今回は城壁の調査に、遥々日本からギリシャまで来ている。
城壁の調査と言うことで、通常は山の尾根づたいに・・・それはある。
そんな訳で今回の調査地も、御多分に漏れず調査対象が急峻な山の頂に位置していた。
その現場の標高は・・・概ね700m~1000m達する。
調査の為の空中写真測量は、我が愛機であるストリームもすこぶる快調、天候も風は強いながらも
良好で、撮影作業も順調に進捗している。
そこで、今回は空いた時間を利用して、現場からほど近いネダ川へ足を延ばしてみたので、
その様子をお伝えしたい。
ほど近いとは言っても・・・ネダ川は、現場の遥か下にある渓谷の底部を流れている川なのだ。
撮影終了後、調査対象の一つでもあるフィガリアの泉に行って見ると、Iさんが泉の
実測作業を行っている真っ最中だった。
暫く・・・その作業の様子や、泉を見学した。
泉の中をふと覗き込むと・・・ギリシャのカエルが、我々を出迎えた。
ギリシャのカエルは、日本のカエルとは種類が違う?
カエルはともかく、訪れた泉は何時ごろから存在るのだろうか?
これが・・・泉の看板だ・・・なにやら、説明しているのだが・・・。
少し読んでみると・・・昔は、立派な建屋が有ったらしいのだが・・・○×△ΩΣの様な文字を読むのは
難しく、一体何を書いてあるのか?サッパリ判らないのである・・・誠に情けないのだが、絵を見て
全てを悟るしかない。
その絵から悟った内容とは・・・どうも下記の様な内容らしい。
3世紀~4世紀頃に作られたこの泉は、古代の城壁の外側にあって、現在の村の南西の方向に
位置し、1927年にオランダ人の手で?発掘された。
その泉は、大きな長方形の石を組み合わせて作られていて、同じく長方形の用水槽が備わっている。
後ろの壁に、飲み水を供給するパイプがセットされているが、いささか時代遅れで細すぎの感がある。
又、当時用水槽の後ろの壁には、2種類の花が咲いていた。
寺院型のその泉には、ドリス式の4本の柱と張りがあり、サドル型の屋根には三角形の破風が付いていた。
・・・と、読み取れるのではあるが・・・Maybe・・・???果たして真実は如何に。
現在の泉の脇には・・・樹齢何百年だろうか?ポプラの大木がそびえ立っていて、それは恰も、
今は無き泉の屋根の代わりに、泉を守っている様だった。
日中は、それが程良く日陰を作り、絶好の広場になっていて、谷の方から吹き上げてくる風が
実に清々しい。
多分この泉広場にも、昔は絶えず人が集まり、水を汲んだり洗濯をしたりしながら、大勢の人達が
お喋りをしていたのではないか?などと、勝手な想像をふくらませた。
偶にはこんな場所で、何も考えずに1日ボーとして居られたら良いのにな~・・・等と考えるのだが、
勿論・・・そんな時間は無い。
少し見学した後、ふと泉の脇にあるポプラの木に掲げられた道路標識を見ると・・・ネダ川まで、
5kmと書いてある。
そこで・・・自分たちの作業が終わっている事と、帰りまで少し時間があったので、暇人4人?で
行って見ようと言う事になったのである。
しかし、何百メートルも下を流れる川まで5km?との表示に、少し違和感があったのだが・・・
その道は、ジェットコースターの様な急峻な峠道であった。
おまけに・・・ブラインドコーナーの先で土砂崩れも発生していて、片側車線が完全に土砂で埋まって
しまっていたのだが、直す予算が無いのか?それとも直す気が無いのか?・・・兎に角、そのままの状態で
放置されていた。
恐らく・・・土砂崩れが発生してから、最低でも数か月は経過していると思われた。
崩落した土砂の上には・・・既におびただしい雑草が生い茂っている事からも、容易に想像できる。
全く日本では考えられない事なのだが・・・がけ崩れの注意喚起を促す表示も無く危険この上ないのである。
何とか崩落した土砂を無事にやり過ごし・・・谷の底部を流れているネダ川の橋まで辿りついた。
その橋の周囲の景色だけ見ると・・・何だか、恰も日本の何処かの川にでも来た様な錯覚に陥った。
気を取り直して、日本のデジタル写真測量の権威・・・東京○○大学のT教授夫妻と一緒に、
記念写真を撮った。
アンドレッツィナに戻り、T先生夫妻と夕食をご一緒した。
その夕食時に、不謹慎ではあったが・・・T教授と一緒に酒を飲みながらではあったが、
貴重な写真測量の講義(話)を聞くことが出来て良かった。
話の内容は・・・最近行っているデジタル写真測量の研究内容や、その研究の今後の方向性に付いての
レクチャーであったが、近い将来、是非我々も利用出来る技術にしてほしいと、切に祈るばかりである。
続きは・・・次回で。
城壁の調査と言うことで、通常は山の尾根づたいに・・・それはある。
そんな訳で今回の調査地も、御多分に漏れず調査対象が急峻な山の頂に位置していた。
その現場の標高は・・・概ね700m~1000m達する。
調査の為の空中写真測量は、我が愛機であるストリームもすこぶる快調、天候も風は強いながらも
良好で、撮影作業も順調に進捗している。
そこで、今回は空いた時間を利用して、現場からほど近いネダ川へ足を延ばしてみたので、
その様子をお伝えしたい。
ほど近いとは言っても・・・ネダ川は、現場の遥か下にある渓谷の底部を流れている川なのだ。
撮影終了後、調査対象の一つでもあるフィガリアの泉に行って見ると、Iさんが泉の
実測作業を行っている真っ最中だった。
暫く・・・その作業の様子や、泉を見学した。
泉の中をふと覗き込むと・・・ギリシャのカエルが、我々を出迎えた。
ギリシャのカエルは、日本のカエルとは種類が違う?
