愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

生命体としての存在論 5、母の死を弔う

2023年05月04日 | 生命体としての存在論
2023/4/26 更新2023/5/4

 苦労を掛けた母を弔う。逆縁にならないことが親孝行として母を弔いました。しかし、死後のために供養する考えは有りません。母は私の存在の一部として、これからも私の中で生き続けます。生命体としての遺伝情報だけでなく、生き様や感情表現は単なる記憶では無く、私のバイアスを通した新しい知識、状況の中で母の考え、どう感じるかを理解することができます。人は眠りの半ばで夢想し、様々な想いが想起させ、霊験霊言とも評します。私の人生で多くの影響を受けた先人と共にこれからの人生を歩んでいきます。

 釈迦は論じても結論が出ない事は論じなかった。死後の世界を想像で論じるのは方便、ホラです。親が幼児に言う事をきかす為に言うウソと同じです。
 死後の世界を信じ、あの世に生きることを信じることが宗教の目的ではありません。余りにも過酷な人生の中で、今を生きる人々の苦悩、幸福を願って先人はあの世、天国、輪廻の思想の観念を創り上げました。私達が文明の恩恵の中で赤子より刷り込まれてきた様々な宗教は今もなお人格形成に絶対的な影響を与えています。信仰、来世を信じなくても可能です。
 私が有る限りあなたはあり、貴方がある限り私はある
 人を信じること、自己、自分であり他者、不安定であるからこそ人を信じる宗教、絶対的な人間性を信じる宗教が存在意義を発します。先人が長年に渡って創り上げてきた文明文化は科学技術の加速度的に発達しました。人間の幸福の根幹は個人それぞれの自由と愛の確立です。一人一人の人権・平等・平和の学習と各人の人格の確立が絶対条件です。それぞれ時代の文明分化と言ってしまえば終わりですが、人権・平等・平和の概念に絶対は無く、生存の厳しさの中で今でも各人の偏見差別に彩られています。不確定なことを信じる事が信仰であり宗教ならば、現在、過去、未来の人、今を生きる人間を信じる信念は宗教になり得ます。
 死を不安に思い、死後の世界を信じる人曰く 死んで逝った人に合いに逝く ならば、逝った人の弔いは貴方が信じる先人、既に逝った多くの人が良いようにしてくれています。孔子、釈迦、イエス、マホメットその他立派な先人が数多います。あの世や天国は先祖供養で生者が生き残るための方便です、多額の金子が必要な加持祈祷は明確な詐欺です。誇大広告、景品表示法で罰則を与えられるべきです。
 AIによって世界が一変します。個人のデータをデジタル化して,収集すれば、声や映像、考えも個人の特性で再現することが可能な時代になりました。記憶だけで無く、新しい情報に反応して応答することと同じです。AIが無くても番場の忠太郎の昔から、瞼を閉じれば「瞼の母」があります。離別した人を頻繁に思い出すのは老人の特性かも知れませんが、妄想であっても確実に本人の中で記憶と伴に再現が可能です。それは別れても愛する人が自分の心の中で生き続けている信念という現実です。仏教の浄土、輪廻も古いバラモンから受け継いだ思想ですが、人を含めた全ての生物は同じ生き物として共存共栄・生命賛歌と考えることも可能です。

 800年程昔、親鸞は自身の性欲と女犯の戒律との葛藤に苦しみました。当時は生きる世界と死後の世界があるされ、最新の文明であり人を救う仏道に人生を定められた公家出身の親鸞にとって、どれだけ一心に修行しても消えない性欲、煩悩がありました。やがて法然の念仏一つで救われる本願念仏の思想に出会い、人の本性を肯定するに至りました。しかし、当時としては破戒であり、朝廷から法然らと共に僧籍を剥奪されました。その後は非僧非俗の生活で肉食妻帯をし、たとえ法然に欺されて地獄に落ちようとも本望であるとして阿弥陀に頼りました。
 法然や親鸞はなぜ僧籍を剥奪されたのでしょうか?念仏を唱えるだけで救われる教えが既存の団体から迫害を受けました。修業があっての信仰成就、加持祈祷が可能になる。から言えば異端ではあります。仏教の庶民化を果たした鎌倉仏教の興隆で日々の生活に追われる庶民への普及に単純な唱名として名号・題目が生まれました。平安時代初期の空海の真言宗は南無大師遍照金剛、同行二人が始まりですが、南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経、般若心教があります。江戸時代はキリスト教禁教や檀家制度の中で政権権力の支配構造の一翼を担いました。明治期になると宗教界では妻帯肉食が解禁されました。

 時代は下り、軍国青年であった吉本隆明は太平洋戦争敗戦の衝撃に苦悶しました。大東亜共栄、八紘一宇の皇国思想以外に反戦などあり得ると思いも及ばなかった。戦地には征かず、内地で研究員として勤め、皇国思想の崩壊、反省の中で総てを疑う、孤立しようとも自分だけは時代の主流になる思想を疑う孤立無援の意思を確立しました。何によって論ずるかよりも、反論すべき点は何かに注視しました。若くして死を見つめ、以後はリアリストとして現実を直視。

 哲学者の三木清は戦中時代に治安維持法違反で逮捕され、敗戦後の1ヶ月後に48才で獄中で死亡しましたが、晩年は妻の死去や近親者の死去で、会いたい人に会う可能性は自分が生きていてはゼロであり、亡くなればその可能性はゼロでは無い。死ぬ事に親近感を持つに至りました。

 三者三様の死生観を持っていましたが、死後の世界について如何に刷り込みが強いかが理解できます。単細胞生物は細胞分裂によって生命を持続させ、有性生物は有性生殖によって生命を持続させます。当然、人類も生命体として同様です。あの世の信奉者は人の心、魂を問題にします。しかし、現代ではペットの犬や猫、馬に心は有りませんか?心が通うじ合いませんか?死の恐怖は生命体としては不安定な高所に立だけで幼児の頃に転ける体験から学びます。思いとしての恐怖、不安は想像と刷り込みの産物です。
 山本有三は路傍の石でたった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないではないか。
 坂村真民は二度とない人生だから、わたしが死んだらあとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書きつづけてゆこう

未完
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