一般理論の「一般」とは何か、ということが書いてある章
ケインズが、リ力ード、J・S・ミル、マーシャル、エッジワース、それにピグー教授を「古典派」と呼び、その理論「古典派経済学理論」を批判の対象として執筆したのが「雇用、利子および貨幣の一般理論」である。このタイトル「雇用、利子および貨幣の"一般"理論」の「一般」にに大きな意味があることが読み進めるうちにわかってくる。
古典派経済学理論は、非自発的失業者が存在しないことを前提にしている。この非自発的失業者がいない状態、すなわち完全雇用状態を対象とした古典派理論は、一般的には妥当しない。つまり特別な時にしか通用しない。ケインズは完全雇用に到達する前に均衡状態が訪れることを指摘しており、完全雇用は均衡状態のなかでも特殊な状態にすぎない。好不況を繰り返す景気循環のなかでもたまたま訪れる好況・半好況(均衡状態)と長い不況・半不況(これも均衡状態)の合間の一瞬にしか完全雇用は実現しないのだ。
ところが古典派は「非自発的失業」の存在を否定することで、この特殊な完全雇用の状態を一般化し、その理論としたのである。古典派理論は一般的には妥当せず、均衡状態の中でも極限状態に妥当するにすぎない、というのがケインズの主張である。この章に書いてあるようにケインズは、好況・半好況と長い不況・半不況の全期間に妥当する一般理論を打ち立てようとしている。「経済学原理」などという名前にせずに「雇用、利子および貨幣の一般理論」にしたのは雇用・利子・貨幣が相互に関連しており、その関連の「一般理論」を打ち立てたことを宣言するためであろう。
均衡は「景気の状態」を表さない
「第三章 有効需要の原理」で明らかにされるが、均衡状態とは、総需要関数の曲線と総供給関数の曲線が一致する点である。有効需要が雇用量を決定するのだが、有効需要決定の原理と完全雇用達成の原理は違う。だから、均衡状態と完全雇用状態はちがう。さらに、言えばケインズは自由放任の下での完全雇用達成の不可能性を理論化している。
完全雇用未達状態は、資源の無駄(最大の無駄は貯めておけない労働力だ)を意味している。資本主義の最大の「無駄」は、世上言われている「大量生産・大量消費・大量廃棄」の無駄ではない。日々生成され、その日のうちにしか使用できない労働力を使わずに捨ててしまうことである。