金曜日の深夜、47年付き合いのある、私の相棒がこの世を去りました。
道場でイベントがあるたびに、ホタテ祭りをしてくれたり、大量の大根を持ってきてくれたり、焼き鳥を焼いてくれたりしてくれた彼です!
水曜日の朝方、4時44分に私のスマホが鳴り響き、家族の娘さんから「父さんの意識がない…危ないからとりあえず千歳病院に来てください!」と…すぐに車を走らせました。
昼間は従兄の結婚式に出たと喜んで電話をくれて、「今週遊びに行くから〜」って 話していたのに…その夜には救急搬送…
病院に着いた時には、家族も到着しておらず、私が一番最初でした。事情を話し、集中治療室に通してもらい、彼の姿を見た時には唖然としました。機械で心臓や肺が動かされている状態だったのです。
私は人の死に目に会うことが本当に少ない人間ですので、相棒が機械に繋がれて死にそうな状態になっている…目で見て情報では入って来てるのですが、脳が処理しきれない…心が処理しきれない…という状況でした。
彼を見て最初に言った言葉が「おい!何寝てんのよ!まだまだやることあるんだから早く起きてくれよ!」だったと思います。
次に到着したのが私の小学校時代の友人でした。その後、親族も到着し、また改めて相棒の顔を見に行きました。
私の心に焼き付いた事があります。
彼の腕を握り「おいおいおい!何してんのよ?俺との約束はどうなったのよ?まだタイにも連れてってないし、これからビジネスを大きくする話もあったろう?それより何より、子供たちの成長が楽しみだと言って、最低でも20年は生きないとなって言ってたろう!どうするのよ!とりあえず目を開けてくれよ!」
その言葉に反応したのか、彼が薄目を開けたのです。一生懸命、戻ろう戻ろうとしているのが、私にははっきりと分かりました。けれど自分の肉体に戻ってこれない…彼の目には、驚くぐらい大粒の涙が出てきてました。
「ほら!もう少しだ!戻ってこい!何してんだ!お前ならできるだろう!戻ってこい!…」
これが彼の魂に伝えられた最後の言葉となりました。
その後、札幌の病院に搬送され、私は新十津の指導があるので、冷静を保ちながら空手指導のプロフェッショナルとして、子供たちに悲しみを見せない、しっかりとした稽古をしてきました。時おり彼の顔が浮かび涙が滲んできてましたが…
そして札幌に到着し、2時過ぎ…私のスマホが鳴り響きました。今日が山場だと…
彼の相棒でもあった私の親友も駆けつけてくれ、そして虻田町の最初に来てくれた親友も駆けつけてくれ、3人で彼の傍らにずっといました。
ベッドに機械で繋がれている彼の姿は、最初に会った時とは違い、もう肉体には魂が入っていないんだ…というのが感じ取れました。
もう死も近いのだと…
「家族や子供たちのことはできる限りのことをやってくから心配するな!今はゆっくりゆっくり休め!」彼の肉体に語りかけた最後の言葉でした。
彼は静かに息を引き取りました。
朝、しめやかに送り出してあげ、私はそのまま道場に向かい、合宿の準備です。ここ何日間か、睡眠時間が1時間〜2時間、その中で友人の死というものに直面し…悲しみに包まれているせいなのか、私の体はいつも通りに動いてくれてましたが…
今回の合宿は「秋の合宿」という新たな試みで、新十津川支部の子たちと交流するという企画があるので、私が休むわけには行きません。
そして日曜日、無事に合宿を終わることができました。
ふと一人になると…心が押し潰されそうになるぐらいキツくなります。心を武道で鍛錬してきた人間なのに、こんなにも脆いものなのかと…
けれど私の肉体の方は、まだまだ悲鳴を上げておりません。これは日々のクンダリーニヨガ修行の賜物だと思ってます。 今の私にクンダリーニヨガが無ければ友人の死というものに押し潰され、心も肉体も相当なダメージを追ってたと思います。
彼には子供が8人もいます。上が高校3年生、下の子はまだ2歳です。
彼自身の言葉は私の心に届いて来てます。「どうしようミヤ?俺死んだの?俺はもう戻れないの?ミヤ助けて助けて…次に感じれたのが、子供達のことを頼むね!頼むね!頼むね…」でした。だから私は、私のできる限りのことをしてあげて、彼の弔いにしていきたいと思ってます。
いつか私が死んだ時、彼とあの世で会って「ありがとうミヤ!」って言ってもらえるように…
また会おうな!心配するなよ!今はゆっくりゆっくり休んでくれ…
さらば友よ!また逢う日まで