日本国第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
日本国第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
日本国第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7.栄典を授与すること。
8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9.外国の大使及び公使を接受すること。
10.儀式を行ふこと。
この7条では「認証」と言う文言が出てくる。辞典で調べると「認証」とは「一定の行為や文書の作成が正当な手続きによってなされたことを、定められた公の機関が証明すること」とされている。この文言からすれば、天皇は、「数種の政治的事項を証明すべき公の意思決定やその執行のために設けられた者である」と言うことになる。
法律は、一般人の常識的解釈で理解できるもので無ければならないと言う前提にたてば、憲法に限らず全ての日本の法律の条文に対する作文の知劣さや条文間の矛盾が目立つ。私には、日本国憲法の「天皇」に関する条文は、日本語の語句の真の「意味」を良く理解して無い、まるで外国人の作文の苦し紛れの翻訳文としか認められられ無い。
第7条の前段からすれば、象徴としての天皇は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とされていることから、内閣が「天皇の意思決定」に助言を与え、認められた上で、天皇がこの条項の以下の各号を行い得るのだと私なら解釈する。大体、法律に様々な解釈論があること自体、現在の法律の限界がある。 「認証」をしてもらうのだから、天皇に正誤や価値の判断を委ねている筈が、何故、内閣がその判断に一々チョッカイを出すようになっているのか?『日本語の文章』としては全く不可解な文言となっているのだ。敗戦下で編まれた憲法の成文には様々な紆余曲折があったことは言うまでも無いが、国の基本法の解釈が紛々するようでは憲法の国の基本法としての権威は薄まってしまうのだ。国民主権にあっての象徴天皇の存在理由の意味付けが当時の状況下での政策的要因からの曖昧さを受け入れざるを得無かったものとなってしまっているのだろう。
存外、法律などと言うものは『社会の中での人間の行動原理を明文化するもの』と考えている。であれば、法律は、人としての『あり方』を如何見るかと言う普遍の哲学的結論の基に作られなければならない。
人と言う生き物が如何生きれば良いかと言う思索をすること無しに、その場限りの都合で解釈が変わり、改正し、新法を作らなければならない現法の軽さには全く落胆する。
憲法判断では、もう一つの大問題がある。それは違憲裁判である。『きわめて政治的判断に属し、司法の判断に馴染ま無い』などとの論旨をたて、最高裁判所は屡く憲法判断を避けるが、このような司法の対応は全く憲法第81条で定められた司法の義務を無視する蛮行なのである。きわめて政治的なものこそ司法のチェクが必要だからこそ、違憲審査権が与えられているのであるのだ。こんな敵前逃亡の裁判官は即刻首にしなければならないのだ。
日本国第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
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