ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

バイクや自転車は自分の運気を下げる乗り物だと考え乗らない

2022-10-26 11:32:17 | 運転の上達方法

今回は、「三之橋さんが、バイクや自転車に乗らないの?」 と訊かれた時に、「ええ、バイクや自転車に乗ると自分の運気を下げるだけ損するじゃないですか」 と言うと驚かれる人がいらっしゃいますので、今回はその話になります。

 

私三之橋は、大学生となり入学式でもう国産高級4ドアセダンの新車に乗ってきている子がいて、それに驚き訊いてみました。 お父さんの車とか、お兄さんの車かなと気になった。

 

「俺は4年後にはどこかの企業に就職して営業車にでも乗るつもりなので、その時に困らないようにこうやって新車で普通車を買い乗っているだけ。 何だお前そんな事も知らずに生きているのか」 と言われてしまった。

 

自分が無知だと笑われるのは構わないと思う。 そこで笑われても何か知る事ができれば、笑われないようになるわけで、変にそこで気を使ってもらうとか同情されれば、その方が惨めな気持ちになると思う。

 

そんな感じで、周りの子に訊いてみたら、受験勉強し、入学試験を受けて、その後に自動車学校に通い免許取得し、もうローンで中古車を買って乗っているという人ばかりという感じだった。

 

例えば、それまでずっと親元の実家で暮らし、18歳の大学1年生で初めてその親元を離れるという人が多い。 県外の大学に行くとかそんな感じになると、高校生の卒業前とかにもう自動車学校に通うとかした方が地元なので免許が取得しやすいらしい。

 

生まれてからずっと福岡で暮らして来たという人がいるとします。 その人が大学生となり、東京の大学に入学したという事で生まれて初めて東京に引っ越し、大学そばにあるアパートとかを借りたりする。

 

そうすると土地勘のばい都内で自動車学校に通うと、何か難易度が高くなるイメージとなる。 それで地元を離れる前に自動車学校に通ったり、地元でローンで普通車の中古車を買ったりしている感じでした。

 

田舎に住んでいた人が、福岡に出てきて、そこで中古車屋さんに行って1人で中古車を買うと、何か悪質なお店に騙されそうなイメージがある。

 

でも、地元でお父さんとかと一緒に中古車屋さんに買いに行き、実家の家の私有地で登録して、そのまま福岡までお父さんが運転して走れば、移動の手段も楽になる。

 

未成年は、車を買うのに親の同意が必須となるのですが、そもそも車を中古車で買うと、お父さんの名義でローンで買っているとかが多い。

 

なぜか?

 

車で何かやらかした場合、例えば息子が大学で他県に引っ越して、そこで無断駐車でもしたとします。 無断駐車されたと誰かが警察に110番緊急通報すれば、PC派遣要請となり、ポリスカーが現地にやってきて、通報内容を目視確認して、通信指令センターに報告すれば、ナンバー照会して、所有者情報が割り出されるので、警察から必ず所有者のお父さんに電話連絡がいく事になる。

 

18歳で未成年で、他県に引っ越しでそこで生まれて初めての1人暮らしをするという感じなので、事故を起こしても、必ず自分が所有者として連絡がくるようにスキームを構築してある。 (ローンで車を買うと、所有者はローン会社で、使用者がお父さんの名義となる感じ)

 

今まで保護者として自分の家の目の付くところで養っていたわけで、保護者は変わらないのですが、子供は離れたところに行きますので、そこで変な友達ができて何かやらかすのかもしれないという不安がある。

 

子供が福岡とか、東京とかに引っ越した後で、「お父さん、バイトして自分で支払うので車を中古で買いたいので書面を送るね」 みたいに自分でやられるよりは先回りして、お父さんは自分の名義で安心できる地元で車を買って4年間はそのままにしておきたい。

 

そんな事情もあるみたいで、もう入学式の時点で車の免許も中古車も持っていた子が多かったのです。

 

「車の運転くらいできないと笑われるし、就職もできんぞ」 みたいにお父さんが子に世の中の道理を諭し、免許を取って車を買い、その車を子供に運転させて、「おい○○、そこはこうじゃなくてこうするんだ」 みたいにお父さん自ら運転の指導をして、バック駐車とかも訓練したとそんな人も多かった。

 

車の運転は、自分1人で運転し、本人の目には自分がきちんとできているように見えて、でもその後ろを走る車の運転者には、「何だあのへたくそな運転は」 みたいに笑われているケースが多いので、お父さんくらいの年齢ではそう言う事は知り尽くしていたりするので、「大学生になって運転くらいスムーズにできないとせっかく親元離れて1人暮らしできても、彼女とかできないぞ」 と心配し、運転の指導もしてあげていたりする。

 

私三之橋は、ヒアリング調査した結果、周りの子がもう免許取って持っている事や、普通車の中古車をローンで買って乗っているとか、後はお父さんがこう指導したとか、そんな情報を得ました。

 

まあ、出遅れ組ですよね。

 

私三之橋は、根がグ~たらな人間です。 受験勉強とか真剣にやった事もない感じ。

 

でも、入学式の日にもう高級車の発売された後期型のピッカピッカの4ドアセダンに乗っていた子が目に着いてしまい、訊いてしまった。

 

その子の話を聞き、察するに、「車の運転がきちんとできれば、その後新社会人デビューした後の人生が楽になる。 逆にできなければ人生に躓きそこから先の人生は楽しくない。 彼の話によるともう15歳の高校1年生の時にスタートしアルバイトして貯めたお金で買ったという、300万円とかを出している点などから考えた場合、その話の信ぴょうが高いのではないか」 と思ったのです。

 

その子が自信溢れ、ドヤ顔をし、「俺はもう勝ち組なんだ」 みたいに語るその姿は、何かお金に換算するとデカい儲け話に見えてしまった。

 

推薦される人というのは、まあ人間性は良くないと思うのですが、何かちょっとした技術で評価されているだけなので、一気に周りの同じクラスの子にヒアリング調査するくらいできちゃったりする。

 

大学ノートにそのヒアリング調査して、オーディエンスの声を書いていった感じ。

 

車の運転は、免許取って、1人で公道を運転して走り、誰も注意してくれない事で本人が気づかないような変な運転する癖が着くとかある。

 

そうするとね、最初から「どんな運転はその変な運転なのか?」 とか、知っている人に訊いた方が手っ取り早く確実じゃないですか。

 

チェックリストを作り上げ、そのできたチェックリストを見て、「今日の運転で下記のやからしはしなかったのか?」 と運転する都度チェックしておけば、それを繰り返すことで、”手続き記憶 ” として側頭脳に記憶されるので、新社会人デビューした後に、変な運転はしていないと考えられる。

