借り手のいない資金は存在するのか?
ここでいったん使用費用の議論から離れる。すぐ戻るが。
第6章 第2節「2 貯蓄と投資」 をどう読むのか?
大混乱を起こすところだが、きわめて重要な節である。大混乱の原因はここまでの議論で所得―消費の残余分(すなわち貯蓄)だけ投資が行われる保証はないとしてきたのに、ケインズはこの節で必ず貯蓄=投資となると主張しているからである。
これまでの「投資」は期待を伴うものだった。ここで扱っている「投資」は行われた投資である。そこに違いがある。
この解は「時点問題」である。実現された売り上げは必ず消費と貯蓄から成り立つ、という意味である。
または実現された消費と投資が所得となる、といってもいい。
ケインズによると
「所得は当期生産物の価値に等しいこと、当期の投資は当期生産物のうち消費されない部分の価値に等しいこと、そして貯蓄は所得の消費に対する超過額に等しいこと、これらはすべて常識にも合致し、大多数の経済学者の伝統的な用語法とも合致している。これらが同意されれば、貯蓄と投資の均等は必然的に導き出される。」
前項で期首資本装備からの移転分を控除して所得を定義した。つまり当期の付加価値のことであり「当期生産物の価値に等しい」。そのうえで貯蓄=所得―消費とする。それはそうだ。
*お金の使い道は消費と投資と貯蓄しかない。投資とは設備投資のことで、いわゆる投資(証券投資等)は貯蓄である。
当期発生原則で貨幣の流れを整理すると以下のようになる。
当期に実現された売り上げは所得となるが、売り上げは消費財と資本財の合計である。所得―消費は貯蓄だから貯蓄=投資となる。
あくまで、当期に実現された売上を分解したら、という前提がある。このとき総産出量は生産能力の限界に達しているか、完全雇用は実現されているかは定かではない。
「生産物が〔確固とした〕市場価値をもつこと、このことは貨幣所得が確定的な価値をもつための必要条件であるとともに、貯蓄者が決める貯蓄総額が投資者の決める投資総額と均等化するための十分条件でもある。」
ここでは不良在庫は考慮に入っていないし、金利の支払いも考慮に入れていない。期中の投資は期中の貯蓄から賄われることになっている。
さらに意訳すると
「生産物が全部売れてしまえば、貨幣所得は確定し、所得は消費と投資に分かたれているだろう。投資の原資は貯蓄であり、投資=貯蓄と(事後的には)均等化している」
あまり分かりやすくなったとは思えないが・・・
ただ、ここでは、期中の投資=期中の貯蓄という前提だから、過去の貯蓄を取り崩して投資または消費を行えばその分、所得は増えるということができる。次章での展開となる。
ケインズは当期所得を消費と貯蓄に分ける割合をそれぞれ消費性向、貯蓄性向と呼ぶ。消費性向+貯蓄性向=1となるのだが、以降は消費性向に拠って分析を進めていく。有効需要=消費+投資だから。
ここで一旦カッコに入れた使用費用の厳密な定義に移り、そのあとまた「第7章 貯蓄と投資の意味―続論」に戻る。
ただ、これは、面倒だ。の一言である。
しかし読み通すと「貯蓄」に対する自分の考え方に根本的な再検討を迫られるだろう。