よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

場外乱闘篇 4:竹中白書は経済学の破壊であり、理論を信仰に代え、現実の経済をも破壊した

2020年11月23日 | 日本経済を読む
 穴を掘って埋めるの意図的曲解は産業を破壊した
ケインズを生かす
 いよいよ「穴を掘って埋める」箇所だが、当時も今もまともに反論する気にはなれない。また反論したとしても改革熱、構造改革という神話に浮かされていた人々は聞く耳を持たなかったろう。
 しかし、今は構造改革の結果が死屍累々であることは皆知っている。熱も冷め、神話も崩壊してしまった。
 もう一度冷静に考えてみる時期ではある。

これがケインズの批判になるのか 白書の主張とその批判(太字が白書)

第1に、ケインズ経済学が前提とする価格の硬直性(ないし価格の調整スピードの遅さ)は、あくまで短期においてであり、10年もの長期にわたる日本経済の低迷を、価格の硬直性に起因する需要不足で説明できるのだろうか。

ケインズがあたかも「価格の硬直性に起因する需要不足」を不況の原因としているかのようだが、これは古典派の主張である。一般理論とは相いれない。また価格の硬直性を前提としているわけでもない。価格(賃金を含む)が下方硬直性を持たないと経済の変動は目まぐるしく制御不能なものになるよ、と言っているだけだ。

第2に、日本経済の現状では、デフレの進行で、いろいろなモノの価格が実際に下がっている。賃金も、第1章で分析したように、ボーナスの減少や賃金の低いパートの採用拡大などで、結構弾力的に調整されている。このような事実からすれば、価格の調整スピードが遅いとしても、調整に何年もかかるとはどうも言えそうにない。

第1と第2は矛盾している。結局、著者は価格が下がっているのに需要が戻ってこないのはなぜか?が分らなくなっているだけだ。分からないのは古典派理論に立脚しているからだ。一般理論は古典派が解けなかったこの問題を解いたのである。

第3に、前述したように、政府はこれまで巨額の需要追加を図ってきたが、日本経済の低迷は依然続いている。この点については、生産性の低いムダな公共投資をやってきたからだとの考え方があるが、需要追加という点では、ムダな公共投資もムダでない公共投資も変わりはない。ケインズ自身、「穴を掘ってまた埋める」ようなまったくムダな事業も、景気対策として役に立つと言っていた。

「政府はこれまで巨額の需要追加を図ってきた」ここは単に嘘である。下のグラフを見ていただきたい。次の文章はケインズの穴を掘って埋めるも完全な誤解。ケインズの所論は「それでもしないよりましだが、現実には営利性が検討されて何もしないのである」という趣旨。ロンドン―ヨーク間の二本目の鉄道についてはそうはいかない、のだ。



くどいが該当箇所を引用する。
「古代エジプトは貴金属の探索とピラミッド建設という二つの活動をもった点で二重に幸運であったし、伝説的なその富も疑いもなくこの事実に負っている。というのもその果実は、それが消費されることによって人間の用に供するというものではなかったために、潤沢のあまり価値を減じることがなかったからである。中世には大聖堂が建立され、ミサ曲が歌われた。二つのピラミッド、死者のための二つのミサ曲は、一つのピラミッド、一つのミサ曲に比べれば、善きこと二倍であるが、ロンドン―ヨーク間の二本の鉄道についてはそうはいかない。要するに、われわれは、あまりにも分別がありすぎ、あまりにも堅実な財政家になりきろうとしすぎる。子孫のために彼らの住む家を建てよう、そのためには彼らに余分の「財政」負担をしてもらわなくてはならない、そう泱断すればいいものを、その前にあれこれ余計なことを考えてしまう。だから、われわれは、失業という苦境から簡単には脱け出すことができないのである。」


理論通りそんなことは起きなかった

 不良債権問題の解決によって、銀行は新たなビジネス・モデルの確立など前向きの積極的な経営に取り組めるようになり、新規の顧客や成長分野への融資が活発化する。つまり、現在機能不全に陥っている「血液」循環が正常化する。また、不良債権の最終処理は、低収益で債務返済のメドが立たない企業に滞留している労働力、資本などの資源を、生産性の高い分野に移動させることになる。

生産性の高い分野があればそれは何もしなくても「生産性の低い」企業から移動するだろう。「生産性の低い」企業を潰せば「生産性の高い」分野へ移動するというのは、救い難い誤りである。理論上も常識的にもそんなことは想定できないし、事実起きなかった。全体の生産性が下がっただけである。なぜなら同じように生産性の低い、あるいはさらに生産性の低い産業へと移動したからである。成長はしないのに、雇用は増え続けたのだ。

構造改革と言う神話の提示

このように日本経済の供給力を引き上げる構造改革は、同時に、民間需要の持続的な拡大を伴う。それは、収益性の高い新たな民間投資が活発化し、また消費者の将来展望を開くことによって消費が持続的に回復するからである。単に公共投資などでいくら需要を追加しても、日本経済の難局から脱却することはできない。10年にわたる経済停滞で低下してしまった潜在成長力を引き上げ、同時に民間需要の持続的な拡大を引き出す構造改革こそが、日本経済の再生の鍵を握っている。 

供給力を引き上げれば、民間需要は持続的に拡大するそうだが、そんな理論はありえない。需要もないのにだれが供給力を引き上げるのだろうか。もしあるとすれば輸出である。それは供給マイナス国内需要=輸出になるからだがそれは次章以下の展開になる。

そして現在の経済政策は

 今は、カジノ・インバウンド・軍事関連(武器輸出への情熱は半端ない。売れんけど。売れなければ防衛予算倍増だ!!!)による需要喚起を、なんとなく漠然と考えているようである。しかしどれをとっても額が小さい。多分話にならない。当然波及範囲も極めて狭い。有効需要の創造というより有効利権の創造にしかならないのである。

 あらゆる人にとって今後20~30年の間に必要なこと。そこへ公的に資金を投入することを考えるべきである。これが300兆円へのヒントその1である。

 場外乱闘篇は今回で打ち止め。「300兆円へのみち」はいずれ書く。

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