ショパン国際コンクール受賞者による2回目のコンサートが、今日の02:00から開催されたのですが、私は前日ほぼ徹夜で第1回目を観ていたので、2回目のコンサートのサイトがアップされるまで待てず、眠ってしまいました。
それが、後で録画を観るつもりでいたのに、2:00過ぎに何故か目が覚め、反射的にスマホでYouTubeを見ました。2回目のコンサートLive、上がってる…
眠気眼で朦朧としながらブログを書いていたという、自分でも信じられないことをしていました。
ちょうど表彰式をやっているシーンが出て、ブログを投稿してから、その後眠りに就いたと思うのですが、何となくステージ上にピアノを動かしているシーンが頭に残っているので、演奏前まで観てたのかしら…。
記憶にありません。
今日はすっきりした頭で録画で確かめましたら、追加の表彰式でした。
場所はコンクールと同じ場所、ワルシャワ・シンフォニーホール。
ピアノは、コンクールの時と同じように、ピアニスト達の好みのピアノがそれぞれ用意されていましたし、バックにはオーケストラの席も配置されていました。
その後1番目に演奏をした、6位入賞のJJ Jun Li Buiさん。ピアノはカワイでした。
昨日の会場は、ピアノを一台しか入れることができなかったため、優勝者の使用するFAZIOLIを設置したらしいです。
ところで、追加の表彰式ですが、ポーランド人が何人か出てきて、何やら説明しているのを英語で通訳していましたが、授与者がポーランド人で一体その人たちが何者なのか意味不明で、最初に授与されたJJ Jun Li Buiさんも、英訳で授与理由は分かったけど、彼は誰??と思ったと思います。
追加の表彰はなんでしょうね? と気になりました。
一番最初に出ていらした方はZbigniew Kaszuba (読み方不明)さん。
恐らくコンクールの重要な支援者だと思いますが、
「ファイナリストのうち最年少の入賞者に贈られる賞」の賞金の授与者です。受賞者は、カナダのJJ Jun Li Buiさん、17歳。
2番目、Prof. Zbigniew Drzewiecki Award (ズビグニェフ・ジェヴィエツキ教授賞)。ポーランドを代表するコンテスタントでファイナルに進めなかった者のうち、高い評価を得た者に与えられる賞。
受賞者は、ポーランドのPiotr Alexevicz (ピョートル・アレクサヴィッチ)さん。3次予選の初日に演奏しています。
このジェヴィエツキ教授(1890~1971)というのは、ショパン弾きのピアニスト兼音楽教師として著名な方で、有名なピアニストを多く育成したそうです。その中には亡き中村紘子さんもいらっしゃいます。
1927年のショパン国際ピアノコンクールの初回から亡くなる年まで審査員を務め、その間、フレデリック・ショパン協会の会長も務めました。
3番目の賞は、ポーランド、ベラルーシ、イスラエル、リトアニア、ウクライナ、ロシアを代表するピアニストのうちコンクールで高い評価を得たピアニストに贈るHenryk Rewkiewicz Award(ヘンリク・レウキエヴィチ賞)。
受賞者は、ポーランドのJakub Kuszlikさん。
授与された方は、Henryk Rewkiewicz (ヘンリク・レウキエヴィチ)氏(既に故人)の孫の一人でRenata Kellyさんと Łukasz Żuk さん。
レウキエヴィチ氏は、第一次世界大戦で荒廃した人々の心を癒し、ショパンの音楽を取り戻して愛国心を鼓舞しようと、ショパンコンクールの開催を提案・推進し、ワルシャワ音楽院のイェジー・ジェラヴレフ教授と共に、1927年に初めてのショパン国際コンクールを実現した方です。その後、第二次大戦で中断し、大戦中、音楽家に資金援助をした理由で収容所に送られますが、2年後にワルシャワ音楽院に貢献した理由で釈放されます。その5年後に他界してしまいましたが、氏の子供や子孫が彼のピアニスト支援の遺志を引き継ぎ、家族(主に5人の孫たち)で資金を出し合ってこの賞を設立したようです。
4番目は、浜松市長賞。
駐ポーランド日本大使の宮島昭夫大使が、浜松市長の代理として、優勝者のBruce (Xiaoyu) Liuさんに授与しました。
大使は、浜松市が長年にわたりヤマハやカワイのピアノを生産していることをアピールしていました。
5~7番目は、賞金提供者の異なる、ポーランドを代表するピアニストで高く評価された者に授与される賞で、全てポーランドのJakub Kuszlikさんに授与されました。
最後は、ファイナリストの中で最年少の女性ピアニストのための賞。
ロシアの金髪女性、Eva Gevorgyan(エバ・ゲボルギャン)さん、17歳、が受賞しました。賞金10,000ユーロだそうで、第6位のJJ Jun Li Buiさんの賞金より良いみたいですよ。
ポーランド語のスペルに慣れていないので、スペルを書いているだけで疲れました。