週末、旦那さまが運転する車の助手席で
なんだか急に、さだまさしさんの『空蝉』という曲を思い出してしまいました。
名もない駅で、老夫婦が都会に出た息子の帰りをずっと待っている
長い待ち時間の間に、古新聞からおむすびを取り出して
2人で肩を寄せ合って、ずっと待っている
でも、最後に駅員さんが現れて、申し訳なさそうに、こう言うのです。
「もう汽車は来ません」
「取り敢えず、今日は来ません」
「今日の予定は終わりました」
若い頃に聞いたときから、喉の奥がきゅうっと締め付けられるような、切ない歌なんだろうと思っていましたが
いま思い出すと、切なさがより現実的になり、情景が頭の中に浮かび
老夫婦に辛い現実を宣告しなければならない駅員さんの胸の内を思うと、胸が苦しくなります。
若い頃は、都会にいる息子に近い年齢だったけれど
いまは、駅で待つ老夫婦に年齢も立場も近付いてしまったせいでしょうか。
なんとなく、芥川龍之介の『杜子春』を思い出してしまいました。
杜子春は、最後の最後に親の有り難みに気付いて改心が出来たけれど
今の時代の杜子春たちは、どうなんだろう。
なんだか急に、さだまさしさんの『空蝉』という曲を思い出してしまいました。
名もない駅で、老夫婦が都会に出た息子の帰りをずっと待っている
長い待ち時間の間に、古新聞からおむすびを取り出して
2人で肩を寄せ合って、ずっと待っている
でも、最後に駅員さんが現れて、申し訳なさそうに、こう言うのです。
「もう汽車は来ません」
「取り敢えず、今日は来ません」
「今日の予定は終わりました」
若い頃に聞いたときから、喉の奥がきゅうっと締め付けられるような、切ない歌なんだろうと思っていましたが
いま思い出すと、切なさがより現実的になり、情景が頭の中に浮かび
老夫婦に辛い現実を宣告しなければならない駅員さんの胸の内を思うと、胸が苦しくなります。
若い頃は、都会にいる息子に近い年齢だったけれど
いまは、駅で待つ老夫婦に年齢も立場も近付いてしまったせいでしょうか。
なんとなく、芥川龍之介の『杜子春』を思い出してしまいました。
杜子春は、最後の最後に親の有り難みに気付いて改心が出来たけれど
今の時代の杜子春たちは、どうなんだろう。