 

そういう「運転の上達にはどこに気を付ければ良いの?」 というテーマでのヒアリング調査で、「自転車やバイクの運転は自分の運気を下げるだけ損すると思う」 という意見が多かったのです。

 

①バイクの騒音の事例

 

「私は生まれて初めて親の実家を離れ、賃貸マンションに1人暮らしをした。 そんな時に大学そばなので同じ大学生みたいな人がたくさん住んでいた。 そこで、原付バイクに乗っている人が、1時間おきくらいにエンジン掛けてコンビニとかに買物に行くみたいで、あれってメチャ音が気になる」

 

そんな体験談がありました。

 

田舎で住宅街で、一戸建ての家ばかりという感じ生まれ育った。 その実家では経験していない事の1つに、集合住宅というアパートなどで1人暮らしをした時に、「バイクの音がうるさい」 というものがある。

 

②バイクの騒音の事例

 

初めて集合住宅に住み、若い人ばかり住むワンルームマンションというのにテレビドラマで観て憧れて住んでしまった。 そこで知り合った若い夫婦に赤ちゃんがいた。 そこにハーレーダビッドソンというデカい音のバイクに乗る人が引っ越してきてしまい、「うるさいなあ」 と思った。

 

大学生で講義がないという事でその日家にいたら、仲良くなった夫婦が、「バイクの音でせっかく目覚めた赤ちゃんがビックリして起きてしまい、もう引っ越す事にした」 と引っ越しする場面に遭遇し、そう言われた事で、「たしかに赤ちゃんがいるとそれは迷惑だな」 と気づかされた。

 

そのバイクの音に不満を持つ人が、周りに100人いたとしても、その本人に注意して改善してくれそうに見えないので、ほんとに嫌だと感じた人は、若い赤ちゃんのいる夫婦のように自分から離れていく。

 

結果誰にも注意されない事で、「俺は誰にも迷惑をかけていない」 と思い込み、ハブられる事にさえ気づかないように見える。

 

バイクに関してはまず音を挙げる人が多くて、後は車と車の間を無茶してすり抜けるような運転は自己中心的な人となるので、もう18歳の大学1年生になった時に乗るのはやめるべきではないか~ みたいな意見でした。

 

後は自転車も似たような感じ。

 

③自転車の無茶な運転事例

 

「俺たちってさ~、自転車ッて幼稚園生の頃に乗れるようになり、小学生とかになった時にその自転車に乗ってちょっと遠くまで友達と遊びに行けるようになったじゃん。 ちびっ子時代に乗り方を覚えたので、自分が車の運転をするようになってから、”危ないなあ” と感じるような事が多々あり、車の運転の法律的なものを覚えるのに、その自転車で自分でもメチャクチャ運転したわけで、2つの事を同時にやると頭の中がちゃんぽんとなるので、車の運転をし、自転車はやめた方が良い気がする」

 

そんな意見でした。

 

例えば、私三之橋の場合は、幼稚園生になる前に親に買ってもらった自転車に乗っていた。 補助輪が付いていて赤い自転車で、近所に住んでいる3歳くらい年上の先輩に、「何だお前女の子みたいだな、自転車にも乗れないなんて、俺が教えてやるよ」 と言われ教えてくれた。

 

補助輪を外し、その先輩が後ろから押して、「その調子だ」 と手を離されて、ふらふらした後に転倒し、そこに解体した廃材が置いてあり、5寸釘が付いていた木材があり、右の手のひらに突き刺さってしまい、けがをした。

 

3歳くらいのちびっ子の視点では、自分の手のひらにデカい5寸釘のサビたものが突き刺さってしまい、驚いてしまった。

 

その先輩が教えてくれるわけで、「これは早く乗れるようにならないと大けがするぞ」 みたいに思ったのですぐに乗れるようになった。

 

でも、補助輪を外し、近所をうろうろ走り回っていたら、曲がり角で曲がった時に女性タクシードライバーが目の前に飛び出てしまい、跳ねられてしまった。

 

「えっ、三之橋って車に轢かれた事あるの?」 みたいに驚かれる人もいらっしゃるのですが、3歳くらいの頃に自転車で少しふらふらしていたと思いますが、曲がり角を曲がったらそこに黒いタクシーがいて、ドンと衝突し、ボンネットの上に飛ばされてしまい、病院に運ばれています。

 

お腹と胸とかに包帯をグルグル巻かれ、先生がお父さんに、「頭とか打っていないのでケガはほとんどしていないので運が良い」 と言っていた。

 

その後家に帰り、女性タクシードライバーの人が、「離婚したばかりでお金がありません」 と泣いていた。

 

タクシーの跳ねられてしまい、そのドライバーがお金がないという事で、お父さんが全額治療費を支払ってくれた感じで、家でそのドライバーさんが泣いていたりしたので、「何だか車に轢かれてしまい悪い事をしたなあ」 と凹んでしまいました。

 

何だか新しい自転車がグチャグチャになり、またお父さんが新しい自転車を買って来て、「これに乗れ」 みたいに言った時に、「恐縮です」 みたいな気持ち。

 

人は事故に遭ってケガでもすると、それ以降事故に敏感になるといわれていたりする。 

 

友達と自転車に乗って走っていて、友達が目の前で車に轢かれて死んだりした時に、「どうして君だけ助かったのかな」 と訊かれたりするのですが、「ヤバいと感じたので」 と言ったりする感じ。

 

事故に遭った事で、野球をしてボールが飛んでいったのを追いかけてそこに車が来ても、轢かれなくなっていた。

 

でも、そんな風に事故に遭った事のない人は、大人になって自転車に乗っている時にメチャクチャな走り方をしているとかざらにある。

 

川沿いの片側1車線道路を走っていて、橋を渡ってというシュチュエーションでウィンカーを左に出す。 対向車の右折がよく強引に目の前に割り込みしてくる場所なので、「信号が赤になりそうで、こんな時に対向車が来る気がする」 と右斜め前を見て停まっているのを見て、左折して橋に乗る瞬間に、「うわっ、危ない」 と自転車が左から目の前に飛び出し、急ブレーキを踏み、信号はもう赤なのにそのおじいさんが渡りながら、こちらを振り向き睨む。

 

「あのおじいさんって、認知症なのかな? 小学生のガキじゃないのに歩道を自転車で走っていた。 しかもなぜか右側を走っていたし、信号が赤のに平気で左折している車の前に飛び出し、睨んでいたので、こっちの運転に問題があると思い込んでいるみたい」 

 

そんな感じの事がある。

 

車の運転をする前は、たしかに小学生の頃とかみんなで自転車で遠くまで行く時に、意外と無茶苦茶な運転をしたりしたと思う。

 

でも、18歳とかの大学1年生で免許を取得し、車の運転をする事で、「あれは迷惑だよね」 みたいに気づき、やらなくなる。

 

でも、自転車とかバイクをそのまま乗りながら、車の運転ではこうと覚えていくと、頭の中が混乱し、覚えきれない事も出て来ると考えられるので、「車の運転をまず覚えるまでは一旦ペンディングした方が良い」 という感じで大学生がバイクや自転車に乗らなくなる感じ。

 

でも、車の運転をしない人だと、その後大人になってもメチャクチャな運転を続けている。

 

どっちが良いですか?

