文言を読み取れるか?日本国が認める自衛権は前文を前提として第2章の条文を理解解釈して行かねばなら無い。前文は、以下に続く憲法各条項を解釈する基準なのであり、現憲法全体の根本原理と成って居るので在る。

 法律の条文に使われる文言の意義は、其の法律、或いは其の条文中での定義、はたまた、法律への解釈委任が無ければ、国民一般が極常識的に捉える意味で解釈しなければなら無い。此の観点に従って、先ず、憲法第9条に書かれている文言を改めて概観精査して診る。
日本国憲法

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 先ず第1項を観てみる。
 第1項は1文で纏められており、此処では、行動原則の主体は主権者で在る「国民」とされて居る。政府では無いのだ。詰まり、「・・・を解決する手段としては、永久に放棄する。」のは、主権者で在る国民である。

 此処で第1項を各文節毎に解釈すると、

 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」⇒「正しい人として踏み行うべき物事があるべき筋道と社会の諸要素が相互に一定の関係・規則によって結びつき,調和を保っている状態を一切誤魔化すこと無く願い求め、」「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、」⇒「国家が持っている,国内を統治したり外国と交渉したりする権力がもつ法的権限?を行使することによる国家が自己の意志を貫徹する為に他の国家との間で行う武力闘争と、軍隊の力による脅しと其れを実際に用いることは、」「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」⇒「国と国との間に生じる対立する利益や価値を巡って起きる行動や緊張状態を処理して結果を出す目的を得る為に必要な方法としては永久に捨て去る。」

 此の第1項で「自衛権の是非」を諮るのに重要とすべき条文解釈の論点は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」と言う文節が、此れ以降の総ての文章に掛るか如何かと言うことに絞れる。詰まり、「掛る」とすれば、諸国民に「正義と秩序を基調とする国際平和」に反する事実が在った場合には、後に続く第一項の文章は資することに成り、日本国民は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として」用いることが出来ることに成る。自衛権を国家存立維持の必要十分条件とするなら、掛ると見るのが妥当で在る。其処で、前文を診てみる。

憲法前文第一段
 「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」

第二段
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 以上、前文を概観すると、我が国の自衛権に関しては、「諸国民のうちに国際社会の平和や秩序を見出し、『我が国の主権』の存続維持を侵されることが在る場合には、全力を挙げて此れに対抗すべき」ことを宣言していると捉えられる。然も、此処に重点的に問題と成るのは其の判断に、「政府=国権」を前文及び条項共に否定していることである。

 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と言っても、公正も信義も護ることが出来無い諸国民に対して、現実論として通常の外交で彼等の邪を正せる訳は無い。此の場合には、「われ等の主権」を護持する為には、あらゆる法を超越する意味としての「条理」を持ち出す以外無い。

 詰まり、憲法も国家維持尊属を外して迄理想を確保するものでは無い。「主権」を護る為には、致し方無いこともせざるを得無いのである。

 さて、9条第2項
 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」⇒此の文言は敢て精査する迄も無い。

 「国の交戦権は、これを認めない。」⇒「前項の目的を達するため、」の文言が此れに掛るべきか如何かであるが、態々、文節を区切っている以上、掛ら無いと見るのが順当である。
 「交戦権」に「国民の主権」を護る為の「自衛権」が入るかは、問題である。然し、前文で宣言された各文言を見れば、交戦権に自衛権を外すことは自明と成ろう。此のことは後に、再度説明する。

 以上から、百歩譲って、「集団的自衛権」も、御互いの国の「主権」を護る為の自衛権を御互いに支援し合う為に限り、認められように観えるが、其れ以外のもの迄拡大解釈することは、出来無い。「主権」とは、「独立維持」と同義とされるので、結論として自民が主張する「集団的自衛権」は、憲法や条理を如何に駆使して解釈しても無理である。此のことも後に再度説明する。
 
 言う迄も無く、在る国への侵害は其の国への宣戦布告と同じである。「「集団的自衛権」も、御互いの国の「主権」を護る為の自衛権を御互いに支援し合う為に限り、認められようが、」と言っても、日本国に対して侵害の現実或いは侵害の恐れが必要かと言う問題である。

 同盟関係を国同士が築くことは、其れ等の国家同士が間違い無く国家存立維持の運命共同体と成ることである。そうで在るならば、日本に敵対して無い国に対しても其の国が日本が同盟関係を結んだ国に、日本の其の非敵対国が日本の同盟国を侵害をした場合、日本が武力を以て、攻撃出来る根拠が現憲法に在ろうか?

 前文第二段と三段には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

「平和を乱す国家に対しては日本は『積極的平和主義』を適用しなければ成らず、前文は『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』と結んで居る。従って、憲法が掲げる『国際社会の平和の崇高な理想』は、現憲法下での達成されるべき目的と成っている以上、此れは単に絵に描いた餅で在ることに留まること無く、現実に実現して行くべきである。」と言うことであるので、

 此れも自衛権の範囲に限らず、同盟国が御互いの政治的信条の確執や自国の利権の相克に捉われている場合等は別で在ることは言う迄も無く、同盟国領界外での同盟権の行使を認める安倍政権の「集団的自衛権」は雅に此れであり、逆に憲法の理想を踏み躙るものと断定出来る。

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