カエルはともかく、訪れた泉は何時ごろから存在るのだろうか?
これが・・・泉の看板だ・・・なにやら、説明しているのだが・・・。
少し読んでみると・・・昔は、立派な建屋が有ったらしいのだが・・・○×△ΩΣの様な文字を読むのは
難しく、一体何を書いてあるのか?サッパリ判らないのである・・・誠に情けないのだが、絵を見て
全てを悟るしかない。
その絵から悟った内容とは・・・どうも下記の様な内容らしい。
3世紀~4世紀頃に作られたこの泉は、古代の城壁の外側にあって、現在の村の南西の方向に
位置し、1927年にオランダ人の手で?発掘された。
その泉は、大きな長方形の石を組み合わせて作られていて、同じく長方形の用水槽が備わっている。
後ろの壁に、飲み水を供給するパイプがセットされているが、いささか時代遅れで細すぎの感がある。
又、当時用水槽の後ろの壁には、2種類の花が咲いていた。
寺院型のその泉には、ドリス式の4本の柱と張りがあり、サドル型の屋根には三角形の破風が付いていた。
・・・と、読み取れるのではあるが・・・Maybe・・・???果たして真実は如何に。
現在の泉の脇には・・・樹齢何百年だろうか?ポプラの大木がそびえ立っていて、それは恰も、
今は無き泉の屋根の代わりに、泉を守っている様だった。
日中は、それが程良く日陰を作り、絶好の広場になっていて、谷の方から吹き上げてくる風が
実に清々しい。
多分この泉広場にも、昔は絶えず人が集まり、水を汲んだり洗濯をしたりしながら、大勢の人達が
お喋りをしていたのではないか?などと、勝手な想像をふくらませた。
偶にはこんな場所で、何も考えずに1日ボーとして居られたら良いのにな~・・・等と考えるのだが、
勿論・・・そんな時間は無い。
少し見学した後、ふと泉の脇にあるポプラの木に掲げられた道路標識を見ると・・・ネダ川まで、
5kmと書いてある。
そこで・・・自分たちの作業が終わっている事と、帰りまで少し時間があったので、暇人4人?で
行って見ようと言う事になったのである。
しかし、何百メートルも下を流れる川まで5km?との表示に、少し違和感があったのだが・・・
その道は、ジェットコースターの様な急峻な峠道であった。
おまけに・・・ブラインドコーナーの先で土砂崩れも発生していて、片側車線が完全に土砂で埋まって
しまっていたのだが、直す予算が無いのか?それとも直す気が無いのか?・・・兎に角、そのままの状態で
放置されていた。
恐らく・・・土砂崩れが発生してから、最低でも数か月は経過していると思われた。
崩落した土砂の上には・・・既におびただしい雑草が生い茂っている事からも、容易に想像できる。
全く日本では考えられない事なのだが・・・がけ崩れの注意喚起を促す表示も無く危険この上ないのである。
何とか崩落した土砂を無事にやり過ごし・・・谷の底部を流れているネダ川の橋まで辿りついた。
その橋の周囲の景色だけ見ると・・・何だか、恰も日本の何処かの川にでも来た様な錯覚に陥った。
気を取り直して、日本のデジタル写真測量の権威・・・東京○○大学のT教授夫妻と一緒に、
記念写真を撮った。
アンドレッツィナに戻り、T先生夫妻と夕食をご一緒した。
その夕食時に、不謹慎ではあったが・・・T教授と一緒に酒を飲みながらではあったが、
貴重な写真測量の講義(話)を聞くことが出来て良かった。
話の内容は・・・最近行っているデジタル写真測量の研究内容や、その研究の今後の方向性に付いての
レクチャーであったが、近い将来、是非我々も利用出来る技術にしてほしいと、切に祈るばかりである。
続きは・・・次回で。