 

というチョイスでは、まあ「自分の運気を下げるだけの乗り物に見えるので、バイクも自転車も買わない」 という選択をしているだけだと思います。

 

大学を卒業し、新社会人となり、会社員ゲームに参戦する。 それって、ただの競技に過ぎないと思うのです。

 

与えられたルールで、その仕事ができたかどうか?

 

上司が仕事を与え、仕事に出て、ある日警察から「貴社の車両が無段駐車したとの事でPC派遣要請がありまして」 とか車両管理責任者に電話でもあれば、「おい三之橋、お前そんな事ほんとにやったのか?」 とか訊かれたら、もうアウトじゃないですか。

 

野球のルールを知らずに野球をやっているような人とみなされてしまう。

 

会社員ゲームが競技に過ぎないわけで、与えられたルールからはみ出したら、即刻退場のイエローカードとかレッドカードになると思うのです。

 

自転車は近年悪質運転が問題視されて、ワイドショーでも車の煽り運転みたいに特集がされている。

 

信号無視とか、一時停止しないとかで赤切符を切るとかで、前科がつくみたいな話になっている。

 

道路交通法というのは、切符を切って罰金刑に変えたのは、ちょっとした事で前科とか着いてしまうとその後の人生が大変になるので、「私は初めて乗ったので知らなかっただけです」 みたいな人が出ないように罰金刑に変えたのです。

 

今どき自転車に乗っている人というのは、”空気読めない人” みたいな位置づけなので、あまり乗りたいとも思わない。

 

あと、バイクの場合でも似たように走り方がおかしな人は多いと思いますが、どちらかといえば、音ですよね。

 

自分が会社に行く時に乗り、夕方とか帰るとそれ以降は乗らないとか自主規制できれば良いのかもしれない。

 

昔、とあるおばさんが殺人で殺された事件があり、週刊誌が取材していました。

 

たしかアパートの1階の奥の部屋に住み、その部屋の前に原チャリを置いていた。

 

朝4時30分とかにそのおばさんが、パートの食品工場に出勤するのに、原チャリのスタンドをガチャンと起こし、セルモーターを回し、フルスロットルでみんなの部屋の前を出ていくらしい。

 

それで、会社員とかの人が、「ガチャン、ブルん、ブ~~~~~ン」 という音でハッと目覚めてしまい、「今から2度寝すると遅刻しそうな気がする」 みたいに中途半端になり、いつも寝不足だったらしい。

 

週刊誌の記者が、「あの○○さんが殺された件に関して、どんな人でしたか?」 とそのアパートを取材した時に、ほとんどの住人から、「そのおばさんの顔とかよく知らないが、殺されて当たり前のような気がする」 とか、そんなコメントだったと書いてありました。

 

「アパートという集合住宅なので、朝早く工場に出勤するのに原付バイクでしか行けないとかあると思うし、まあ朝早く出るとか、夜中に帰るとかも仕方ないと思う。 でも、バイクを離れたところの駐輪場に置くとかせず、押して離れたところでエンジンかけるとかもせず、当たり前のように奥の部屋で、しかもエンジン全開で凄い音で出て行くので、それがもう我慢できなかった」 

 

そんな感じで、原付バイクに乗るとか、朝早く出ると、そういうのは仕方ないと割り切れるが、他の住人を巻き込み、毎朝その騒音で目覚める人が困っていると考えてくれなかった事がNGでした~ と綴ってありました。

 

そんな記事をコンビニで立ち読みした事があり、「私だったら、原付バイクを買い物用として中古でジモティーとかで買ったりしたら、きっとそのおばさんのように朝早くや夜中とかに乗ってしまいそうだな」 と思った事があり、バイクとか買っていない感じです。

 

自宅から片道1kmもないところにショッピングセンターがあります。 家族が「ちょっと卵買ってきてほしい」 と言えば、原チャリ1台あれば、便利そうじゃないですか。

 

でも、ジモティーで大学生が使っていたという中古を買った場合、「それに乗ってどこか行くの?」 と訊かれると、コンビニには歩いて行けるし、あまり乗らないかなと思ってしまう。

 

そういう感じで天秤にかけた場合、近所の人に「あの三之橋、早く死んでくれないかな」 とまで思われてまで乗りたくもないかなあ~ と思ったりします。

 

周りの人に「あいつ早く死んでくれないかな」 みたいに思われている人って、だいたい不幸な人じゃないですか。

 

たぶん、自分で自分の運気を下げて気づいてないだけだと思うのです。

 

自分の家のそばにアパートがあり、そこに原チャリとか中型バイクに乗っている若い人がいたとします。

 

「そのバイクに乗っている人とかに、何か注意しますか?」

 

と訊かれたら、「注意とかしませんよ」 と答えます。

 

自分の運気を下げる乗り物として関わらないようにしているだけだと思います。

 

私三之橋は、18歳の大学1年生の時に、「俺は将来困らないように車を買い、公道で実践練習している」 みたいな子が多かったので、ヒアリング調査して、その人がどういう点を意識して運転の上達を目指してやっているのか? みたいなものを取材して廻り、大学ノートに書き綴ったのです。

 

それは、「車の運転がきちんとできれば、将来困らない」 みたいな、何か莫大なお金を生む技術のように話していた人が多かったし、出遅れていた自分がノープランでやるよりは賢そうに見える人をロールモデルにした方が上達も早いだろうし、伸びしろもあると考えただけなのです。

 

ドイツでは、自動車学校に通えば、最初に運転哲学を学び、「車の運転は俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を良く見て事故などに気を付け、周りの誰かの迷惑にならないこと」 と教え公道で実践練習させている。

 

そこをまず考えてみてください。

 

バイクを買って乗る。

 

それって、周辺に住んでいる人が、「あの三之橋って空気読めないのか? メチャうるさいじゃないか、早く死んでくれれば良いのに」 と思っていたりするという話だと思うので、誰かの迷惑になっている気がするじゃないですか。

 

自転車に乗って、信号が赤になったのにそのまま飛び出して信号無視したりするってことは、迷惑に感じるドライバーの被害者がいるって話じゃないですか。

 

18歳でBMWの7シリーズの高級セダンを新車で買って乗っている友達が、「18歳とか大学生になってバイクとか自転車に乗っていれば笑われるし、ずっとそのままを引きずって生きていくだけで損だよ」 と言っていた。

 

1,000万円くらいするというそんな車に乗り、自動車保険とかメチャ高いわけじゃないですか。

 

そんな人が、「バイクとか自転車は自分の運気を下げる乗り物だと気づけよ」 と言えば、「なるほど、たしかに」 と思ってしまうわけで、その路線で来ているので、今も乗っていないだけですよ。

 

自分で18歳の時に取材して廻り、そこでマニュアルを書き上げて、それを実践し、やったらたしかに大学卒業して新社会人デビューでき、上司が高級車のキーをポンと渡し、ガソリン代とか考えた事もない感じで、暑い時とかエンジン掛けたままエアコン入れたままとかやっていた感じ。

 

取材し、取材費とかもらえないのに、「俺はここをこういう風に考えている」 とか真顔で教えてくれた人がたくさんいた事で、助かった感じ。

 

ただ、それだけの話ですよ。

 

もしも大人になってから、車の運転とかがうまくできずに、「どうしよう?」 と悩んだりしていたのかもしれない。

 

人生って1度何かわからなくなると、修正するのは難しい気がするので、迷わず悩まず済んだ方が良いじゃないですか。

 

大学で友達が買った車を取材し、「なぜその車にしたのか?」 「なぜその色を買ったのか?」 「なぜそのサイズ感にしたのか?」 「なぜそのような買い方をしたのか?」 と訊いていく。

 

そんなことをしているとどうなると思います?

 

「あの三之橋というちょっと変わった子がいて、みんなに車の運転とかに関してヒアリング調査して研究しているみたい。 あの人と意見交換した方が俺の運転も上達するんじゃないか」 

 

と考える人が出てきて、取材には困らなくなる。

 

時には娼婦のように、全然知らない人の家に上がり込み、そこで出されたコーラを飲んで、タバコを吸いながら3時間過ごす。

 

本棚に「友達の作り方」 という書籍があって、たぶん新しい環境で最初に相談した人に真摯に対応するとか書いてあるのかなあ~ と思ったりした。

 

「お父さんがこう教えてくれた」「お兄さんがこう教えてくれた」「先輩がこう教えてくれた」 そんな話を書き綴っていた。

 

世の中にはそういった教科書通りに生きている人達がいて、その人達から教科書を作りあげる人もいるという違い。

 

車の運転が残念な人って、空気読めない人みたいなイメージ、「同じマンションで空気読めない人ってどんな人を見た?」 と訊くと、賃貸マンション内の住人だけが利用できる月極駐車場を借りていて、ある日バイトが終わって帰ったらそこに知らない車が無段駐車されていて途方に暮れてしまい、「あんな奴早く死んでくれと思った」 みたいに答える人もいた。

 

よく、「おい三之橋、お前ほんとに無段駐車とかしたことないのか?」 と訊かれるのですが、元々18歳の大学1年生になった時に、「あれはされたらメチャ困った」 とかそんな体験談を言う子がいたので、最初から公道上に路上駐車したりしているので、無いと思う。

 

大学生ってね、ゼミとかで六法全書という分厚い法律の本を買って、法律を学んだりするのです。

 

車の運転って、道路交通法という法律で、それに違反したら切符を切られ罰金刑となる感じ。(一部赤切符では前科もつく) とか習う。

 

罰金刑に変わった経緯というのは、うっかり知らずにやらかして前科とか着くとその人がその先の人生でそれを背負って生きていくのはかわいそうじゃないかと、罰金刑となっている。

 

その罰金刑で済むのに、わざわざ軽犯罪法に抵触したとう感じでパトカー呼ばれるなんて、自分で自分の首を絞めている感じになるじゃないですか。

 

私三之橋は、バカに見えるかもしれませんが、一応法律とかも学んでいたので、そこまで頭悪くもないです。

 

友達に中型バイクに乗っている子がいて、「彼女を後ろに乗せてドライブした時にどんな視点なのか」 というテーマでわざわざ後ろに乗せてもらった事とかあるのですが、意外とつまらなかった。

 

私の場合タバコを吸うとかあるのですが、後ろの席に乗ってタバコも吸えないし、ジュースも飲めない。 車と車の間をサ~っと通りぬけるとか、「あまり女性的に楽しくないな、怖いと思って終わりじゃん」 と思ってしまった。

 

あくまでも、彼女・ガールフレンド・男友達を助手席に乗せてドライブでも行った時に、その人達の視点で、バイクと車とどっちが良いだろう? と考えた時に、車で横に並んで座り同じ景色を見るのが良いかなあ~ という結果に至ったのです。

 

そもそも、「三之橋さんの運転上達方法は何からできているのか?」 という部分を説明しますと、”援軍を呼ぶスキル” というものから出来ているのです。

 

18歳の大学1年生で、入学式にはもう新車の高級車で来ていた子がいて、「俺はもう将来安泰だ」 と自信ある顔をして語っていた。

 

ちょっと努力すれば、大学を卒業して楽しい人生になるという意味じゃないですか。

 

根がグ~たらな人だと、そこに魅力を感じてしまう。

 

車の運転というのは、自動車学校に行って免許が取れたら、「俺はもう車が乗れるんだ」 とそこがゴールになるという人がいるという。

 

シンプルに考え、合格したという事で、もうそれ以上を目指しても意味がないという考え方。

 

でも、違う考え方としては、「俺はやっとスタートラインに立ったんだ」 とそこがスタートラインになるという人がいるらしい。

 

スタートラインという位置づけだと考えた場合、わからない世界なので、それを1年ただ乗っていれば上手くなるような世界だとは思えない。

 

たぶん誰でも自動車学校で免許取ったばかりのような時期というのは、その先が見えないわけで不安のようなものが全員もれなく平等にあると思うのです。

 

「もしも1人で運転していて、変な人に煽られたらどうしよう?」「もし、1人で運転していて事故を起こしたらどうしよう?」 とかそんな不安。

 

不安がまったくないというのも、何も感じないだけなのかもしれないし、かと言ってその緊張感で1年とか無理かなあ~ と思うのです。

 

