よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

02:第1章 序論:一般理論の「一般」って何?  

2021年08月12日 | 一般理論を読む
第1章 序論
世のケインズ理解は誤解のかたまり

「有効需要」という言葉をお聞きになった方は多いと思う。株式市場の「美人投票のたとえ」も。

しかし、世に伝わる解釈の多くは誤解である。一般理論を「常識」の範囲内で理解しようとするとそうなる。

さらに
   
使用価値
貯蓄-投資バランス
消費性向、投資誘因
資本の限界効率
長期期待、短期期待
流動性選好

となると経済学者でもその意味を理解している人は少なくなる。(まずいない)
そこで、このブログのタイトルを「よみがえるケインズ」という大それたタイトルにした。  

 誤った解釈の発生源は、やはりヒックスのIS-LM理論だろう。一般理論は直ちには均衡解をもたらさない。それに対してヒックスはIS曲線とLM曲線の交点となる利子率、という均衡解を持つ。政策担当者には「そんなうまいこと行くんかいな」と不審の眼で見られても、学者は曲線の形状をネタにして論文が量産できる。IS-LMは便利な道具だった。いまだに金融緩和だけで経済をコントロールしようとする学派が隆盛を極めている。

   ケインズが、リ力ード、J・S・ミル、マーシャル、エッジワース、それにピグー教授を「古典派」と呼び、その理論「古典派経済学理論」を批判の対象として執筆したのが「雇用、利子および貨幣の一般理論」である。このタイトル「雇用、利子および貨幣の一般理論」に大きな意味があることが読み進めるうちにわかってくる。

   古典派経済学理論は、非自発的失業者が存在しないことを前提にしている。この非自発的失業者がいない状態、すなわち完全雇用状態を対象とした古典派理論は、一般的には妥当しない。つまり特別な時にしか通用しない。

 ケインズは完全雇用に到達する前に均衡状態が訪れることを指摘しており、完全雇用は均衡状態のなかでも特殊な状態にすぎない。好不況を繰り返す景気循環のなかでもたまたま訪れる好況・半好況(均衡状態)と長い不況・半不況(これも均衡状態)の合間の一瞬にしか完全雇用は実現しないのだ。ところが古典派は「非自発的失業」の存在を否定することで、この特殊な完全雇用の状態を一般化し、その理論としたのである。古典派理論は一般的には妥当せず、均衡状態の中でも極限状態に妥当するにすぎない、というのがケインズの主張である。

 ケインズは、好況・半好況(均衡状態)と長い不況・半不況(これも均衡状態)の全期間に妥当する一般理論を打ち立てようとしている。さらに「経済学原理」などという名前にせずに「雇用、利子および貨幣の一般理論」にしたのは雇用・利子・貨幣が相互に関連しており、その関連の「一般理論」を打ち立てたことを宣言するためであろう。

   ブログを立ち上げるにあたって、P・クルーグマンの手になるマクロ経済学の「教科書」も読んでみたが、一般均衡が常に成り立つという前提に貫かれており、古典派、新古典派と何ら変わるところはなかった。新古典派との唯一の違いは、彼のコモンセンスだろう。

    本稿中、現代正統派経済学という呼称が出てくるが、これは筆者独自のものである。従来は新古典派総合などと言われていたが、自らそう規定していない経済学者も非自発的失業の存在を否定しているので、あえて新古典派と呼ばず現代正統派経済学という呼称とした。

 この種の連中には「ノーベル経済学賞」を取るような学者(クルーグマンのこと)もいれば、日経新聞等で謬見を書き散らす「エコノミスト」まで含まれる。経済に関する現代正統派イデオロギーと言ってもいい。すなわち、ここから先を読むには自ら「異端」となる覚悟が必要である。

   有効需要の原理で明らかにされるが、均衡状態とは、総需要曲線と総供給曲線が一致する点である。有効需要が雇用量を決定するが有効需要決定の原理と完全雇用達成の原理は違う。均衡状態 ≠ 完全雇用である。

   さらに、言えばケインズは自由放任の下での完全雇用達成の不可能性を理論化している。完全雇用未達状態は、資源の無駄(最大の無駄は貯めておけない労働力だ)を意味している。資本主義の最大の「無駄」は、世上言われている「大量生産・大量消費・大量廃棄」の無駄ではない。日々生成され、その日のうちにしか使用できない労働力を使わずに捨ててしまうことである。

 


最新の画像もっと見る