よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

03:第2章 古典派経済学の公準ー古典派理論の自明の前提

2021年08月09日 | 一般理論を読む
 今回から三回にわたって、ケインズ自身の論理展開を理解するための解説:助走となる。古典派を批判するためには、まず古典派が何を言っているか理解しなければならない。

常識的な古典派、非常識な一般理論

 まずケインズは自らの理論を古典派理論批判という形で展開する。ところが古典派は常識に立脚しているのでこれといった理論体系がない。批判する対象がはっきりしないのだ。

 そこでケインズはこの章で「古典派理論の公準」を定式化する。その「ケインズが定式化した古典派理論の公準」を批判しているのがこの章である。

 古典派が、現代正統派もそうだが、失業問題をどう考えるかというと「労働者は高すぎる賃金を求めて自らの意志で失業している」と考える。つまり「失業者は怠け者」だという理論である。これは世間常識と合致しているのでなかなか崩しにくい。
 一般理論が難解と言われ、日経エコノミストの妄言が大歓迎されるのはこのためだ。
「不満を言わなきゃ仕事なんていくらでもある」
「就職してから頑張ればいいんだ」
「失業者に手厚い施策を行うと怠け者を生む」云々

 もちろん学者も政策担当者も、こんな居酒屋談義みたいなことは言わない。「雇用の需要と供給は賃金によって均衡する」という。我々が目にしている市場では商品の需要と供給は価格で均衡しているように見える。雇用もまたしかり、というわけである。これが「贅沢言わなきゃ仕事なんていくらでもある」という常識と合致するのだ。

 ケインズは「古典派は明確な雇用理論を持たない」として彼自身の手で古典派の雇用理論を定式化している。それがこの章:古典派理論の公準である。
公準とは聞きなれない言葉だが原文ではTHE POSTULATES OF THE CLASSICAL ECONOMICSだ。

 Postulateを辞書で引くと「名詞:仮定、公理。動詞:〈…を〉(自明なこととして)仮定する,(論理を発展させるために)前提とする」となっている。つまり「古典派が自明のこととしている前提」だ。自明なこととしている前提を疑うというのは常人のなせる業ではない。

 繰り返すが、ここで言う古典派経済学の公準とは、雇用量を決定する要因について古典派の考え方を、ケインズが定式化したものである。古典派がこのような公準を定式化しているわけではない。現代正統派が批判の対象とすべき何の理論もないように、古典派もその理論が成立する前提を明らかにしていない。

古典派理論の二つの「公準」

 ケインズはまず公準を定式化し、その公準が成立するには何が必要なのか、その公準が成立するとしたらどのような結果になっているはずなのか、を探求していく。いわば背理法で古典派の命題が成立しないことを論証している。それぞれの公準の表現は難解であり、ここまで読んで躓き「一般理論は難しい」とお嘆きの諸兄姉がなんと多かったことか。私に任せなさい。

 ケインズは古典派は二つの公準を前提としている、と言う。

 二つの公準とは

第1公準 賃金は労働の限界生産物に等しい
第2公準 労働雇用量が与えられたとき、その賃金の効用は、その雇用量の限界不効用に等しい

 一読しても、わからない。どうだ!難解だろう!と言いたいところだ。

 この公準が何を言っているか理解するためには、そもそも古典派が、とくにリカードがどのように考えていたのかを若干理解する必要がある。単純化した話で理解するのは危険である。最初の土台がしっかりしていないと階層を立ち上げるにつれてぐらつくからだが、リカードの話は後にすることにして、ここでは本題の解説の前に「あえて」単純化して話をしたい。

第1公準 賃金は労働の限界生産物に等しい

一国の経済で好況が続くと生産が拡大する。生産が拡大すると雇用が増大する。労働力資源はいずれ枯渇して賃金が上昇する。この状態が続くと生産をこれ以上増やしても利益の全部が賃金に持って行かれるところまで賃金が上昇する事態に行き当たる。これが「賃金は労働の限界生産物に等しい」状態であり、雇用の最大量が決まるというわけである。いくつも???が付くが、現代でも「高賃金は企業の国際競争力をそぐ」という形でしっかり生きている。

第2公準 労働雇用量が与えられたとき、その賃金の効用は、その雇用量の限界不効用に等しい

 この第2公準は我々日本人には最も難解だ。労働の不効用という概念が乏しいからだが、経済学は「人は基本的に働きたくないものだ」という前提に立っている。第1公準から雇用量が増えれば賃金は上昇するのだが、いくら賃金が上昇してももう働きたくないという時点が訪れるというのだ。
  •  賃金の限界効用>労働の限界不効用 ⇒ 労働を供給する
  • 労働の限界不効用>賃金の限界効用  ⇒ 労働を供給しない つまり、自発的に失業する
というわけである。

 ここで限界効用(不効用)とはY=f(X)という関係が成り立つとき、投入量⊿Xに対する⊿Yのことである。限界効用学説とは関係があるようでない。

 第1公準は賃金を横軸X、雇用量を縦軸Yとした需要関数となる。
 賃金が上昇すると、つまりX軸を右に移動すると、雇用に対する需要は減少する。雇用に関する需要関数はYに対して右肩下がりとなる。

 一方、第2公準は雇用の供給関数である。
 賃金が上昇すると、つまりX軸を右に移動すると、雇用の供給は増大する。雇用の供給関数はYに対して右肩上がりとなる
右肩下がりと右肩上がりの二つの関数は必ず交点を持つ。そこが需要と供給が均衡した賃金水準ということになるのである。

 果たしてそうだろうか?

 


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