よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

第6章 所得、貯蓄および投資の定義 (投資は所得を産みだすが貯蓄は所得を産まない)

2022年05月28日 | 一般理論を読む 改訂版
 「第二編 定義と概念」が書かれた理由は以下のとおりだった。
 第一に、経済体系全体に関する問題にふさわしい単位の選定。 ⇒第4章
 第二に、経済分析において果たす期待の役割。 ⇒第5章
 第三に、所得の定義。 ⇒第6章

 第6章は所得の定義に充てられており、そこから貯蓄および投資を定義することで恐るべき結論が出てくる。その一部は第3章有効需要の原理で展開されている。

1 所得
 まず、所得の定義から始まる。

 期中売上高(A)―期中外部購入費用(A1)=期中粗利益
(外部購入費用は現在の外部購入費用と同じ概念。売上原価のことではない。使用費用の概念がないので使用費用を含む粗利益である)

 ところで期中粗利益の一部は、期首資本装備からもたらされたものである。とケインズは言う。「価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分」を粗利益から控除しなければならない、と言うのだ。では、この寄与した部分をどう定義するのか?
 ここでケインズは、期首資本装備価値Gは、その装備を使わなければ期末もGのままだ、と考える。当然経年劣化はあるのだが、ここは資本装備が何らかの意味で寄与した部分を検討しているわけだから、使わなければ期首資本装備価値から生産物への価値移転はなかったことになる。価値移転がゼロなら、すなわち期首資本装備価値は変わらないと考えることができる。経年劣化やそれを防ぐための保守費用を考慮に入れてもいいが、結論は同じになる上に複雑化するだけである。期中外部購入費用(A1)は「他の企業者から完成生産物を購入した額」とされている。この段階では使用費用の概念がないので、A1がそっくり期中の完成品に転化されるのか、そうではないのかの区別はつけていない。以下A1はいったん括弧に入れて期首と期末の資本装備価値に限定して論考を進める。(A1は相殺されていくので考慮に入れなくていいのである)
 使わないままの資本装備に維持・改善のための費用B′を支出し期末の資本装備価値がG′になったとすると、期首資本装備価値G+維持・改善のための費用B′<期末資本装備価値G′という不等式が成り立つ。維持改善をして減価する、すなわち不等式の向きが逆ということはありえないことにしておく。(*これに着いては次のケインズの引用を参照のこと。)この不等式を数式化すると

G+B′<G′ 
G<G′―B′
0<(G′―B′)―G

となる。すなわち(G′―B′)―Gは正の値を取り、これは期中売上高Aのために犠牲にされる価値の量でありAの使用価値だとしている。面倒な思考法だが、端的に言うと、

 G′―G―B′=期末資本装備価値―期首資本装備価値―維持・改善費用
     =期首資本装備からもたらされた期中粗利益の一部

 では、不等号が逆の場合はどうだろうか?
 期首資本装備価値G+維持・改善のための費用B′>期末資本装備価値G′このとき使用費用は負の値をとる。

「もちろん、G―A1がG′―B′を凌駕し、使用費用が負の値をとることも考えられる。たとえば投入物はその期間中増え続けているのに、増加した生産物を完成・販売の段階に至らしめるいとまがない、というふうにたまたま期間がとられていたとしたら、このようなことも十分に起こりうる。あるいはまた、産業統合が大いに進んで、企業者が自分の装備の大半を自前で製造するという事態を想定してやれば、正の投資があるときには必ずそうなるであろう。しかし、使用費用が負になるのはせいぜい企業者が資本装備をみずからの労働によって増加させているときくらいだから、資本装備が主としてそれを使用する企業とは別の企業によって製造されている経済では、使用費用はふつうは正になると考えていい。そのうえ、 Aの増加にともなう限界使用費用すなわちdU/dAが正以外の値をとることもまず考えられない。」

