よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

46:第13章に関する筆者の補論 流動性を誰が抱え込むのか 

2021年04月02日 | 一般理論を読む
第13章 利子率の一般理論

 以下補論となるが、ここまでで分かった人、お前の補論なんか要らんわいという人は読み飛ばしてもらって結構である。感覚的理解のためであるから論理の厳密性はない。

資金の需要側と供給側

 ここに資本家と企業家という二つの集団を考える。理解の簡便のために個人として扱う。資本家は資金を供給し、企業家は資金を需要する。企業家の資金需要条件は資本の限界効率と利子率の兼ね合いで決まる。資本の期待限界効率>利子率⇒資金不足⇒需要が高まる。資本の期待限界効率<利子率⇒資金需要ゼロに。粗っぽいがこういう前提とする。資本家=純粋資本家ではなく、企業・企業家や労働者も資金供給側の側面を持っているのはもちろんで、概念としての区別である。

流動性選好の度合いでポートフォリオを組む

 前項で措定したように、資本家は金融資産のポートフォリオを常に組み替えていく。ポートフォリオには現金・預金といった流動性の極めて高い(流動性が高いということは換金=現金化のしやすさにかかっているが、現金は現金そのものである)ものから市場で売買される証券、さらに直接投資という換金しにくい(流動性が低い)ものまでさまざまである。

ポートフォリオは組み替えられる

 ポートフォリオを組み替える理由は、過去と未来、言い換えれば実績と予想(期待)の両側面がある。通常は個別資産の過去の収益実績から、組み替える・組み替えないが決定されるだろう。ケインズの言う慣習の力である。一方、期待のほうはどうだろうか。通常は期待は慣習の力によって代用されている。しかし縮小均衡過程に入ったり、今の景気拡張がいつ反転するかという不安が大きくなったりすると、慣習の力は後景に退き、未来予想という困難な課題が資本家にのしかかる。

組み換えが引き起こす事態

 ケインズの指摘どおり(美人投票の喩え)高度な金融市場が成立している場合は、未来予想はますます困難となる。ポートフォリオの個別資産も流動性が低くなり(換金が困難になる。市場の大方がこの先価値が下がると考えている資産を誰が買うだろうか。損切りをして換金しておくのが一番である)、資本家の流動性選好の高まりによって現金保有が増え、こういう局面では資本の限界効率は下がるが、資本の限界効率の低下と足並みをそろえて利子率が下がることはない。

誰が流動性を抱え込むのか

 労働者が日々労働力を売らないと生活できないのとは対称的に、資本家は金融資産からの収益の予測が立たなくとも(地代や配当によって)生活できる。だから貸し続ける必要はなく将来への暗い期待が現行利子率を上回れば現金保有の道を選ぶだろう。もちろん破産する資本家はいるだろうが、戦後の巨大資本家は大恐慌で株を買い漁って資産を築いたし。

 つまり、捕捉されない銀行口座へと資金が逃避していくのだ。

 タックスヘブンには「死んだ労働」の巨大な山が築かれていくのである。

 

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