任契第七十九
和大怨必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。
大怨を和すれば必ず余怨あり。いずくんぞもって善となすべけんや。ここをもって聖人は左契を執りて人に責めず。有徳は契を司り、無徳は徹を司る。天道は親なし、常に善人に与す。
深く重篤な怨みがあると、譬え其れを和解したとしても、心の中には蟠りが残ることになる。此れを如何に適切に解消出来る方法が有得ようか?だから為政者は、例えば貸借人が双方借用証を取り交わして借りた金を返さない相手を責めることはし無いと同じような姿勢を崩さず国を治めるのだ。徳のある人はこのように相手に非があっても事情を斟酌して無闇矢鱈に責めないものである。徳無き御仁はこんなときも無慈悲に相手を責め立てるのだ。天道は我欲を捨て去る道であるので、徳ある人は先ず人への奉仕を勅として訊き入れるものなのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます