異次元の金融緩和の指導理論
この章では、古典派の利子率理論批判を通して、ケインズ自らの利子率の一般理論を展開している。その批判されている古典派の利子率理論が「異次元の金融緩和」の指導理論である。また一般理論で「唯一のグラフ」が登場することでも有名?である。この章と次の付論を筆者自身は「一般理論」のなかで最も難解だと思う。この章を理解できなければ、マイナス金利でも借り手がいないのは何故か?なぜ貯蓄が積み上がるのか?の解も得られない。
理解の鍵は、資本の限界効率の低下に足並みをそろえて利子率が下がることはないのは何故か?というケインズの問いである。古典派では解けない問いである。答えは「貨幣というものが、誰にとっても、いくらあっても邪魔にならない存在だから貨幣であり続けるのだ」だが、これだけでは今後の分析の役に立たない。ケインズは探求していく。ケインズの冒険である。「よみがえるケインズ」は「ケインズの冒険」に変えたほうがいいかもしれない。
古典派の利子率理論とは、労働市場分析と同じく金融商品の価格(利子率)で資金需給が均衡するというもの
まず、古典派の利子率理論とはどのようなものだろうか?ケインズは、古典派の利子率理論を次のようにまとめている。
古典派:利子率は投資と貯蓄を均等化させる投資可能な資金の価格である。
「利子率の一般理論」では「利子率は、…富を現金という形でもとうとする欲求と現金の有り高とを均衡化させる「価格」である」だった。古典派が投資と貯蓄という別個の主体間で均衡が成立すると考えているのに対して、ケインズは同一主体内で流動性選好と実際の現金保有高が均衡すると考えている。両者は全く「異次元」の考え方である。古典派には貯蓄のうちいくらを流動性として確保するかという流動性選好という概念がない。流動性の確保のためだけに確保されている現金は消費にも投資にも使われない。古典派理論の裏には「貯蓄はいずれ必ず消費か投資される」という信念があるからだ。
ケインズは次のような論法を誤りだとしている。後の逐条批判のために文章ごとに番号を振った。
①人が貯蓄という行為を行うときには、彼はいつも自動的に利子率を引き下げる行為をなしており、自動的に利子率を引き下げる行為をなせば、自動的に資本の生産を刺激する、と考えている。②そのさい利子率がどの程度低下するかといえば、利子率は、資本の生産を刺激し、その増加分が貯蓄の増加分にちょうど等しくなるところまで低下するのである。③しかるこのプロセスは自己調整的なプロセスであり、それが実行されるためには、通貨当局による特別の介入や余計なお節介はなんら必要とされない。同様に、そしてこれは今日においてもなおいっそう広範に抱かれている信念であるが、投資を増やすと、それが貯蓄性向の変化によって埋め合わされるのでないかぎり、利子率は必ず上昇する。
人はなぜ価格によって資金の需給すら均衡すると考えてしまうのか
うっかり騙されないように先の引用テキストの批判を行ってみよう。ケインズの手になる古典派の利子率理論の要約であり、現代正統派の標準理論である。
①:人が貯蓄という行為を行うときには、彼はいつも自動的に利子率を引き下げる行為をなしており、自動的に利子率を引き下げる行為をなせば、自動的に資本の生産を刺激する。
貯蓄の第二段階、流動性選好表によって貯蓄のいくらが資金供給に回るかが決定される。金保有という選択肢もある。貯蓄がいつも自動的に利子率を引き下げるわけではない。貯蓄増⇒貨幣量増⇒利子率低下⇒投資増大とはなるかもしれない、ならないかもしれない。問題は需要だから。
②:そのさい利子率がどの程度低下するかといえば、利子率は、資本の生産を刺激し、その増加分が貯蓄の増加分にちょうど等しくなるところまで低下するのである。
投資が拡大するかどうかは、資本の限界効率にかかっている。そもそも貯蓄が増えても流動性選好が高まれば資金供給は起きない。利子率が低下して資本の限界効率が高まることもあれば高まらないこともある。さらに投資は必ず貯蓄を生む。一単位の投資増がどの程度の貯蓄を生むか考えてみよう。
③:しかるこのプロセスは自己調整的なプロセスであり、それが実行されるためには、通貨当局による特別の介入や余計なお節介はなんら必要とされない。同様に、そしてこれは今日においてもなおいっそう広範に抱かれている信念であるが、投資を増やすと、それが貯蓄性向の変化によって埋め合わされるのでないかぎり、利子率は必ず上昇する。
貯蓄性向一定の前提があるが、投資を増やせば所得の増大と限界消費性向の低下から、貯蓄性向は増大する。利子率の上昇・下降は直ちには言えない。ケインズは自己調整的プロセスはありえないと考えているが、ここまで読まれた方はその理由を直ちに理解されるだろう。お馴染みのその他一定条件を付せば、投資は同量の貯蓄を生むが、貯蓄は同量の投資を生むとは言えないからである。
このような古典派理論ではマイナス金利でも借り手が増えない理由が永遠に分からないし、なぜ余剰資金が発生するのかも分からない。つまり現実の処方箋としては永遠に役に立たないのである。