ヴァイオリン ~ 雑音ラプソディ ~

50代後半になって突然始めたヴァイオリン。
ヴァイオリンやピアノなど
音楽に関することを綴っていきます。

レッスン:ベッカーのガヴォットからバッハのガヴォットへ

2019-12-23 | ヴァイオリン
東京はようやく冬の寒さがやってきましたが、時折、暖かくなる時もあるので、たまに薄手のコートでも大丈夫です。
先月からの右腕の痛みが右肩に達し、とうとう本格的に五十肩になり、痛みでよく眠れない日々が続いています。左肩の時と違って、幸い、前に動かしてもなんともないので、弓は動かせるのですが、ちょっと後ろに動かすとイタイ!
右に寝がえりを打つとイタイ!、で目が覚めてしまいます。

先週のレッスンは、ベッカーのガヴォットだったのですが、第3ポジションが各所に出てくるので、第1から第3へ、第3から第1への動きが忙しい譜面になっています。第3ポジへ動かした時に音が外れたり、途中でフラジオレットまで入ってきて複雑なのですが、ポジション移動には慣れてきた感じがします。

無伴奏で弾いて、音の精度が気になってつっかえることが何度もあったので、これは来週に持ち越しだなあと思いながら、2回無伴奏で弾きましたが、やはり完成度はいまいち。
毎回ですが、ピアノと合わせてみましょう、と言われると、何か緊張するのですよね。
それで、ピアノと合わせることになり、一回目。。なんかキーが合ってない。ピアノがずれてる??私がずれてるのかな?、と思うような不調和音(不協和音ではない)が聞こえる。おかしい、いくら音がずれても、ここまではズレていない、と確信しながら弾き続けました。。(結局、先生が間違えたのだそうです。)
強弱をはっきりするよう指摘されたので、何度か練習してから2回目の伴奏付き。強弱のところはできたのですが、ポジション移動の時に音がはずれて、自分としては納得のいく出来ではなかったのですが、気にする程でもなかったようで、合格となりました。
このベッカーのガヴォットは、あまり弾かれることがないのか、良さそうな音源が見つからず、第3ポジで弾いている人も見つかりませんでした。合格させてくれたのも、この曲は早く終わらせたかったからかな、という気もします。
あまり聴かれることもないと思うので入れておきます。こんな曲です。

さて、次回は鈴木ヴァイオリン第3巻の、後ろから2番目の曲、バッハのガヴォットニ長調。バロックらしいきれいな曲です。
第3ポジも一か所だけ。何回かトリルが出てきますが、きれいに決めれば全てよしかなあ。
今年はまだレッスンがあります。その前にクリスマスがありますね。🎄


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レッスン: ユーモレスクをクリア〜次はベッカー

2019-12-13 | ヴァイオリン
2週間あれこれ研究しながら練習した、第3ポジション満載の、イ長調のユーモレスクは、クリアできました!
我ながらよく頑張りましたっ。
この曲はいつかト長調で弾けるようになりたいなあ。まあ、こんなことはいつか忘れるでしょうけど。

次回のレッスン曲は、ベッカーのガヴォットです。また第3ポジションが所々進行を妨げております。
年末最後の曲は、この曲になるか、次のバッハのガヴォットニ長調に行けるか微妙なところ。。レッスンは、仕事納めの日までしっかりあるようですが、できれば、バッハで納めたい。

ところで、ヴァイオリン曲には、時々知らない名前が出てきます。
既述のベッカーとはジャン・ベッカー(Jean Becker)という19世紀中期に活躍したドイツ人ヴァイオリニストです。ベッカーのガヴォットが鈴木ヴァイオリンの教本に採用された経緯はわかりませんが、あまり知られていない作曲家のようです。前にも同様のケースがありましたが、鈴木鎮一先生のドイツ留学時代に出会った曲なのかもしれないです。
然し、この名前はドイツ人の名前ではない。どう見てもフランス人の名前。
と思って調べたら、ドイツと国境を接するフランスのアルザス地域のアルザス・ドイツ人だそうです。
「アルザス地域は、ドイツ語の方言であるアルザス語を話し、住民のほとんどは、アルザス・ドイツ人である。第二次大戦以前は、ドイツでもフランスでもなかったようだが、ドイツが敗戦し、現在はフランス領となっている。」
ベッカーは、大戦以前の時代の人なので、アルザス・ドイツ人ということになります。

