THE MARGINAL EFFICIENCY OF CAPITAL 資本の限界効率とはなんぞや?
資本の限界効率、いまいちパッとわかりにくい。Marginalは「限界」で定着している。Efficiency:効率、能率である。
効率?
英和辞書には「機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率」とある。投入された資本と収益との比率、ということなのだ。
つまりある系で資本投入を1単位増やした時(限界)の収益である。利潤極大化の法則で有効需要量が決まっていた。それと響きあう概念である
資本の限界効率と当期営業利益は全く違う概念である。しばしば、ほとんど、あるいは全く混同されているが、混同するとケインズが「期待」に込めた理論的重要性を見逃すことになってしまう。
ケインズははっきり書いている。
資本の限界効率の意味と意義に関する最も重大な混乱は、それが資本の期待収益にも依存し、単に当期収益にのみ依存するのでないことを見損なったところから生じた。
ケインズは資本の限界効率を次のように定義している。
耐用期間を通じてその資本資産から得られると期待される収穫によって与えられる、年収益系列の〔割引〕現在価値を、その資産の供給価格にちょうど等しくするところの割引率が、私の定義する資本の限界効率である。
Aという資本資産がある。Aは期中にM円の収益をあげると期待される。ただしこれは現在価値に割り引いた額である。一方、Aをもう1単位調達するときの価格をN円とする。M>Nなら設備投資は進み、M<Nなら進まない。Aの稼働を止めることもありうる。M=NとなったときのMが資本の限界効率である。
ここで「割り引く」といいうのは、ただ預けておいても金利は付くので、それを割り引かねばならないということだ。
耐用期間n年の期間収益の現在価値=資産の供給価格 設備投資をこのように理解することで、長期期待が非常に重要な意味を持ってくる。資本の限界効率とは単期ではなく期間を伴った概念なのだ。企業はいつも投資を何年で回収できるかを考えているわけだが、ほぼその事であり、ケインズは現場を知っている。
また、この資本の限界効率によって使用費用で残しておいた疑問G、G′の値をどのように決めるかの答えが出てくる。期待される資本の限界効率からG、G′が導き出されるのである。
投資を資本資産の購入に充てるとき、その資産の耐用期間中の見込み収益を投資の期待収益とする。使用費用の概念が生きてくる。資本資産の供給価格は、製造業者にこの種の資産を新たにもう一単位余分に生産してもいいと思わせる価格=取換原価である。ここでは期待収益(の割引現在価値)と取替原価からその資本の限界効率が与えられる。つまりM=Nの時点では、利子率とは関係がない。ケインズはここで取替原価(replacement cost)という概念を持ち出してくるが若干の違和感が残る。後述する。
資本の限界効率は単に当期の収益のみに依存せず、資本の期待収益に依存する。将来に対する期待が現在に影響を及ぼすのだ。将来と現在が結び付けられるのは耐久設備の存在による。「将来は耐久設備の需要価格を通じて現在に影響を及ぼす」次章が、「長期期待の状態」となっていることはまことに理にかなっているのだ。
ここで注意するべきは、利子率は別のところで決まっている、ということである。すなわち、資本の限界効率が利子率を決めているのではない。限界効率=利子率としたところで、循環論法になり、その値を決めることにはならないのである。このことは次々章「利子率の一般理論」で解明されるが、この章は一般理論のなかで ”唯一のグラフ” が載っていることで有名である、と同時に一般理論中「最も難解」としても知られている。
乞うご期待。