東日本大震災とコロナのテレビの画面は見てると春とは思えない。
あの日、昼過ぎ怖くてテーブルの下にもぐり「怖いよ怖いよ」
と言っていた。
身内の家は流され着のみ一枚。
日が過ぎて2階が見つかった。
家から出て集まった場所には寝たきりの人もいて降ってきた雪の中
傘を差された侭。寒かった。
ドコモの携帯も役に立たなかった。故に電池の蓄えや備蓄のご飯、水
ペーパー、食料、トイレも備蓄できるものは用意している。
友人には言っても理解できなかったようだが今回の千葉の地震で少しは
日ごろからの備えの必要性が理解できたようだ。
いざとなれば近所が如何に大切かを痛感した。
思い出のものなんか未練がなくなった。自分だけの思い出で死ねば
無駄とわかり身の回りの始末をした。
水も電気も水道もない生活には少し辛抱したことで考え方が変わった。
でも総て思い出すのもつらい。
あの頃肩を抱き合い慰めあい避難した友人達は今それぞれどうして
いるのだろうかと地を離れて思う。
東日本資料
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