企業の利潤は、売上から賃金と仕入額を引いたものである。売上=利潤+賃金+仕入額だ。この仕入額は供給先から見れば売上だから、供給先の売上もまた利潤+賃金+仕入額に分解される。この仕入額もまた・・・ということで売上を相殺していけば社会全体で生み出された価値(総付加価値)は利潤+賃金ということになる。ここでは議論の簡略化のために輸出入と資本に関わる費用は省略している。ケインズにならって閉鎖経済系で使用価値を含ませていないということだ。使用価値については後に戻ってくる。
ある期間にその社会で生み出された付加価値=利潤+賃金とし、企業にとっての目的は利潤の最大化とする。以下の議論の前提である。
生産はサービスの供給も含み、以降生産とは財・サービスの生産とする。生産が進むほど利益幅が落ちていくことは誰でも知っている。利益幅は落ちていくがなお生産は続けられ新規の供給の利益がゼロになるところまで進む。これが累積した利潤が最大となる時点だ。実際にはそれ以上に生産されたり、その手前で止めてしまったりすることもあろうがこれは理論上の考察である。
社会全体で見た場合、企業が雇用量を決定するのは、その時点での期待する売上の大きさに依存する。N人を雇用している企業の現在の売上を総供給価格(Z)とし、その時、N人を雇用しているときに市場から得られると期待される売上を総需要価格(D)とする。
総需要価格(D)>総供給価格(Z) なら雇用を増やし
総需要価格(D)=総供給価格(Z) なら雇用を維持し
総需要価格(D)<総供給価格(Z) なら雇用を縮小しようとするだろう。
このD=Zの時点、期待と現実が一致した時点での需要が、ケインズの言うところの「有効需要」である。この概念の理解には経済学の勉強も研究も必要はない。むしろ必要なのは企業経営の現場経験である。現場の人は皆知っている。一つの商品の寿命は短くマーケットが飽和するのは意外に早い。多くの市場で飽和が始まったら不況に突入することを。
一般理論の白眉はこのD=Zの時点で労働市場も飽和している保証はないと主張していることである。さらには自由放任下での完全雇用は不可能であることを主張していることである。
簡単にその主張をたどってみよう。
先ほど展開した総付加価値=利潤+賃金は社会の総所得である。
所得が増えるほど消費も増えるがその増え方は所得ほどではない。これは限界消費性向低下の法則と呼んでいる(ケインズは「この心理法則」と言っている)が、限界って何?性向って何?と思わず「ピタゴラスの定理」のような固有名詞と思っていただければ十分だ。
限界消費性向低下の法則:所得が増えるほど消費も増えるがその増え方は所得ほどではない
限界消費性向低下の法則は社会の成員全体が同じ所得でも当てはまるが所得格差が開くほど低下の度合いが増すという特徴を持っている。理由はお金持ちほど消費に回す割合は減るからだ。豊かな人はその所得に見合う消費生活(贅沢)を経験せずに一生を終わっていく。何と残念な事かと思うが法則であってみれば仕方がない。
企業も家計もお金を使うが、企業が生産手段を購入するお金は投資と呼ばれ、家計が生活手段を購入するお金は消費と呼ばれる。
ここで家計という言い方に違和感を持たれるかもしれないが、単身家庭も高齢者家庭も「標準」家庭も経済主体としては家計と呼ばれる。政府は家計に投資を奨励しているらしいが、生産手段の購入でない限りそれは投資ではなく貯蓄である。もちろん家計と経営が分かちがたい個人事業主も存在するが、ここは家計の所得から消費した残りを貯蓄とする。
ケインズは企業の金の使い方を二種類(要素費用と使用費用)に分ける。企業会計上も損益計算書と貸借対照表とで金の使い方を分けている。なぜだろうか?損益計算書だから費用。貸借対照表だから資産。というのは言い換えに過ぎない。完成品への価値の移転の仕方に違いがある。完成品に価値の全てが含まれていくものが冒頭に述べた費用であり、ケインズはこれを要素費用と呼んでいる。完成品の要素に含まれてしまうからだ。これとは違って完成品には一部の価値しか移転しないもの、これは資本装備と呼ばれその購入が投資である。ケインズはこれを使用費用と呼んでいる。またここでは消費=生活手段の購入、投資=生産手段の購入と理解して問題はない。