 B′がプラスかマイナスという議論をしているわけだが、もう一つ付け加えれば、B′がゼロで資本装備は朽ちるがままに任されるという事態も考えうる。これは企業としても産業としても一国経済としても停滞から衰退に向かっていることになり、異常な事態である。現代日本は一国経済として固定資本が徐々に減価していき、それを補償するための投資も行われていないという事態に立ち至っているが、ケインズとしても想定外の事態であろう。ただし一般理論の枠内では想定内だが。
 つらつらと書いてきたが、「付論 使用費用について」までは次のように理解しておいて差支えない。

全て貨幣表示で、以下のように定義する。
A:期中売上 文字通り
F:要素費用 期中売上に対応する外部購入費用。期首在庫(完成品・半製品・原材料等)は調整済み
U:使用費用 価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分
I:定義しようとしている所得 利潤+雇用費用(賃金)

 個々の企業にとって I=A-F―U または A=F+U+I
 F は他の企業にとっての期中売上だから 他の企業の売り上げをA′とするとA′=F′+U′+I′
 一国全体ではF は相殺されていくからΣA=ΣU+ΣI すなわち ΣI=ΣA-ΣU となる。

 つまり
 一国の総所得=総売上―総使用費用

 ここでU (総使用費用)をどのように算出するかは課題として残しておく。Uの定義は上記のとおり「価値のうち前期から引き継いだ装備が(なんらかの意味で)寄与した部分」である。この段階では企業者が最大にしようとしている所得は、使用費用に大きく影響されるというにとどまる。
 付論 を待て!だが、期首資本装備価値=当初の購入価格―減価償却累計と考えると、ここから先の議論は分からなくなるのでいったん忘れよう。何のために「期待」の議論をしたのか。経営学上の会計原則とマクロ経済学の概念は違うのだ。

2 貯蓄と投資

 大混乱を起こすところだが、きわめて重要な節である。大混乱の原因はここまでの議論で所得―消費の残余分(すなわち貯蓄)だけ投資が行われる保証はないとしてきたのに、ケインズはこの節で必ず貯蓄=投資となると主張しているからである。この解は「時点問題」である。
 ケインズによると「所得は当期生産物の価値に等しいこと、当期の投資は当期生産物のうち消費されない部分の価値に等しいこと、そして貯蓄は所得の消費に対する超過額に等しいこと、これらはすべて常識にも合致し、大多数の経済学者の伝統的な用語法とも合致している。これらが同意されれば、貯蓄と投資の均等は必然的に導き出される。」

「簡略化すると―
所得=生産物価値=消費十投資
貯蓄=所得―消費
したがって
貯蓄=投資」

 当期に実現された売り上げ(期中生産物の価値なので在庫も含まれる)は所得となるが、それは消費財と資本財の合計である。所得―消費は貯蓄だから貯蓄=投資となる。あくまで、当期に実現された売上を分解したら、という前提がある。このとき総産出量は生産能力の限界に達しているか、完全雇用は実現されているかは定かではない。

「生産物が〔確固とした〕市場価値をもつこと、このことは貨幣所得が確定的な価値をもつための必要条件であるとともに、貯蓄者が決める貯蓄総額が投資者の決める投資総額と均等化するための十分条件でもある。」

 この文言から分かるように製品はすべて売れている前提(完全雇用状態か、そこに向かっている状態)となっており、金利の支払いも考慮に入れていない。しかし、過去の貯蓄を取り崩して投資または消費を行えばその分、所得は増えるということはできる。
 なぜ、こんな面倒なことを検討しているのかは、次の次の「第6章 所得、貯蓄および投資の意味―続論」で明らかにされる。国債発行による財政出動は是か非かという議論が当時もあったからである。ハイエクはそれは消費を圧迫すると言い、ケインズは完全雇用下ではそういう場合もあるが、現下の情勢では投資が貯蓄を産むと言っている。
 ケインズは当期所得を消費と貯蓄に分ける割合をそれぞれ消費性向、貯蓄性向と呼ぶ。消費性向+貯蓄性向=100となるのだが、以降は消費性向に拠って分析を進めていく。有効需要=消費+投資だから。その前に一旦カッコに入れた使用費用の厳密な定義に移る。

最新の画像もっと見る