第1章 天 皇
日本国憲法第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
この条文で、私なりに解釈が分かれるのは「この地位は」と言う言い回しでの「この」と言うのは何を指すかと言うことである。この「この」は、天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」を言うものであることは間違い無いと思うのだが。そう解するならば、この条文の後半は「象徴としての天皇の地位は、国民の総意に基づく」と言うことになる。さらに、「国民の総意に基く」と言う中での「基く」の意味は如何採れば良いのかということが疑問として湧いてくる。
「基く」を字句通りに解釈すれば、「そこに基礎・根拠を置く」と言うことになるので、「天皇の象徴としての地位や日本国民統合の象徴」は「国民全員の意見や意思によるものである」と言うことになろう。
天皇の法的地位(刑事・民事における)
「象徴」とは、抽象的表現であり、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされていることは、天皇は「日本と言う国家そのものや日本を一つに纏め上げる概念を天皇自身に具現化して地位を持たされたもの」とでも言えようか?
そこで問題となるのは、このような象徴の地位にある天皇の刑事上や民事上での地位は如何言うことなのかと言うことであろう。
先ずは、刑事上の責任については、皇室典範第21 条は「摂政は、その在任中、訴追されない」と定めており、このことから天皇の刑事上の責任については、天皇は国家及び国民統合の象徴であるゆえに、国家の象徴が国家
から刑罰を受けるということは背理すると言う解釈があるが、外国大使の刑事免責特権などがあることからも妥当な解釈だとする以外無いだろう。
から刑罰を受けるということは背理すると言う解釈があるが、外国大使の刑事免責特権などがあることからも妥当な解釈だとする以外無いだろう。
次に、民事上の責任であるが、これについては天皇に対する具体的な判例がある。民事責任については、責任が及ぶとする学説と及ばないとする学説が分かれている。昭和天皇が1988 年9 月19 日に吐血し、重態に陥ったとき、多数の地方公共団体は「病気快癒」のための「記帳所」を公費で設置した。1989 年1 月7 日に昭和天皇が崩御し、現在の天皇がその地位を世襲した。そこで千葉県において、ある住民が昭和天皇のために公費で記帳所を設置したことに対して(昭和天皇を原因とする公費の支出)、後継者である現在の天皇に不当利得返還請求を起こした。最高裁は次のような判決を下した。
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決[千葉地裁判決]を維持した原判決[東京高裁判決]は、これを違法として破棄するまでもない。」
①第一審の千葉地裁は、1989 年3 月6 日に、天皇が被告として記載されている訴状そのものを却下した。
②原告[ある住民]は東京高裁に即時抗告し、東京高裁は同年4 月4日に訴状却下命令を取り消し、千葉地裁に差し戻した。
③差し戻し後の千葉地裁は、同年5 月24 日に天皇は公人でありその行為の責任は内閣が負うので「天皇に対しては民事裁判権」がなく、記帳所設置は「天皇の象徴たる地位に由来する公的なものであり、したがって天皇の右地位[象徴たる地位]を離れた純粋に私的なものであると見ることはできない。」として、訴えを却下した。
④控訴審の東京高裁は、同年7 月19 日、天皇も一人の自然人であり日常生活で私法上の行為を行なった場合は民法等に従うことになるが、「仮に、天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において、天皇といえども、被告適格を有し、また承認となる義務を負担することになるが、このようなことは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという、天皇の憲法上に地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解するこ
とが、天皇は刑事訴訟において訴追されることはないし、また、公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと、一般に理解されていることと、整合する。」として、控訴を棄却した。
(主要出典)「171・天皇と民事裁判権」『憲法判例百選Ⅱ』別冊ジュリスト、pp.358~359.
高乗正臣・佐伯宣親『現代憲法学の論点』成文堂pp.85~86.
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決[千葉地裁判決]を維持した原判決[東京高裁判決]は、これを違法として破棄するまでもない。」
①第一審の千葉地裁は、1989 年3 月6 日に、天皇が被告として記載されている訴状そのものを却下した。
②原告[ある住民]は東京高裁に即時抗告し、東京高裁は同年4 月4日に訴状却下命令を取り消し、千葉地裁に差し戻した。
③差し戻し後の千葉地裁は、同年5 月24 日に天皇は公人でありその行為の責任は内閣が負うので「天皇に対しては民事裁判権」がなく、記帳所設置は「天皇の象徴たる地位に由来する公的なものであり、したがって天皇の右地位[象徴たる地位]を離れた純粋に私的なものであると見ることはできない。」として、訴えを却下した。
④控訴審の東京高裁は、同年7 月19 日、天皇も一人の自然人であり日常生活で私法上の行為を行なった場合は民法等に従うことになるが、「仮に、天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において、天皇といえども、被告適格を有し、また承認となる義務を負担することになるが、このようなことは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという、天皇の憲法上に地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解するこ
とが、天皇は刑事訴訟において訴追されることはないし、また、公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと、一般に理解されていることと、整合する。」として、控訴を棄却した。
(主要出典)「171・天皇と民事裁判権」『憲法判例百選Ⅱ』別冊ジュリスト、pp.358~359.
高乗正臣・佐伯宣親『現代憲法学の論点』成文堂pp.85~86.
上述の天皇に対する「法的地位」に関する見解は、論理的には多少無理の在る解釈となろうが、天皇と言う地位に対する一般人が感情として持つ「不可侵性」からすれば、当然の解釈と言える。
再度、天皇の象徴としての地位を再考してみる(憲法上の地位は如何言うものなのか)。
①「元首」であるか?
「元首」とは国際法上、外部に向かって国家を代表する資格をもつ国家機関。君主国では君主、共和国では大統領。日本では旧憲法下の天皇は「元首」であったが、現行憲法には規定がない。しかし、オリンピックなどではその開催国の「国家元首」が挨拶をする取り決めがあり、昭和天皇はこれを行っていることからすれば、少なくとも慣例としては「元首」 としての地位にあるものとされよう。また、天皇は外国国王の戴冠式への参列もする立場にあり、更に外国元首との親書・親電の交換も行っており、これも現実論として天皇が元首として認められていることの根拠となろう。
②「象徴」としての天皇には、権謀で規定(憲法第7条)で列挙されている以外の行為をすることは認められるのか?
①で前述した行為以外では国会の開会式で行う「お言葉」を賜う行為、公的色彩を持つ国内巡行などが挙げられるが、実際に行われていることからすれば、「天皇の国事行為」を定める憲法第7条での「国事行為の列挙事項」は、「制限列挙」とは考えられてはい無いと言うことになる。
③天皇に対する不敬罪は現行憲法下では考えられず、名誉毀損を適用するしか無い(地判あり)。
④「象徴としての地位」は現憲法下では「天皇」としか明記されてい無いので、ほかの皇族には民事裁判権は及ぶものとの東京高裁の判例がある。
私権ながら補足させて貰うと、天皇が全権を握るように規定されいた帝国憲法から国民主権へと国体を変えた日本国憲法下の天皇の「象徴としての地位」とは、天皇には一切の主権は与えられていず、権勢とは一切関係し無い形式上の行為のみを天皇に義務を逆に課すような内容のものと窺い知るのだ。とすれば、現実論としては他の皇族にも天皇に準じた「法的地位」があるものと考えるのが順当であろう。
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