第8章 消費性向(1)―客観的要因 第4節
金融的準備が雇用に及ぼす影響
非常に重要な節である。これまでケインズは金融のことを捨象してきた。これからは金融が前面に出てくる。引用が増えるがケインズの言い回しに慣れていただきたい。訳は名訳である。これ以上は「超訳」となり何かが抜ける。
まず、雇用は期待消費と期待投資の関数である。ここで結果ではなく期待の関数という指摘は、考えてみれば当たり前だが、重要である。期待によって雇用量は決まる。すなわち賃金は「先払い」であり、商品として購入されているということを意味している。ケインズは分かって使っている。
内部留保が積み上がれば
次に、純所得=消費+純投資であるから、消費は純投資の関数となる。
消費=純所得―純投資だから、また純投資=純所得―消費とも書ける。
Y=f(X)もX=f(Y)も同値の式である。(私はあなたを愛している と あなたを私は愛している の違いはあるが)
では所得と純所得の違いは何か。所得―金融的準備=純所得である。
金融的準備とは資本装備の維持管理費用と減価償却のことである。使用費用とは違う。
減価償却と有利子負債の返済の関係についてはここでは触れない。
これが期中に支出されてしまえば何の問題もないが、内部留保として積み上げられていくと大変な問題となる。まさに現代日本が抜け出せない状況となるのである。
かなり長いが本文から引用する。見出しは筆者である。
投資が重厚長大になれば・・・
だが非定常的な経済、なかんずく耐用年数の長い資本への投資がどっと一どきに行われた直後の時期においては、この要因が重要になることがある。というのは、このような状況の下では、新規投資項目のきわめて大きな割合が、現存資本装備のために企業者が設定している多額の金融的準備によってその投資効果を殺がれてしまうかもしれず、しかもその装備はといえば、時が経つにつれて損耗していくとはいうもののいまだ日が浅く、そろそろ満額に近づきつつある金融的準備の積み立てを補修や更新のために支出するというところまでは至ってはいない、その結果所得も、低い純投資総額に見合った水準を超えて上昇することはないからである。このようにして、償還基金その他は、(これら準備が予定している)更新支出需要が効果を発揮し始めるはるか以前に、消費者から支出能力を取り上げてしまうことになりかねない。すなわちそれらは当期の有効需要を減少させ、更新が現実に行われるときにはじめて、有効需要を増加させるものなのである。このような〔負の〕効果が「堅実金融主義」、すなわち装備が実際に消耗するよりもっと急速に取得費用を償却する」のが好ましいという考え方にょって強められるならば、その累積された結果は実に深刻なものとなるかもしれない。
先進工業国の経験
たとえば合衆国では、一九二九年までの五年間に資本拡張が急速に進み、その間、更新の必要がない装備のために、償還基金と減価償却費がきわめて巨大な規模で積み増されていったから、これらの金融的準備を吸収するためだけでも全く新しい巨額の投資が必要とされたほどである。しかるに、完全雇用状態にある富裕な社会にして初めて可能となるほどの巨額の新貯蓄を吸収してくれる、さらにいっそうの新規投資を見出すことなど、ほとんど絶望的であった。おそらくこの要因一つをとってみても、不況を引き起こすには十分であった。そのうえ、このような「堅実金融主義」を、不況のさなか、まだそれだけの余裕があった大企業が取り続けたものだから、それがまた早期回復に対する深刻な障害となったのである。
あるいはまた、現在(1935年)のイギリスでは、戦争以来住宅建設その他の新規投資が相当額にのぼった結果補修と更新のために現在必要な支出額を上回る額の償還基金が設定されるまでになっている。この傾向は、投資が地方自治体や官公庁によるものである場合には、「健全」財政の原則-―実際の更新時期がやって来ないうちに取得費用を償却できるほどの償還基金を必要とするのがしばしばである――によっていっそう顕著になっている。
その結果、たとえ民間人が純所得のすべてを支出するにやぶさかでなかったとしても、官庁と準官庁の法定準備金がこのように巨額にのぼり、それに見合っだけの新規投資が全くともなわないという状況下では、完全雇用を回復するのは至難の業であろう。推察するに、いまや、地方自治体の償還基金は、年あたりの数字で見ると、新規投資への支出額全体の半分以上にるのぼっていると思われる。保健省は地方自治体に償還基金をしっかり積むよう要求しているが、いったい彼らは、自分たちが失業問題をどれほど悪化させているか、気づいているのだろうか。個人の持ち家建設を手助けする住宅金融組合の融資について言えば、持ち主は住宅が実際に老朽化するよりもっと速い速度で借金を完済してしまいたいとの思いが強く、そのため彼の貯蓄は、そうでなかった場合に比べ、いっそう促進されるかもしれない。もっともこの要因は、たぶん、消費性向を低下させる要因としては、純所得への影響を介すもるのよりはむしろ消費性向を直接低下させるるのに分類されてしかるべきであろう。住宅金融組合の融資した抵当貸付の返済額を実際の数字で見てみると、1925年には2400万ポンドであつたものが、1933年には新規融資の1億300万ポンドに対して返済額は6800万ポンドにはね上がり、現在ではおそらくそれよりもっと多いだろう。
今の日本のことじゃないか
巨大な生産設備を抱えた先進国経済共通の問題である。金融準備は金融資産として現れる。問題はその金融資産の対応物、誰が借りるのかということなのだ。
巨大な生産設備・巨額の金融資産が経済成長の桎梏になるとは誰が考えただろうか。巨額の公的債務の問題ばかりが強調されるが、借り手のない巨額の金融資産のほうがもっと問題ではないのだろうか?