よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

04:第2章 今も生きる第1公準  リカードの論理 

2021年08月06日 | 一般理論を読む
第2章 古典派経済学の公準
古典派理論の公準 詳説:なぜ、「労働分配率を上げよう」というスローガンは空疎なのか?
 
 前回に引き続き、ケインズ自身の論理展開を理解するための解説:助走となる。相手を批判するためには、まず相手が何を言っているか理解しなければならない。

 今回は、古典派の英雄:リカードの理論に即して解説する。若干晦渋になるがお付き合いいただきたい。なぜなら現代正統派もリカードの直弟子だからである。現代日本でも政府はGDPを実質で見ているふりをしているし、私が今まで出会ったほぼすべての人はこの第1公準の信奉者だった。

第1公準 賃金は労働の限界生産物に等しい

 古典派は賃金は需給関係で決まる、と考える。商品価格が決まるのと同じだ。
 賃金は労働力という商品の価格である。これは間違いがない。問題はその価格は他の商品と同じように需給関係で決まるのか、ということである。
「賃金が高すぎるから労働力が売れない。賃金を下げれば失業は解決する。そんな安い賃金では生活できないというなら生活コスト削減の努力をしろ」
商品が売れないのは高すぎるからだ。コスト削減の努力をしろ。というのと同じである。果たしてそうだろうか?

 ただし、古典派の賃金とは実質賃金のことであり、実質賃金とは、その賃金でどれだけの量の生活資材が手に入るか、それを例えば穀物単位で表示したものである。

 穀物以外の生活資材は例えばシャツ1枚=穀物〇キロというように換算される。リカードはエンゲル係数が50という世界を対象としており、この傾向 ―穀物で表示する― が強い。ケインズは実質賃金を「現行貨幣賃金の賃金財等価物」と定義している。ここで賃金財とは賃金で購入される財、今でいう消費財に近い。しかし、労働者の住宅は賃金財だが消費財ではない。これは投資の対象となるので、今はどうでもいいが後々非常に重要になる。

 古典派では需要と供給のバランスで賃金が上がったり下がったりする(労働の価格が需給調整をする)わけだが、古典派の特にリカードの論理はそう単純ではない。

なぜリカードは実質で考えたのか? 収穫逓減の法則が根底にある

 労働の需要が高まれば名目賃金は上昇し穀物に対する需要も上昇する。なぜ需要が上昇するのかについてリカードは人口要因を考えている。「口」が増えれば穀物の需要も高まるというわけだ。マルサスを思い出した方もおられるだろう。

 ところが、穀物は、《穀物の需要が高まれば地味の悪い土地にも作付けをしなければならない》という≪収穫逓減の法則≫すなわち単位収量の低下によって名目価格が上昇する。労働者にとっては往々にして名目賃金が上がったほどには実質賃金は上がらないことになる。この差額は穀物生産者の懐に流れ込む。

 もう少し詳しく言うと、穀物に対する需要が供給を超過したときは、最も生産性の悪い土地での穀物価格(地代+諸経費+賃金)で穀物全般の価格が決まる。地味の良い土地での穀物生産の利潤は大きくなり、地代も上がる。これを≪差額地代≫という。農業資本家の超過利潤、地主の不労所得である。

 なお、この時代の農業は自作農ではなく農業労働者を雇用する大農場であった。ゆえに農業をめぐる階級としては地主、農業資本家、農業労働者が存在する。階級という言葉に違和感を持たれるかもしれないが、古典派はそもそも諸階級への分配の理論である。収穫は、生産の3要素=土地・設備(資本)・労働のそれぞれへ地代・利潤・賃金として分配される、というわけだ。

 このように労働の追加一単位の利潤に対して、賃金と穀物生産者、地主の取り分は増えていき、商品生産者が、利潤を極大化させようとすれば、ついには利潤がゼロとなる地点まで雇用は拡大する。これは、実際にそこまで行かんだろう、という話ではなく、均衡点を探るための理論上の話 [1]。

 この地点では、⊿粗利=⊿賃金となっており、古典派経済学の第1公準 ― 賃金は労働の限界生産物に等しい ― となる。

 リカードの分析では、生産の制約要因が穀物の生産弾力性に係っており、そのために賃金が高騰する。エンゲル係数が50を超える時代である。穀物が安くなればまだまだ成長は可能つまり利潤増大が可能、という理論になる。だから地主の不労所得に反対して穀物法の撤廃、穀物の自由貿易を主張したのである。すべての産業が同じ生産の弾力性であれば、このような事態は起きないか、かなり先送りされるであろう。というわけだ。リカードの慧眼には頭が下がる。現代でも構造改革論者が食料輸入の「自由化」に熱心な理由である。

 現代でも、何かがボトルネックになって利潤が、賃金と何かに吸収されてしまうということは起きうる。石油ショックの時に、利潤は賃金とアラブのアブラに流れてしまったように。

 第1公準は 雇用需要曲線を与える。賃金が高くなれば労働需要は減るだろう、というわけだ。よって、右下がりの曲線となる。

 現代でも、「賃金は生産性の上昇を超えて上昇するわけにはいかない」という「生産性基準原理」として生き残っている。また、形を変えて「労働分配率を上げよう」などという空疎なスローガンともなっている。

 かなり先回りして言うと、労働力は需給がひっ迫したからといって、他の商品のように資本が移動して労働力という商品を増産することができない。資本家は設備投資による省力化以外に対抗する手段を持っていない(2)。また余剰在庫が生じたからと言って倉庫にしまっておくこともできない。労働者は、全体としては、賃金の引き下げを甘受するしかない。これは他の商品と異なった労働力商品の特殊性である。

 資本制生産様式が資本制生産様式である限り、賃金の上昇は生産の阻害要因となりうるのである。

  1. なぜこの地点が利潤極大化点なのかは微分と積分の話である。ここでは詳述はしない
  2. 「少子化対策」という手段もあるが、家族観のせいか、日本政府は熱心ではないようだ
 


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