そう考えた場合、人の緊張の持続時間とかって2カ月くらいなので、その間に一気にマニュアル作成してやってしまい、「おい三之橋、お前運転上手いよなあ~」 と言われたりする方が良いかなあ~ と思うのです。

 

自分にとってこれは到底手に負えないような気がする。 みたいな自信のない感じだと、それを4年とかやり続けると、頭おかしくなるかもしれないじゃないですか。

 

そうするとね、「ありったけの援軍を一気に投入してしまうか」 という人海戦術となると思うのです。

 

アルバイトを高校生時代にやって、お金を貯め、たぶん受験勉強はちょろっとやっただけで浪人せずに一発で大学生になって、高級車に乗っている。

 

たぶん、人としては器用な人なのだと思うのです。

 

そういう器用な人から、「俺は4年後の為にこういう努力をしている」 と語ってもらい、そこからマニュアル作成してしまい、一気にやった方が伸びしろの上限まで到達しそうじゃないですか。

 

例えば、受験に失敗し、浪人生活を送り、お父さんが、「おい、〇〇。 もうお父さんお金はないぞ」 みたいに言われたような人ではないと思う。

 

我が子に何か希望の光が見えたりしたので、お父さんが車の運転とか指導し、送り出して、仕送りしたりしているのだと思うので、優秀な人だと思うのです。

 

世の中にはいろいろな考え方があると思う。

 

私三之橋の場合は、18歳の大学1年生の時に、「車の運転がきちんとできれば将来安泰だ」 みたいな人を見て、そもそもその運転の難しさというか、落とし穴というのは何だろう? と考えたのです。

 

そこにフォーカスした感じ。

 

それで、「こんな運転したら、自分では気づかないうちにハブられる人生になっちゃうよ~」 みたいなマニュアルのベータ1を現役大学生の人から作り上げて、免許取って最初の1週間とかの時に使用したのです。

 

例えば、どこかの会社で働き、優秀な成績を出した人がいて、朝礼で、「〇〇さんのようにみんな頑張ろうね」 と言った場合、あまり頭に入らない。

 

でも、朝礼で、「〇〇さんには辞めてもらう事になりましたので、みなさんも気を付けてね」 と言われたら頭に入ると思うのです。

 

そんな感じ。

 

「こんな運転を目指そう」 みたいな目標だとわかりづらいので、「こんな運転しなければOK」 という考え方。

 

ミルフィーユのように何層も重ねると、1番下の土台におかしなところがあると、後で修正するのってメチャメチャ大変で難しいと考えたのです。

 

それで現役の大学1年生というルーキーではあるのですが、お父さんが指導したばかりのようなまだ変な癖のある運転していないような人をベースにしてある感じ。

 

例えば、昔からタクシードライバーをしていて、その後個人タクシーという道を選んだという人であれば、長年運転はしていてお客様を乗せているので、極端にヘタではないと思う。

 

でも、車の運転がメチャ上手いみたいなレベルの人だと、そもそもタクシードライバーとかしていないと思うのです。

 

例えば、どこかの会社経営者の家の人の送り迎えするデカい黒塗りの車のお抱え運転手でもした方が仕事は楽に稼げるじゃないですか。

 

そう考えた時に、「何かその人の技術ではそれ以上の雇い先が出ないような、何か癖があるのではないか」 と考えるのです。

 

ロールモデルとしての見本には、使えない気がするのです。

 

もちろん、バイクに乗っている人や、自転車に乗っている人で、綺麗な運転をされるような人はゼロではないと思う。

 

いるとは思うものの、その人をロールモデルにする程のものは無かっただけという感じなのかもしれません。

 

自分がちびっ子時代に自転車に乗って轢かれてしまい、そのことを大学1年生の時に考えた時に、「たしか自転車に乗った時に無茶な乗り方はしていた気がする」 と思い、1度そんな癖がつくと、大人になって「きちんと運転しよう」 と考えても気付かずにまたやっちゃいそうな気がした。

 

あとね、高校生の時にね、学校では原則バイクの免許取得は禁止になっていました。

 

2年生くらいの時にある日学校で、「お前ら禁止のバイクの免許もっているだろう? 退学にしないので全員今免許出せ。 隠した場合は処分ある」 と担任の先生が言ったら、ほぼ全員が原付免許や中型免許とか出していました。

 

たぶんね、16歳でバイクの免許を取得し、そこで公道を自分1人で走って、隣の市とか走って、道路はこんな感じなんだと体感しておく事が車の運転前にある人の方が、車の運転では有利になると思います。

 

私三之橋の自宅前の道路は一方通行なのですが、大人になった人が軽自動車とかコンパクトカーでいつも逆走したりしています。 道路幅が広いの錯視が起きるのかなあ~ と思います。

 

バイクは、視界が広いので前とか横まで良く見えるじゃないですか。

 

例えば、バイクで近所の商店街の銀行とかのある道路、片側1車線でセンターラインとかなくて、混み合って車だと離合しにくいとかの道路があります。

 

最初にそこを原チャリとかで走って、「こんな風な感じなんだ」 と覚えてしまうと、車の免許取った時にスムーズに走れる感じ。

 

バイクに乗った時に、「ここは一方通行」「ここは一時停止」 と覚え、そこがちびっ子時代の自転車と違っていたりする感じ。

 

ちびっ子時代に乗った自転車、高校生時代に乗ったバイク、その経験がある上に車の運転というミルフィーユみたいに経験を重ねると、車を運転している時に自転車とかバイクを見て、その人の視点がわかるのでぶつかる事もない感じ。

 

どれか1つでも経験が欠落してしまえば、車の運転をしていて、片側1車線道路で前を走る原付バイクのおばちゃんを抜けず、後ろの車をイライラさせるとかなりそうな気がする。

 

たぶんね、人は周りの同級生と同じタイミングで同じような事を経験するのが重要な気がする。

 

・16歳高校生の時に原チャリとかを乗る。

・18歳大学1年生の時に自動車運転免許取得し、中古車とかに乗る。

・22歳大学卒業し、新社会人デビューし企業で新入社員として働く。

 

車の運転も、仕事も、行動を伴う記憶、”手続き記憶” となるので、「この年齢ではこの経験をしておきたい」 みたいなタイミングはあると考えます。

 

私三之橋の場合は、16歳で原付免許を取得し、50㏄の普通の2ストロークエンジンのバイクを中古で買った。 なぜ中古なのか? 新車ではそのバイクが売っていなかったからです。

 

当時50㏄バイクが、規制されて時速60km/hとかでリミッター作動するような仕様に変わり、その為リミッターのないバイクが人気あり高値でした。

 

そんなバイクを買って乗っていると、学校で同じようなバイクに乗っている子が、「メガネレンチというのを買って、それでボルトを外すんだ」 とか教えてくれる。

 

自分がバイクに乗っていないと話が合わないじゃないですか。

 

同じように18歳で大学1年生で周りの子がみんな乗っていたので、出遅れた感じではあったのですが、大学入学してから同じように免許を持っていない子とよく電車で一緒になった事で、「一緒にあの自動車学校に行かないか」 みたいになった。

 

人と同じようなタイミングを意識しているので、すでに免許を取って普通車サイズの中古車を買って乗っている子に、「私三之橋は今度免許取りに行くけれど、どんな車がお勧めなの?」 みたいに、相手がしゃべりやすい質問・相談をしている感じ。

 

その質問をされた人は、自分が最近自動車学校に通い免許取得した、チョイ先輩となるので、「あれはこういう風に覚えた」 みたいに教えてくれる。

 

人間関係の構築という面では、「俺が誰よりも周りの人より免許取って、車を買い、先行しないと気が済まない」 という人もいらっしゃるかと思うのですが、周りの子に先行してもらい、後でタイミングよく、「実は私三之橋は今から免許取りに行く感じで」 とチョイ後輩という立ち位置にして、一気に情報を引っ張るというタイミングだったりする。

 

大学生になり、田舎とかから自分1人だけでその大学に行った。 みたいな人もいたりするわけで、ひょっとしたらその人にとって大学生となり初めて相談してきた同級生みたいな感じになり、親切に「俺はお父さんがこう教えてくれた」 とかを教えてくれたのだと思う。

 

もしも、大学2年生になってとか、3年生になってからとかだったら、結果も変わっていたような気がする。

 

高校生くらいだと、同じ中学で一緒だった子とつるむ、みたいな人が多いと思う。

 

でも、大学生だと、「俺は○○県立○○高等学校卒業で、卒業生は〇人くらいこの大学に来ているみたいだけど、その中に知り合いはいない」 というポツンと感みたいなスタートの人が多いので、全然顔も名前も知らない、「三之橋って誰? どこの高校なの?」 みたいな人が、「突然車の運転とか、どういう中古車に乗っているの?」 みたいに話しかけてもどこか歓迎されている感じになる。

 

「大学生になったら、友達誰かできるかな?」 みたいな不安でスタートすると思うので、入学式から同級生に訊いて廻っていると、3カ月とか経った頃には、たくさんの顔と名前とか憶えていたりして、「大学に馴染めなかった」 とかにならない。

 

大学生生活というのも、スタートして3カ月くらいまでには誰か友達ができていつも行動を一緒にするとか、全然知らない人なのにその人の初めての1人暮らしの部屋に上がり込み、娼婦のように3時間コーラを出されそこでタバコを吸いながら教えてもらうとかしやすかったのは、タイミングだと思うのです。

 

もしも、私三之橋が、高校生時代に免許取って、もう中古車を買って乗っていたのであれば、大学生になった時に同じクラスの子に、「ねえねえ、車は何に乗っているの?」 と訊かなかった気がするのです。

 

「私は初めて大学生になった」 みたいな始点から、数カ月経った頃にはそこで同じ大学生に質問しまくり、ヒアリング調査していた事で、馴染めてしまった。

 

「私は車の免許取得で自動車学校に通い」 みたいな始点から、数カ月経った頃には、もう1人で公道運転にマニュアルベータ1とか作成して慣れていたので同じ大学に同じクラスの子を乗せて走っていた。

 

大学を卒業し、新社会人デビューした時でも、たぶん試用期間はあったのですが、「会社員になった」 という視点からすぐに馴染めていた感じはあったと思うのです。

 

よく大人になったひとが、「私は運動神経が良くないので車の運転は苦手で」 みたいに言ったりする。

 

でも、それって違うと思うのです。

 

ザックリ言えば、”やり方” の問題で、タイミングとか、戦略の差だと思う。

 

私三之橋は、高校時代にいつも一緒だったスーパー特待生の子と逸れてしまい、それは調子に乗って飲み歩いていたら、朝ふと目覚め魔法の杖を落としてしまい、どこに落としたのかも思い出せない間抜けな魔法使いみたいな感じだったのです。

 

とりあえず、大学生となったものの、そこから先の目標とか何もない。 さすがに入学式で手ぶらで帰るのはマズイかなあ~ と考え入学式に行った。

 

そこで、当時発売されたばかりの国産高級車のスーパーホワイトの4ドアセダンに乗っている子を見てしまい、気になった。

 

訊いてみたら、「俺は4年後にどこかの企業で営業車にでも乗るつもりなので・・・」 と語った。

 

パッと見その人がお金好きそうな人に見え、300万円とか投じて買ったという話から、それはうそとかでなくて、信ぴょう性の高い話だと感じた。

 

「車の運転が得意みたいになれば、会社員生活はずっと安泰で・・・」 みたいな話。 小学生1年生から大学4年生までの学生生活より、新社会人デビューした後の社会人生活の方が長いわけで、その人はもう攻略法を思いついたみたいに見えた。

 

そんなに重要な人生を左右するようなファクターであれば、それはもうロールモデルがいた方が確実に見え、自分なりの我流はやめておくかと考えた。

 

地元を離れ、親元を離れ、卒業した高校で一緒だった人とも逸れ、たった1人で県外に引っ越してという人は少なくないと思う。

 

”私であれば、入学式から3カ月くらいはアルバイトとかフルに働かずに、まず大学で知り合った人と友達になる事を目指すかなあ~ と想像した。

 

なぜか?

 

大学生になり、そこで知り合った子と、「今日一緒に遊びに行かない?」 とか誘われた時に、アルバイトが入っているとチャンスを逃してしまう。

 

土地勘のない場所で、ちょっと1人暮らしの賃貸マンション周辺を散策するとかもした上で、何かアルバイトを探していくかなあ~ と思う。

 

自分の大学生生活はこんな感じでと、少し体験した後に、ちょっと住んでみて少しは土地勘出た後で、まあ何かアルバイトも探すと思うので、夏休みくらいかなあ~ と想像した。

 

大学生というのは、メインがあくまでも大学で知り合った友達が重要なわけで、アルバイトで知り合った人はオブザーバーのようなものかなあ~ と考えた。

 

そうすると、暇な時期じゃないですか。

 

「今、車のネタ系で話して、一気に何人か仲良くなれれば良いか」 とヒアリング調査をしていくと同時に大学内での友達作りという展開にもなる。

 

全然知らない土地で、大学生となり、初めての1人暮らしで、親からの仕送りで賃貸マンションのワンルームにでも住むと、そこにいつまで経っても大学で知り合った子が家に遊びのこないと焦るとかあると思う。

 

そんなタイミングに見えたので、割とヒアリング調査は上手くいった感じだった。

 

まずは、”及第点を目指したい” という感じ。

 

車の運転は、免許取ってその後に中古車を我流で買い、我流で運転して、変な運転しても自分では気づけないようになってしまうという落とし穴がある感じだった。

 

だったら、最初にその辺な運転はどういうものなのか? 具現化してしまい、その運転と被らなければたぶん及第点くらいには到達すると考えた。

 

大学4年で就職活動し、「三之橋さんは車を持っているの? どんな車に乗っているの? 運転はどうですか自信ありますか?」 とか訊かれる。

 

車を持っていないと言えば、きっと彼女も友達もいないので乗る機会がないから。

 

どんな車に乗っているのかを訊けば、その車を選んだ目的などがわかるので、考え方がわかる。

 

車の運転が上手いかどうか。 これは難しい。

 

たぶん、「私三之橋は、自動車学校に通った時から運動神経良いのでスイスイ走れ、自信あります」 みたいに答えてしまうと、きっとバカだと思われる。

 

自分が初めて飛び込んだ世界というのは、大人は、「わからない事だらけなので不安」 みたいなスタートに感じるという考え方をしていると思うので、「私三之橋は、最初はもう運転は苦手だと感じました。 ただ、そのままでというわけにはいかないと考え、自分なりに攻略方法を考えたところ、今では運転はお任せくださいと言えるまでになりました。 苦手でスタートした事を得意に反転させる技術はきっと貴社に入社した後にお役に立てると思います」 みたいにまとめる感じ。

 

ただ、「私三之橋は、車の運転はちょっと苦手で・・・」 みたいに答えると、それは運動神経とかでなくて、単にやり方を知らないだけでそのまま4年間放置してしまったわけで、うちの会社に入社しても、きっと同じ事を繰り返すかな」 となると思う。

 

友達とかって、シンプルに自分の境遇と同じように見えるかどうか? だと思うのです。

 

大学生になり、その大学に友達がいないわけでそこからスタートしていく感じなので、同じように、「俺もまだ友達はいない」 みたいな人がいたりして、「この三之橋と友達になっても良いかな」 と思ってもらえれば、車のネタだけでネズミ算式に増えてしまう。

 

自分の部屋に連れてきた三之橋という人がコーラを飲み、タバコを吸い、その姿を目のあたりにした時に、「俺はほんのちょっと前に免許取って、中古車を買って、チョイ先輩だけど、似た境遇かな」 と見えてしまうわけで、友達になりやすい。

 

もしも、その人がまだ免許持っていなくて、車も持っていなくて、「車の免許は必要ないと思うので4年生になったら取得するか」 みたいに考えていた場合、車ネタ系で話す三之橋と友達になってもあまり話す事がない。

 

でも、自分の方がチョイ先輩で経験数とかは多いというアドバンテージがあると思うので、家に連れてきて、どこの誰かもよくわからないような三之橋という人間にコーラとか出して歓迎してくれるのだと思う。

 

話すネタは、「自分が先に経験し、まだ未経験の人に教える」 みたいなやりやすさのテーマにしてあるわけで、話すのがしんどいとは感じない。

 

全然知らない三之橋という人間が部屋に来て、「彼女はいるの?」 とか「親は何しているの?」 とか、「アルバイトは何をしているの?」 とか、何か答えにくいような話題ではない。

 

最初に「こいつとの会話は噛み合っているなあ」 と感じれば、「またおれんち来いよ」 と言われる。

 

それって、幼稚園生や小学生時代までの12歳までに友達と人間関係を構築するスキルというものに過ぎないじゃないですか。

 

全然知らない、どこの誰かもわからないような三之橋という人間をなぜか自分の大切な部屋に上げて、話したりしている。

 

1歩間違えば、三之橋という人間が頭のおかしな人で、何度も家に突然やってきて、ピンポン押しまくり、「もう来ないでくれ」 となるのかもしれないと思うのですが、自分の家に上げている。

 

そんな感じです。

 

どこにも、運動神経の話とか出てこないじゃないですか。

 

たぶん、その人が何かを思い込んでしまい、違う想像をしてしまった結果、運転が上手くならなかっただけで、何かやり方が人生をダメにしているだけだと思うのです。

 

大学を卒業して、会社員になった後に、「私は運転をどうも間違えて覚えてしまったみたい」 と気づけば、そこから適切にやり直せば、人生変わるだけの話だと思うのです。

 

私三之橋は、バイクも乗ったりした事あるのですが、大学生になり同じ大学生は、「バイクに乗った人はうるさくて、同じマンションに住まわれるのは嫌かな」 と言うので、大学生になり乗っていないので、誰かマンションとかアパートとかに行った時に、「あの三之橋という人間がバイクで来やがってうるさくて迷惑している」 という人がいないのです。

 

近所の賃貸マンションの駐輪場に、「許可を取らずに駐輪場に自転車やバイクを乗り入れたものを見つけ次第、それは住人の友達だった場合、賃借人の契約を解除させてもらいます」 と警告貼ってあるのですが、私三之橋は、自転車に乗っていないので、友達のマンションとかの駐輪場に許可なく入れる事がないので、苦情とかこないのです。

 

車を運転する会社員が会社に車で来たりして、普段若いママさんがふらふらしながら車の前を走ったりしていて、会社に三之橋という新入社員が自転車で来た時に、「あいつはあんな人間か」 みたいなイメージになる事はあると思うのですが、そもそも自転車に乗っていないので、「俺と同類か」 となる感じです。

 

大人になり、会社員として働いている時に、会社の前にバイクが置いてあり、社員が乗ってきた時に、大先輩社員が、「どうして大人になったのにバイクとか乗るんだろうなあ。 俺は、車の横とをすり抜けたりされ迷惑だと思うんだけどね」 と言ったりするシュチュエーションがあるので、「たしかにそうですね」 と私三之橋も言ったりして同調している。

 

でも、車を運転している時に、全然知らないおじさんとかが大型スクーターに乗っているのを見ても、近所の人が大型スクーターに乗っているのを見て、分譲マンションの駐輪場に入らないらしくて公道に置いているのを見ても、その人の人生じゃないですか。

 

家族とか友達でない限りは、それは注意とかしている方が変人に思うのです。

 

車の運転がへたくそだったりする人は、「車の運転が得意な人は、運動神経が発達しているようなスポーツマンのような特殊な人」 みたいに思い込んでいる感じがあると思う。

 

でも、普通の人だと思いますよ。

 