Jean Beckerと入れて検索すると、フランス・アルザスのワイナリーだとか映画監督等が出てきてしまうので、そちらに嵌らないようにご注意ください。🍷😊 
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ユーモレスク: ニ長調かト長調か

2019-12-08 | ヴァイオリン
ドヴォルザークのユーモレスクですが、何度も練習しているうちに、音の精度や表現方法が気になったり、まだよくできないビブラートを試してみたりしています。
YouTubeで、いろんな方のユーモレスクを視聴し過ぎたせいかもしれません。

動画を見ていて、気が付いたことがあります。
YouTubeで演奏されている殆どは、私のよりキーが高く、第3ポジションもなかなか出てこない。その代わりに装飾音や重音が入っておしゃれになっている。んー?
鈴木バイオリンの教本のユーモレスクは、ニ長調で、レから始まります。
YouTubeの中の演奏家達は、ソから始めています。ト長調です! 
ドヴォルザークのユーモレスクの原曲はピアノ曲で、変ト長調で作曲されています。後に、サラサーテがヴァイオリン用に編曲したものはト長調。
教則本のユーモレスクがニ長調で、D線から始まるようにしたのには、第3ポジションを集中して練習させようという鈴木先生の意図なのかなと思いましたが、
ビブラートができるようになったら、いつか、ト長調で美しいユーモレスクを弾けるようになりたいですね。

ところで、私の好きなヴァイオリニストの一人、
ヨゼフスーク(Josef Suk)によるユーモレスクを見つけました。(と言っても、ライブ動画ではありませんが。)
チェコ・プラハ出身のヴァイオリニスト(1929−2011)。 
祖父はチェコを代表する作曲家、同姓同名のヨゼフ・スーク。(先月の読響定期で演奏されたアスラエル交響曲の作曲者です。)
更に家系図を遡れば、曽祖父はドヴォルザーク。
祖父のヨゼフ・スークが、恩師ドヴォルザークの娘と結婚したことに因る縁です。
ちなみに、ユーモレスクは、ドヴォルザークが米国の音楽院院長時代に、夏の休暇でボヘミア(チェコ)へ帰った時に作曲されたとされます。(1894年)

ヨゼフ・スークのユーモレスクは、優しくて音に深みがあります。
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11/29 読響 - ネトピルとの初共演(No.2) - ジャン⁼ギアン・ケラスのリゲティ

2019-12-04 | クラシック音楽
11/29の読響定期演奏会の続きです。

1曲目のモーツァルトの演奏が終わり、指揮者とオケはみなステージから退出。
誰もいないステージに、チェリスト用の台と椅子が運ばれ、エンドピンストッパーと、台の前方の縁に譜面台が置かれました。
譜面台があんな下の方で遠くて見えるのか?とか、楽譜をめくれるのか?とか、余計なことを考えながら見ていました。
準備ができると間もなく、演奏者が現れます。
カナダ・モントリオール出身の世界的チェリスト、ジャン=ギアン・ケラス(Jean=Guihen Queyras)。スリムで若い青年、に見えますが、1967年生まれなので、52歳ですね。
何年か前に、彼の演奏を聴いた記憶はありますが、何の曲だったのか全然覚えていません。


1) リゲティの無伴奏チェロ・ソナタ(1948、1953)
アダージョで重音のピチカートで始まり、歌うような優しいメロディーの1楽章に続くが、一転してスピード感があり、情熱的で技巧的な2楽章。

リゲティですが、ジェルジ・リゲティ(Gyorgy Ligeti)とかリゲティ・ジェルジュ・シャーンドルともいうらしいですが、1923~2006年を生きた20世紀を代表する作曲家です。
映画好きの方なら、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」(1968年公開)や、スティーブン・キング原作のホラー映画「シャイニング」(1980年)で、リゲティの曲が使われているというのはご存知かもしれないですが、こわーい音楽の作曲家という印象が強いようです。😱 
怖く聴こえるのであって、怖い音楽をわざわざ作っているのではないと思いますが、独特な音楽表現が、結果、恐怖を煽ることになっているわけです。 
無伴奏チェロソナタは、全く怖くありませんでした。 

リゲティはユダヤ系ハンガリー人。想像がつくと思いますが、第二次世界大戦中、ハンガリー人強制労働部隊に送られるも生き延び、一方、家族はユダヤ人強制収容所に送られ殺害されました。戦後、音楽を学ぶも、社会主義体制下で外国の音楽を自由に聴いたり、創作をすることも許されなかったため、1956年にハンガリー動乱を機にオーストリアへ亡命した、ということです。
そのような激動の時代を生きてきたリゲティの音楽ですが、「2001年宇宙の旅」に使われた「レクイエム」を聴くとわかりますが、1960年代の音楽にしては、前衛的、宇宙的、電子工学的で、時代を超越しています。

シンセサイザーの原型が出現したのが1940~50年代で、1960年代後半にはシンセサイザー音楽がレコード化されており、富田勲氏がシンセサイザーに遭遇したのも同時期でしたから、オーケストラ音楽に対してもコンピュータ音楽の需要が高まった時代に、リゲティも影響を受けたのかもしれません。
因みに、リゲティは、「2001年宇宙の旅」のために、宇宙を連想する曲を作ったのではなく、リゲティが作ったその曲を、キューブリック監督が勝手に映画に使用した、という話です。リゲティはこれに憤慨しましたが、後に「シャイニング」のための作曲依頼を受けて、和解したという逸話があります。

2) リゲティのチェロ協奏曲(1966)
第一楽章: ケラスのチェロの独奏で、極めて小さい、蚊の音よりも小さい、みみずの鳴き声くらいか、PPPPPPP (ピアニッシシシシシシモ)のミ音での単調な連続音から始まり、オケの弦楽器が同じミ音を奏でながらボリュームを上げて行く。次第に音高の異なる音が重なり、徐々に徐々に音色を変化させながら拡がっていく。最後にケラスのチェロが高い音色を奏で、続いてコントラバスの長い響きが残る。
トーンクラスター(音群)といって、隣り合った音同士をいくつも重ねることで音の塊を作って独特の圧力を演出する演奏方法だそうで、リゲティはこの奏法の先駆者と言われているようです。

第二楽章:フルートとクラリネットの重音に始まり、木管・金管が音高を変え補強していく間、ケラスのチェロが大きく響く。続いて他の弦楽器や管楽器が音を変化させながらボリュームを上げて行きます。 時々、オーストラリアの原住民アボリジニの音楽のように思えたりもしました。音が複雑になっていくので、次第に何が何だか分からなくなります。
最後は、ケラスの独奏で、左手の指を複雑に動かしながら指板を上下させ、徐々に徐々に弓の動きを弱くし、最終的に左の指の運び音だけとなり、音が掻き消えていきます。
不思議な曲です。曲というより、管弦楽による「音の芸術」、という印象です。ケラスの技術力と表現力もさることながら、オケも高度な技術が要求されるものですが、さすが読響の演奏は見事でした!
生演奏ならではの醍醐味ですね。 動画では、曲を聴くことはできますが、音の強弱が調整できてしまうので、実際の音量はわかりません。

この曲の後ですが、ケラスによるアンコールがありました。
バッハ:無伴奏チェロ組曲第一番より「サラバンド」。

次回は、コンサートの最後の曲、スークのアスラエル交響曲についてブログします。



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11/29 読響定期演奏会 - チェコの指揮者ネトピルとの初共演 (No.1)

2019-12-01 | クラシック音楽
11月29日、読売交響楽団の第593回定期演奏会でサントリーホールへ行ってきました。
指揮は、チェコ生まれの44歳、トマーシュ・ネトピル(Tomás Netopil)。
ストックホルム王立音楽院でヨルマ・パヌラに指揮を学び、2002年の第1回ゲオルク・ショルティ国際指揮コンクールで優勝し、その後プラハ国民劇場、エステート劇場の音楽監督等を歴任し、現在は、ドイツの名門エッセン歌劇場及びエッセンフィルの音楽総監督と、125年の歴史のあるチェコ・フィルの首席客演指揮者を務めていて、今回の来日では、読響とは初共演だということです。
長身、大きな体で勢いのあるタクト、曲の難しさから育まれたオケとの一体感を感じる素晴らしい演奏でした。


ソリストとして、カナダのチェロ奏者、ジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras)を再び迎え、ハンガリーの作曲家、リゲティのチェロ曲が2曲披露されました。
東欧の作曲家の曲は、自分から滅多に聴くことはありませんが、今回のコンサートを振り返ると、東欧音楽の奥深さを知る良い機会だった思います。
リゲティという作曲家の名前すら知りませんでしたから。(もしかしたら、以前にリゲティの他の曲を聴いて、それを覚えてないだけかもしれませんが。)

このリゲティの選曲と順番については、チェリスト、ケラスのアイデアによるものだそうで、いつか2曲を続けて演奏したかった、というケラスの夢が実現した瞬間に立ち会えたことは感慨深いものがあります。理由は本人にしかわかりませんが。

それにしても、今回の定期演奏会は、会員も結構いるはずなのですが、曲目に馴染みがないからか、都合のつかない方が大勢いらしたのか、かなりの空席がありました。 なかなか聴く機会はないであろう曲なのに、残念なことです。

曲目: 
1)モーツァルト: 歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲
2)リゲティ: 無伴奏チェロ・ソナタ
3)リゲティ: チェロ協奏曲
4)スーク:  アスラエル交響曲は短調Op.27
    
リゲティはハンガリー出身、スークはチェコ出身の作曲家です。後日ブログしますが、スークはヨゼフ・スーク、同姓同名で8年程前に亡くなられた有名なチェコのヴァイオリニスト、ヨーゼフ・スークの祖父です。
私の好きなヴァイオリニストの一人です。

東欧音楽の歴史背景をよく知らない私には、この曲目を見て、なぜ最初の曲がモーツァルトなのか、プログラムの解説を読むまで理解できませんでした。
モーツァルトの生きた時代、18世紀の後半ですが、チェコの首都プラハのある一帯はボヘミア王国といい、神聖ローマ帝国の一部でした。(後にハプスブルク家のオーストリア領土となる)。ボヘミア王国の皇帝レオポルト2世が王に即位する戴冠式(1791年)でオペラを上演するために、作曲をモーツァルトに依頼し、戴冠式当日はモーツァルトの指揮でオペラが初演されたというその曲であり、その初演場所がプラハであった。そういうことで、モーツァルトとチェコが結び付くわけです。

チェコ出身の指揮者ネトピルが、この曲を最初の曲に選んだ意図に、果たして何人の観客が気が付いたでしょうか。
激動の時代を生きたチェコの音楽家の深い歴史や思いを土台に、現代のチェコ音楽界を支える若手指揮者として活躍が期待されます。

今回は、作曲家、曲、演奏家、それぞれ内容が濃すぎて、一度に全部書けません。
近いうちに、ケラスのリゲティ演奏やチェコの音楽の歴史、スーク演奏等についてブログします。😊




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