アクセス頂きありがとうございます。
今日は竹田城登山道途中にある山城の郷付近、グランドゴルフ場で映画の撮影。
竹田小学校低学年の皆さんと、父兄の方々、また、何より竹田劇場の松本智翔さんには多大なるご協力頂きました。
撮影クルーは竹森さん、森本さん。
監督は無駄信長さんと、佳長の村田社長。
僕は教師役で、たった一言のシーンですが、臭いセリフがもうなんとも。
恐らく完成しても、見るに耐えない。
っていうか、平日の午後2時~4時まで現場にいたのですが、噂通りすげー混雑ぶり。
こりゃ土日は恐ろしいことなってるやろなぁ。
僕は今まで一回も竹田城行ったこと無い。何か悔しいなぁ。
松本智翔さんは、竹田の城下町を盛り上げようと、カフェ・花屋・雑貨屋・ペットサロンが一軒に集約された、竹田劇場キャッスルというお洒落なスペースを運営されてます。
古民家を再生したスペース。
ご本人は僧侶であり、建築家であり、店長でもある。
店は綺麗な奥様が働かれていて、カレーが絶品。
朝来の所ジョージみたいな人だと思う。センスが良くて、頭もたぶん良くて、遊びが好き。
話は変わりますが、夕方のニュースでニートを社会復帰させるお仕事をしている人の特集を見た。
その中で、39歳のニートが28歳の女性スタッフにサポートしてもらい、なんとか工場の面接をクリアし、見習いとして働くことができるようになっていた。
そして、社員登用の段階まで来たのだが、せっかくそこまで来たのに
『自信が無い。怖い。』
と恐れをなして辞退するというなんともやるせない結果に愕然。
女性スタッフも、悔しくて泣いていた。
僕は今まで幸いにも仕事を失くしたことがない。
だから求職者の気持ちは正直本当の意味では分からないし、ニートの気持ちも分からない。
ただ、人一倍心配性で怖がりで緊張しぃで小心者で人見知りという自覚はある。
音響時代は19の頃から怖い先輩たちやホテルの宴会さんなんかに毎日罵倒されたり、無視されたり色々あったけど、『何が何でも3年はやる』と決めていた。結果転職するまでの6年は普通に続けれていた。
同期は4人いたけど、半年で2人辞めていた。
バイトは日々誰かが入り、厳しさに耐えかね誰かが辞めていた。
僕はあの頃一年目に正直『俺みたいなのには向いてない』と何度も思ったけど、逃げないで良かったと心底思う。
毎日現場が怖くて、自己啓発の本を読み漁ったりした時期もあった。
遊月亭に来てからも、人前で歌うという僕にとってはあまりにも辛い罰ゲームみたいなことを突きつけられたが、運命だと引き受け、逃げずにハッタリかましてやってきて良かった。
今日のニートは、これからも逃げ続けるのかなぁ。
最近思う。
逃げる方がよっぽど怖いわ。
なかなか帰ってこられへんし。
終わり。
今日は竹田城登山道途中にある山城の郷付近、グランドゴルフ場で映画の撮影。
竹田小学校低学年の皆さんと、父兄の方々、また、何より竹田劇場の松本智翔さんには多大なるご協力頂きました。
撮影クルーは竹森さん、森本さん。
監督は無駄信長さんと、佳長の村田社長。
僕は教師役で、たった一言のシーンですが、臭いセリフがもうなんとも。
恐らく完成しても、見るに耐えない。
っていうか、平日の午後2時~4時まで現場にいたのですが、噂通りすげー混雑ぶり。
こりゃ土日は恐ろしいことなってるやろなぁ。
僕は今まで一回も竹田城行ったこと無い。何か悔しいなぁ。
松本智翔さんは、竹田の城下町を盛り上げようと、カフェ・花屋・雑貨屋・ペットサロンが一軒に集約された、竹田劇場キャッスルというお洒落なスペースを運営されてます。
古民家を再生したスペース。
ご本人は僧侶であり、建築家であり、店長でもある。
店は綺麗な奥様が働かれていて、カレーが絶品。
朝来の所ジョージみたいな人だと思う。センスが良くて、頭もたぶん良くて、遊びが好き。
話は変わりますが、夕方のニュースでニートを社会復帰させるお仕事をしている人の特集を見た。
その中で、39歳のニートが28歳の女性スタッフにサポートしてもらい、なんとか工場の面接をクリアし、見習いとして働くことができるようになっていた。
そして、社員登用の段階まで来たのだが、せっかくそこまで来たのに
『自信が無い。怖い。』
と恐れをなして辞退するというなんともやるせない結果に愕然。
女性スタッフも、悔しくて泣いていた。
僕は今まで幸いにも仕事を失くしたことがない。
だから求職者の気持ちは正直本当の意味では分からないし、ニートの気持ちも分からない。
ただ、人一倍心配性で怖がりで緊張しぃで小心者で人見知りという自覚はある。
音響時代は19の頃から怖い先輩たちやホテルの宴会さんなんかに毎日罵倒されたり、無視されたり色々あったけど、『何が何でも3年はやる』と決めていた。結果転職するまでの6年は普通に続けれていた。
同期は4人いたけど、半年で2人辞めていた。
バイトは日々誰かが入り、厳しさに耐えかね誰かが辞めていた。
僕はあの頃一年目に正直『俺みたいなのには向いてない』と何度も思ったけど、逃げないで良かったと心底思う。
毎日現場が怖くて、自己啓発の本を読み漁ったりした時期もあった。
遊月亭に来てからも、人前で歌うという僕にとってはあまりにも辛い罰ゲームみたいなことを突きつけられたが、運命だと引き受け、逃げずにハッタリかましてやってきて良かった。
今日のニートは、これからも逃げ続けるのかなぁ。
最近思う。
逃げる方がよっぽど怖いわ。
なかなか帰ってこられへんし。
終わり。