大学1年生で自動車学校に通い免許を取得するじゃないですか。 やはり、何もわからない人が一方通行を逆走し、そこに高齢者とか歩行障害のある人や幼児がいたら事故に遭うかもしれないじゃないですか。

 

やはり誰かが教官として、1度くらいは教えて、その人に運転させて、「三之橋さんはここがこういう風にできていませんよ」 と指摘してあげた方が良いと思う。

 

そして、免許を取得し、「三之橋さんは、公道を1人で走っても大丈夫でしょう」 みたいに最低限の運転ができるというお墨付きをいただき、晴れて卒業する。

 

第2段階は、初心者マークを貼って1年間、自分で公道を運転してみて、教官に教えてもらった事や出された宿題を自分でやっていく。 「免許は誰でも取得できるシステムになっているので、免許取って1年間初心者マークを貼って、公道を運転してみて、もしも自分には運転合わないと思えば、そこから先はもう運転しないだろう」 みたいなシステムだと大学生は言っていた。

 

周りの公道を走る運転者とかに、「私は免許取得してまだ1年にも満たない素人ですのでご注意くださいね」みたいに名乗って、公道を運転する。

 

自分が、”おっかなびっくり” みたいに、どこか緊張して公道を1人で運転すると、初心者マーク貼っている車を嫌がる他の運転者は少なくないので、それで1年間毎日走るというのは、心理的にも良くない気がする。

 

やはり、最初の段階で、「素人の運転に見えないね」 くらいまでは1週間とかで到達してしまう事を目指すと思う。

 

おっかなびっくりみたいな状況ですと、1人で運転した時に、「とりあえず運転した」 くらいの内容になると思う。

 

田舎でない限り、都市部を走ると周りにたくさんの車が走っているので、事故を起こさないようにと気を付けるくらいはできても、それ以上はできないと思う。

 

でも、自分が友達とかに「おい三之橋、お前免許取ったばかりなのに上手いな」 みたいに言われるようになった場合、運転する事に余裕が出るので、運転して、「あっ、斜め前を走るドライバーはこんなことやらかした」 と見えてしまったりするようになってくる。

 

公道を運転していると、「前の車はちょっと蛇行している気がする」 と思ったりして、信号がたまたま赤になるタイミングで前のその車が先頭で止まる瞬間にサッと車線変更して、左に並んで見たら、運転者がビニール袋持ってシンナーを一生懸命に吸っていたのが見えたりする。

 

車の運転は、不慣れとかへたくそでとか、何かそんな感じだと運転席に座っただけで心拍数が上がったり、血圧が上がったりするらしい。

 

でも、慣れているとそのような感じではなくて、運転しているとへたくそな運転とか、「あの車何か様子がおかしいので飲酒運転か」 みたいに気づいたりするようになる。

 

デカい交差点で右折専用レーンの先頭とかになり、信号機が変わるのを交差点内で待っていると対向車の右折で待っている車の運転席の人が、お酒を飲んでいるのが見えて、「あっ、プレミアムモルツ飲んでいるわ」 とか見えたりする。

 

車の運転というのは、ある程度上手くなるみたいなものまで一気にいくと、その後は良く見えるような目で運転するので、効率が上がる感じがあると思う。

 

それでたぶん、最初の段階で変な運転をしないとか気を使うのかなあ~ と思います。

 

そんな感じで第2段階からは自動車学校の鬼教官なしで、という感じで自己学習して進んでいくので、当然1年とか経つ前に、「私は運転はあまり好きでないし得意でもないので乗らない事にしている」 みたいにやめる人がいたりする。

 

そんな感じで進んでいくと、大学4年生で就職活動した時とかに車の運転が得意そうな人だと、内定とか出やすい感じはあると思う。

 

「この三之橋という奴は、1人で自己学習して上手いみたいだ」 みたいな感じでしょうか。

 

運転が器用に見える人というのは、どこかの上場企業とかに採用してもまず適用障害とか起こさないからだと思う。

 

大学を卒業し、新社会人デビューした時に、まあ上司が1度も運転をチェックせずに、「明日から好き勝手に乗れや」 みたいにポンと社有車の車のキーを渡す事はないと思う。

 

法人車というのは、新入社員がどこかの月極駐車場に無断駐車した場合でも、所有者情報でナンバー照会で会社の電話番号となっているし、社名とか入っていれば、「責任者出てこいや」 となる。

 

それで事前に部長とかが、「おい、三之橋、今日は俺と一緒に仕事で外に出るぞ」 とか言われ、運転させられる。

 

車の運転が上手い人が部長やっているとかあるわけで、助手席に1回座って運転させればその新入社員の運転レベルとかどうしても気づいてしまう。

 

運転は自己学習の極み、みたいな感じがあると思うので、「この三之橋はほんとに上手かったわ」 みたいになると、自己学習するスキルがあるという意味になると思う。

 

そうすると上司が上司の高級車のキーを渡して、「おい三之橋、ちょっと俺の代わりに銀行に大金持って行ってくれ」 となる感じ。

 

大金を運ぶ仕事だと聞くと、「それは訓練とかあるのではないか、講習もあるのではないか」 と訊かれる人がいらっしゃるのですが、そんなものないです。

 

1回やらせてみて、もしも強盗に遭うような人であれば、辞めてもらえば終わるじゃないですか。

 

1年間丁寧に教えたところで、いざ実践させたらダメな人とかいたりするので、時間の無駄になる。

 

たぶん、「強盗に遭わないように自分で考える力はあるかな」 みたいな感じだと思うのです。

 

何かその「考えるスキルがある」 というのが運転とかでわかるだけではないかなあ~ と思います。

 

考えるスキルがあれば、わざわざ教えなくても1人で学習してくれるので教える手間が要らないじゃないですか。

 

私が思うに、人は高校を卒業した18歳くらいに、それまでの人生をトランプのシャッフルされたかのように、何か潮目が一気に変わると思うのです。

 

ターニングポイントみたいなもの。

 

それまで一緒にいた友達と逸れてしまい、1人ぼっちで友達もいないような大学に通う事になり、入学式の日に、「はて、これからの人生どうしようか? どうなるのだろうか?」 みたいな不安を抱えて行く。

 

ダラダラと自分のこれからの人生を見つめてみても上手くいかない気がする。

 

「今日の入学式で何かを掴まないとタイムアウトエラーになるのかも」 という気持ちで行き、そこで1人だけ高級車に乗って来ている子が目に着いた。

 

その子の話を聞いて、何か一瞬で閃いた感じで、「これからはこのテーマでいくか」 みたいに考えた。

 

 

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