使われた所得=消費は必ず全額他の所得となる。一方、貯蓄には借りてくれる人が必要となる。借りる理由は何でもいいが、借りて消費に回すとなると、明日の労働力を再生産するためのギリギリのものでもない限り、あまりいい結果はもたらさないだろう。借り入れは利子を払ってもお釣りが来る用途にすべきである。つまり資本装備の購入=投資である。これは通常「設備投資」と呼ばれている。
所得を消費と貯蓄に分けると、消費はそのまま誰かの所得となっている。貯蓄は先ほどのとおり借りてくれる人いて投資してくれるから誰かの所得となる。貯蓄が全額投資に回るとすると
所得=消費+貯蓄=消費+投資=生活手段の購入+生産手段の購入<次の所得
この式は貯蓄が全て投資に回れば次の所得>所得となることを示している。理由はもちろん生産過程にあり労働が価値を増大させているからである。これは経済成長と呼ばれる。ただし貯蓄が全て投資に回る保証はどこにもない。それどころか社会が豊かになればなるほど消費の割合は減り貯蓄に回す割合は増える。消費性向は長期にわたって変化しないし、豊かになるほど低下するというのが経験則である。
N人を雇用している企業の現在の売上を総供給価格(Z)としたのだから、総供給価格は雇用量の関数であった。総供給価格=総消費+総投資=N人の雇用 である。このうち限界消費性向低下の法則により総消費の割合が低下していくとすると雇用量は総投資の大きさにかかっている。
投資<貯蓄の状態が続くと雇用量そのものが減っていく事態が起き、それは限界消費性向低下の法則と有効需要の原理から必然となる。
これが有効需要の原理で主張されている事である。
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限界消費性向低下と投資の困難
投資の最終目的は消費である。豊かになって所得のうち消費に回す部分は減っていく。つまり貯蓄に回る割合が増える。図のように豊かになればなるほど新たな投資先を見つけるのは難しくなる。ケインズはこれを「完全投資の状態」と呼び、小野善康は「成熟社会」と呼んでいる。
総需要関数と総供給関数
この図は筆者作成のものだが、誤解を生む余地を持っている。この図の有効需要の時の雇用量を需要と供給が一致する均衡点と捉えてしまうと大きな誤りとなる。そのように理解すると新たなマーケットの開拓や新商品に開発によって総需要曲線は上がり、生産性の向上によって総供給曲線は下がるので需給均衡点が右に移動し新たな雇用を生むことになる。これは通常世の中で提案されていることでヒックスがそうであったように一般理論を一般均衡論に後退させることになる。そうすると資本の限界効率、長期期待の状態、利子率の一般理論、流動性選好といった概念の根底にある「期待」という概念を理解し損ねることになる。
総需要関数は雇用量の関数であるとケインズは指摘しているが、ほとんどの人は理解していないのではないか?
雇用量Nの時の総供給価格は実現された売上だが、その時の総需要価格は期待される売上である。まだ売れると期待すればすなわち総需要価格が総供給価格を上回っていれば雇用量を増やし、有効需要を超えて雇用を増やそうとしないだろうというのが一般理論である。つまり賃金という労働力の価格で労働市場の需給が均衡するという古典派・現代正統派の主張を否定しているのだ。
もちろん新たなマーケットの開拓や新商品に開発、(賃下げ以外の)生産性の向上によって有効需要を増大させることはできる。しかしそんなことでは追いつかない、というのがケインズの見立てである。一般理論の第二編以降主張されていくのは発達した資本主義がもつ固有の不確実性とそこからの脱出法である。